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世界のカケラ  作者: viseo
流浪編
46/171

破られた沈黙 6

 吹きすさぶ雪の中、まろやかな暖炉の光が、柔らかく書斎を照らす。

 小さく部屋に響く、カリカリとしたペンの音が耳に心地良い。

 暖炉の揺らぎと共に小さく躍る影を飽きることなく見つめていると、小さく欠伸が出た。

 ふわ~ぁ。段々、眠くなってきた。寝ちゃ駄目だよね。うん。……でも眠い。

 ……ぐぅ。


「お待たせしました。え~~~と、次は、こちらですね。」

 ペンの音が止まって、エルザが書類を見たまま話しかけてきた。

 いかん、いかん。

 欠伸をかみ殺しながら、安楽椅子の上で姿勢を正す。

 少しでも暖かいようにと、暖炉の前に置いてもらった椅子は、あまりに心地良すぎて眠気を誘う。

 目尻にたまった涙を、瞬きで散らしてから、目の机に広げられた本や絵を眺めた。


「こちらの青いカードに書かれた絵を、左から答えて下さい。」

「四角、三角、黒丸」

「正解です。これは覚えていますか?」

「昨日読んだ絵本。犬とウサギが雲の海を渡る話。」

「では、こちらは?」

「今朝見た花の画集。ついでに、向こうに置いてあるのは昨夜食べた料理の絵。」

 次々と出される質問に、一つ一つ指差しながら答える。


「もうそろそろ、短期も中期も、新しい記憶の整理は大丈夫そうですね。」

 ラルシュに渡されていた紙束と睨めっこをしながら、一生懸命何かを書いていたエルザは、満足そうに呟くと、もう少しで終わりですから頑張ってくださいね。と、笑顔を見せた。



 記憶喪失の状況整理。


 これが、毎日往診に来るラルシュの診察とは別に、あの日から新たに加えられた日課だ。

 よくドラマとかである記憶喪失は、「ココハドコ?ワタシハダレ?」みたいな状態から、何かをきっかけに全てを思い出す――そんなシチュエーションが多いけど、実際はそんなに単純では無い。

 っていうより、それは一番簡単なタイプの記憶喪失で、ラルシュの言葉を借りるなら「ほっときゃ、治る」。

 過去の記憶が一部無いにしても、日常生活は普通に送れるし、思い出す確率も結構高いよね。


 それに比べて、過去の記憶と共に人格の一部や、日常動作を忘れてしまった記憶喪失は、性質が悪い。

 酷く攻撃的な性格になったり、体の動かし方を忘れて寝たきり状態になる事だってありえるわけで、無自覚に男性口調を話し続けていた私が、言語障害を疑われたのは当然の成り行きだった。



「では、この文字は読めますか?」

「エ ル ザ」

「こちらの紙に名前を書いてみて下さい。」

「ア ー ラ」

「…ありがとうございます。やっぱり文字も大丈夫ですね。」


 こうやって、文字を書いたり、読んだり、新たに覚えたものを覚え続けているかのテストを、日に何度もこなす。

 もはや主治医であるラルシュの関心は、言語や日常動作の確認にしかなく、はっきり言って過去の記憶の精査なんて、彼にとってはどうでも良いらしい。


 自分の名前や家柄なんぞ忘れたって、大したこたぁない。

 そんな事よりも、新しい事が覚えられなくなる症状が一番怖い。


 あのシグルスの前で倒れた日の夜に、そう、ラルシュに語られた。

 新しい事を覚えられなければ、正常な日常なんて送れるはずが無い。

 私みたいな頭の殴打が原因の記憶喪失で、時折見られる症状なだけに、ラルシュもエルザも真剣で。


 熱く語りながらも、てきぱきと看病の手を止めない、老人のざらりとした手の平。

 それは、チリチリと胸の奥に燻る何かに怯える私の気持ちを、すうっと晴らすような、そんな不思議な爽快感と、不器用な優しさを感じさせてくれた。

 


