ロアの祝祭 14
「まさか生きて出られるとは思いませんでした。」
「――ここからの道も、楽とは言いがたいがな。」
レジデの言葉を受けて、フォリアも肩をすくめ苦笑する。
「確かに。後がないユリウス公爵に毒殺でもされないよう、貴方も私も精々注意しないといけませんね。」
口では皮肉を言い合いながらも、二人の纏う空気は明るい。
今後それぞれがどこに住居を構えるかは分からないけれど、流石に今日は王宮の一角に部屋を用意してもらった。
城内でもダンスホールなどが無いこの居住区エリアは、夜の帳がおりた今の時間はゆったりとした、穏やかな空気が流れる。
本来廊下ですれ違うはずの人々がいないことを除けば、厳戒態勢の事なんて忘れてしまいそうな雰囲気だ。
そうしてそこを通る私たち三人もまた、いつもの姿と少し違っていて。
陛下の前に出る為にと、最低限だけれど整えられた身なりは、私は金髪のウィッグに淡い萌黄色のドレス。
人型になったレジデはアルテイユ騎士団の騎士服。そこにいつもの魔剣士姿のフォリアがいる。
何だか不思議な感じがして、三人で顔を合わせては、くすくすと笑ってしまう。
そんな二人と別れがたくて、笑いながら階段を上り、彼らに宛がわれた部屋の前まで一緒に進む。
と、飴色の扉を見て、小さくフォリアがぼやいた。
「何だ。結局、お前と部屋は一緒か。」
「そう露骨にがっかりされると、どこへ行くつもりだったのか、勘繰りたくなりますね。」
二人の軽い遣り取りを聞きながら、くすくす笑う合間に、小さく欠伸が出る。
うん。流石に私も限界だ。
「じゃぁな。おやすみ。」
「おやすなさい。トーコ。」
ふわわと欠伸をする私を見ながら、手を扉にかけるフォリアと微笑むレジデ。
もう何日まともに寝てないだろう。
思わず日本語で挨拶をする。
「?」
「ああ。ごめんなさい。”おやすみなさい”と言う意味です。」
キョトンとする二人に、笑って説明する。
すると笑って私に同じ言葉を返し、小さく手を挙げて二人は部屋に消える。
うん。ありがとう。
そのまま廊下を進んで、一人静かに私の部屋に入る。
本当は、女性と男性の部屋を同じ居住エリアに取ることは無いのだけど、今回は特別に許可を貰った。
派手になり過ぎず、温かみのある調度。ほんのりとした花の香り。
――やっぱりファンデールの部屋の趣味。好きだなぁ。
明かりもつけずに、そのまま一階の中庭に面したバルコニーに出れば、遠くから柔らかな音楽と、人々の笑い声。夜の虫たちの声が暖かく心に染み渡るように聞こえてきた。
ああ――。私は本当に、自由だ。
「……もう、良いのか。」
身体を預けていたバルコニーの欄干に、いつの間にか、大きな男の背が掛かる。
大小二つの月が、故郷には無い二重の淡い月影を作り出す。
視線を動かすことなく、その揺らぐ月影に微笑みながら頷いた私の目の上に、思いもかけず、優しく男の手が乗った。
お前のその泣き顔は――、初めて見たな。
ぼそりと呟かれた言葉は、胸に抱きとめられながらも、暖かな夜の喧騒に淡くとける。
悲しみも声も無く、ただただ溢れる涙。
背中から抱きとめられたまま、目の上に置かれた掌が暖かい。
お前は良くやったと、豊かな低い声が耳朶をくすぐる。
労われるとは思わなくて――。静かな優しい衝撃に、小さく喉の奥が鳴った。
「――残るか……?」
彼自身、答えの分っている問いに、緩く首を振る。
例え意味分かられなくても、二人に別れを笑って言えた。――言ってくれた。
それで充分だ。
最後に過ごしたほんの一瞬は、まるで昔の三人みたいで―…。
もう思い残すことは何もない。
「なら――俺のところに来るか?」
どこかで小さな夜会でも、終わったのか。
さらさらと流れる噴水の音にまぎれて、小さな拍手が風に乗って耳に届く。
癖のある上司流の、小さな冗談。
草花が立てる小さなささやきに微笑み、ゆるやかに首を振る。
やがて滲む月もその本来の姿を取り戻し、天高く甘く優しく輝きだす頃。
そんな誰もいない初夏の庭を――、風が優しく通り過ぎていった。