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世界のカケラ  作者: viseo
流浪編
42/171

破られた沈黙 2

 ベッドの上で寝ては起きての繰り返しに、あまり昼夜の意味は無い。

 それが雪深い時期となればなおさらだ。

 天蓋の隙間から見える窓の向こうに広がるのは、舞い上がる雪と、どんより曇った空ばかり。

 その様子はまるで時が止まっているかのようにすら見える。

 そして今、私の目の前に座っているのは、そんな灰色の空と同じ髪の色をした男。


「随分快癒したと聞いたが、具合は如何か。」

 ベッドの上で上半身を起こしたままの私に、静かな瞳で話かけられる。

 その落ち着いた様子は、無表情とも違い、まるで先日の事は私の記憶違いだったんじゃないかという印象すら受ける。

 けれども。

「…今、シルヴィアは?」 

 喉の痛みや胸の苦しみは相変わらずだけれども、辛うじて会話が出来る位には回復している。

 気になる事と言いたい事、聞かれたくない事が複雑に絡み合っていたけれど、一番聞きたい事は、彼女の安否だ。

「シルヴァンティエ殿は戦火の届かない王宮で保護している。」

 半分予想通りの応えが返ってきた。

 正直私には、それが良いことなのか、悪いことなのかの判断は付きかねた。

 本当に戦争に巻き込まれてしまえば、彼女のように肉体的なハンディキャップを持つものに逃げ道は無い。

 山間の砦のような館に、優秀な技術者が大金と共に篭城していると分かれば、狙うのは当然だ。命すら危ないだろう。

 そんな被害を受けずに、生きていて欲しいと思う。

 けれども、彼女の望まない方法で生を永らえさせても、生きている事にはならない。

 その際たるものが、王宮に保護される事だとは、簡単に想像ができた。

 何と言っていいか分からず、声を殺したまま小さなため息をついた。


「何故逃げた?」

 そんな私の様子を見ていたシグルスから、意外な言葉が飛び出した。 

 王宮から戻るや否や面会を求めてきた彼は、落ち着いた様子で話しながらも、少しの嘘も見逃さまいとこちらを見つめている。

 短く刈り込んだ灰色の髪と、水色の瞳、潔癖そうな額と彫りの深い顔立ち。

 まるで狼のような野生動物が、こちらを静かに観察しているような、そんな感じさえ受ける。


「……何故?」

 意外な言葉に、思わずオウム返しに言葉を返す。

 拉致しようとした人間から逃げようとするのは、至極当然だ。

 上手く思い出すことが出来ないけれど、この体中の怪我は捕まる時に相当抵抗したからだろうし、記憶が飛ぶほどの高熱を出して寝込んだという事は、あの吹雪の中を長時間逃げまどったからじゃないの?

 そこまで考えて、ずきりと頭が痛む。

 何故ここまで執拗に追われた理由は分からないけれど、こちらから積極的に何か話す必要は無い。

 黙りこくった私に、更に意外な言葉がかけられた。

「死にたかったのか?…それとも死んでも構わなかったのか?」

 死ぬ?……って、誰が?

 思わず眉を寄せる。

 確かに吹雪の中、たいした装備も無く外に出ようとしたのは無謀だった。

 けれども当て無く脱出しようとしたわけでも、近くの町の位置がわからなかった訳でもない。

 どんどん酷くなる頭痛を堪えながら、記憶をたどっていると、ため息交じりの声が聞こえた。

「あんな冬枯れの荒れた川に出るなど……無茶をするにも程がある。今生きているのが奇跡な位だ。」


 冬枯れの荒れた川。


 その言葉に、ぱしんと音がするように、目の前で光がはじけた。

 大きな公園によくある手漕ぎのボート、巨大な石の扉、迫り来る足音。

「もしかして、私の怪我は……」

 荒れ狂う波。むき出しの大きな岩肌。掴んだ枯れ木の鋭利な枝。灰色の空に舞い上がった雪。

 ますます強くなる頭痛と光に、様々な情景が浮かび上がる。

 身体のあちこちが痛み、氷水に浸したように、足先が冷たい。

 ぱしん、ぱしんと、現れては消える情景。

 浮かび上がったそれらを、何とかまとめて一つの形にしようと、無意識に追いかける。

「おい?…お前…もしかして。」

 光と共に、写真のように浮かび上がっては消える、それらの中に、般若の様な麻衣子の顔や、力の抜けた白い女性の手首が浮かび上がる。

 クラクションの音、煙の中に横たわる後ろ姿。空に上がる水泡。

 きいんと耳鳴りがして、頭の傷が一際強く痛んだ。

「私の…怪我は……。」

 幾重にも重なるサイレンの音と、赤い光。 白い天井。


 …助けて。…誰か、…… を。誰か……。


 強い恐怖と、悲しみと、混乱と、けれども明らかに懐かしさを感じる何かを感じて、私は必死にそのカケラを集めよう手を伸ばす。 

 けれどもその瞬間、何かが、心の中でカチリと音を立てた。

 思い出してはいけない。

 ここに近寄ってはいけない。

 強く光る何かが私に警告を促す。

 あまりに強い拒絶に、これ以上手を伸ばすことも、近寄ることも出来なくて、呆然と光の前で立ち竦む。

 強くなる光が一際強く輝き、声なき声が叫んだ。

 立ち去れ!

 その輝きを正視できず、私はついにその光の塊から目をそらした。

 ぃ…… ……ぉぃ!

「おいっ!」

 耳元で声がした。

 強く肩をゆすられ、水風船がはじけるようにして、目の前に浮かんだ情景が霧散する。

 掴みかけた何かは、私の脳裏に留まれないまま、光の中に解けて消える。

 ぜいぜいと荒い呼吸音と共に、口元に何か硬いものが押し当てられた。

 考えるまもなく、入ってきた物を飲み下すと、ぼやけた視界と意識が少しずつ戻る。

 大丈夫かと、布のような物で額と首筋をぬぐわれ、ようやく自分がベッドの上に倒れこんでいることに気がついた。

「すみま、せん。」

 指先が白くなるほど握り締めていたクッションから、強張りながら手を離す。

 起き上がろうベッドに手をつくと、無理をするなと、シグルスのごつごつした大きな手がそれを遮った。

「まだ微熱が続いていると聞いていたのに、無理をさせた。そのままで構わない。」

 一瞬迷ったが、更に制止するような動きを見せる手に、目がいく。

 微かに残る頭痛と胸の苦しみに負けて、結局、その言葉に甘えさせてもらうことにした。


 もう、何か思い出そうとしても、記憶の海は風ひとつ無く、ただ静かに凪いでいるばかりだった。

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