 単調といえば単調な日々。

 でも、声が出る様になったら、根掘り葉掘り過去の事を聞かれるんだろう。と、戦々恐々としていた私には、ありがたいやら嬉しいやらだ。

 正直、ほっとしすぎて、別意味で寝込みそうだった。

 そう考えれば、単調すぎて退屈であるとか、あと何回繰り返せば良いのかなんて、不満と言うのもおこがましいほどの、小さな不満だと思う。


「今日はこれで最後です。」

 今度はエルザの私物なのか、女性らしく、可愛らしい色合いの物ばかりが、新たに机に並べられる。

 左から指をさして確認しながら、読み上げた。

「花瓶 ペン ピアス 髪留め …分かりません。 指輪 手鏡」

 バレッタの横のぬいぐるみだけ単語が出なかったけれど、無視して次々読み上げる。

 こういうレジデのところにも、シルヴィアのところにも無かった物の単語が、どうしても苦手だ。

 可愛らしいぬいぐるみを手に取ると、案の定エルザの手作り。

 やっぱり女の子は花があっていいね。


「お疲れ様でした。やっぱり少し出ない単語があるみたいですけれど、殆ど問題ないみたいですね。 何だか毎日同じような作業でお疲れになったでしょう?今、温かいお茶をお持ちしますね。」

 可愛らしい笑顔。

「お好み、ありますか?」

 問われて、先日飲んだ、白桃の香りがするお茶を思い出した。

「この間のエルザのお勧めのハーブティが美味しかったので、まだそれがあったら飲みたいです。」

 なんだか手持ち無沙汰で、髪留めに手を伸ばし、ぱちんぱちんと片手で開閉する。

 私の面倒を見ながら、嫌な顔一つ見せないエルザを見ていると、息子の嫁にしたいタイプってこういうのを言うんだろうな~と、思う。

 逆立ちしても、私には出来ない芸当だ。

「喉に負担の無い、ムースケーキを作ってみたんですよ。お口に合うといいんですけれど。」

 ちょっと待っててくださいね!と、淡いグレーの髪をなびかせながら部屋を出て行くエルザに、ひらひら手を振った。


 そのまま、ぱたぱたと遠ざかる足音に耳をそばだててから、机の上に髪留めを戻す。

 充分時間が経ってから、伏せておいた厚手の紙に静かに手を伸ばすと、そこには無骨に書きなぐった暗号のような文字や、優美な女文字が綴られていた。


「思い出せるものと、思い出せないものが混在しているようですが、今の所、日常に大きな問題は無いようです。

 歩行は補助が必要ですが、筋力の低下によるものと思われます。

 また、文字の読み書きも、大丈夫です。

 以前の様に、無意識に男性口調になることはありませんが、単語が直ぐに出てこない等の言語支障が見られます。

 しかしながら、会話に困るほどではありません。」


 こちらがエルザの所感。読みやすい綺麗な字だ。

 まだインクに濡れて艶やかに光っている部分を、こすらない様に注意しながら手に取ると、欄外に今まで私が分からなかった単語、ぬいぐるみや体温計などの文字が並んでいた。

 そしてもう一方、暗号文字のような文章が、ラルシュの書いた診断結果だ。

 別に本当に暗号化されてるのでは無く、字が汚すぎて読めないだけだけど、必要な文章は辛うじて拾える事ができた。


「記憶喪失、言語障害は頭部外傷に起因……患者に多大な負荷をかける為に、不必要に失われた記憶を問い詰める事を禁ずる………また依頼の詐病の確認においては、ありえないと断言……口調からも上流層の中でも上位階級の人間と推察……」


 詐病とは仮病の事。

 まさかこちらの言語に通じていない事が、ここまでプラスに働くとは思わなかった。

 実際に記憶が飛んでいる部分があるのも、信憑性を高めるのに一役買ったらしい。

 記憶喪失が医師のお墨付きになったのは助かるけど、「詐病の確認」の文字に、改めて自分の難しい立場を感じもした。

 実際、シグルスは少し違和感を感じていた部分もあったみたいだもんなぁ。

 王宮に行けば、更に多くの人の目に晒される。

 これから一体、どれだけの人間の目を欺けば良いのか。

 それを考えると気が塞ぐ。


 あぁ。ほんと、やってらんない。


 また静かに紙を元に戻すと、苦いため息をついた。

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