ロアの祝祭 5
姫さ……。姫さま。
「ん……。う――」
「姫さま、起きて……ませ。ひめさ――」
そう深くもない眠りの底に、聞きなれたリルファの声が届く。
珍しく強引な感じに起こされて、眠りの残滓を引き剥がすように体を起こせば、そこは知らない世界だった。
ええ……と?
天井に描かれた神々の物語は、絢爛豪華なフラスコ画。
それを彫刻を施された寝台の柱が支え、大神殿特有のぴんと張り詰めた空気のかわりに、人工的な甘い花の香りが舞い踊る。
――ああ。そうか。
ここは……クリストファレスの王宮だ。
耳を澄ませば、遠くから華やかな喧騒が聞こえる。
きっと分厚いカーテンの向こうは、煌々と明かりがついた王宮の庭が見えるだろう。
祭りを控えたクリストファレスの王宮は、今夜は眠らない筈だ。
部屋をぼんやりと見渡していると、すっと手渡された薄荷水が口に優しい。
「で、どうしたの?――まだ禊の時間には早いようだけど……。」
今日はいよいよロアの祝祭。
警備の関係もあって昨晩から王宮に来ていたのだ。
祭りのメインイベントが日の出の瞬間なので、禊を始めるのは、まだ夜暗いうち。
とは言え、まだ日付が変わったくらいの時間なんじゃないだろうか……?
かなり早い時間に就寝したから、逆に体感的には夜中の3時に起こされたような、そんな唐突な感じが否めなかった。
「リルファ?」
困惑したままの風のリルファを覗き込もうとして、反対側から声が聞こえた。
「私が起こしてもらったのですよ、姫。」
「!!」
あわてて振り向くと、天井の絵画から抜け出したような、シャムールが寝台の脇に立っていた。
「何故、貴方がここに?」
王宮で出された寝巻きは、神殿でいつも着ているものよりしっかりしてて、少し華美だ。
部屋着といっても通るくらい。
とは言え、ノーブラ寝起きで会いたいわけは無い。
肩に持ってきてもらったショールをかけて寝台から出ると、いつも涼しげなシャムールと相対する。
「何か起きたの?」
虫も殺さぬ顔をして、この男が冷血で強引なのは知っている。
けれども、寝ている部屋に強引に入ってくるのは、何だか「らしく」無い気がした。
「――皇帝がお呼びです。」
「!?」
しゃらりと揺れる髪。にこやかに笑う微笑が、いつもよりもさらに作り物めいている。
「今、から?」
夜伽にさしだせと言った、目だけがぎらぎらと光った老人を思い出す。
――まさか。
いやな予感に、ぶるりと体を震わせると。
「安心してください。流石に今夜、閨に連れ込む気ではないと思います。」
「――今夜と限定されるのが、いやな感じね。」
その言葉に、ばさりと寝台の上に衣装が投げ出される。
「今後も閨に引きずり込まれたくないならば、早く着替えて下さい。先日のように、一言も反応せず、聞き流していれば、皇帝の興味も尽きることでしょう。」
衣装の中に、鼻と口元を隠す、白いベールが入っている。
そういえば、見えない繭に閉じこもっていた時に、一度皇帝が見に来た気がする。
今思えば、反応がまったく無い私に、興味が削がれたように見えた。
「大神殿でしたら、どうとでも断れたのですが、ココで断っても別の人間が強引に連れて行くだけのことです。ならば、私の目の届くところで面会をして頂いたほうが安心です。」
「……分かったわ。それで、どこに行けばいいの?」
「テッラ専用書庫です。」
* * *
北の軍事国家の主、ケイガル・ドーア・スタルヒン・クリストファレス。
私から見たら生ける悪魔だとしても、この国にとっては違う。
周辺諸国を取り込み、内乱を抑え、巨大な軍事国家を作り上げた神のような存在だ。
光の教団を国教にまでした皇帝は、常にテッラに強い関心があったのだろう。
私はシャムール・ギザエットに連れて行かれたその部屋で、演技ではなく言葉を失った。
――何、この量。
そこは、図書館というよりは、博物館のような部屋だった。
数々の書籍が壁一面にずらりと並び、所狭しと並べられた陳列棚には、見知った故郷の品々が並んでいる。
ま新しいエアコンのリモコン、古ぼけた機関銃、第二次世界大戦時の軍服、古ぼけた蓄音機、レトロな携帯ゲーム機もある。
世界各国がごぞってカケラを捨てた『時の館』ほどではないけれど、一国が集めるには十分異常な量だ。
しかもこの陳列棚――。
何とはなしにある法則性を見出して、一歩踏み出そうとした所で、無言で肩をつかまれる。
動くな。そして、話すな。
そういわれた気がして、無言で近くの椅子に腰掛ける。
――と、同時に、正面の扉が大きく音を立てて開かれた。
入ってきたのは輿に乗った皇帝と、幾人かの軍人。
追従の者たちというよりは、純然たる護衛なのだろう。視界の端に映る、誰何の目が厳しい。
皇帝は一頻り部屋のなかを警戒させた後、ゴミでも払うかのように、杖の一振りでシャムール以外の人間を全て下がらせた。
「――まだ正常な意識は戻らんのか。」
「はい。面目次第も御座いません。」
どこまで鋼の心臓なのか。
こんな時でもシャムールの声は涼やかで、微笑にも仕草にも、一筋たりともブレが無い。
不機嫌そうに鼻を鳴らしながらも、皇帝はその猛禽類のような目を細め、部屋の中をゆっくりと歩き出す。
どうやら今日は機嫌が良いらしい。
というか――いや、いっそ浮かれているように見えた。
くっくっくと笑いながら、その骨と皮の皺だらけの手に、いきなりベール越しに顎を取られる。
「もうファンデールはこの手に落ちたも同然ぞ。長年の悲願を邪魔立てするものもおらぬわ!」
「―――…。」
「地べたに這い蹲るあやつに、孕ませたお前を見せつければ、どんな顔をするかの。慈しんだ隠し子が――、手塩にかけた王国が――、我の手に落ちる。考えただけで、ぞくぞくするわ。」
爛々と目を輝かせながら怪物が私を覗き込む。
強い恐怖心と嫌悪感が背筋を駆け上るも、シャムールの『今後も、閨に引きずり込まれたくなければ――…』その言葉を必死で思い出し、何一つ反応を返さず、成すがままにされる。
するとやはり反応が無かったことが面白くなかったのだろう。不快そうに一瞥し。
「しかし、白雉では興味もそがれるわ。シャムール。本当に式典では大丈夫なのであろうな。」
「はい。前の神子姫と同じく、覚えさせた発言を繰り返させるのは、私には造作も無いことです。」
シャムールがいつものように、にこやかに微笑む。
けれど、――何とはなしに、違和感を感じた。
何だろう。
シャムールと皇帝の間が、なんとなく気安いような、冷たいような、そんな正反対の感情が胸に湧き上がったのだ。
「――もう時間が無いのじゃ」
搾り出すような声に、はっと耳だけ意識を向ける。
「先の乙女は死んだ。これを逃せば、勝機は無い。」
「―――。」
「今こそ、ファンデールを征服し、時の館から全てのカケラを奪い、そして天空の世界への扉を開くとき!」
熱に浮かされたような皇帝に、静かな声がかかる。
「若き時に目の当たりにしたテッラの御力は……、それほどまでに、凄かったのですか。」
「見たことのないお前には、分かるまい。あの尋常ならざる力。術者の言うことを聞かぬ気性の激しい精霊達が、いっせいに怯えて逃げ惑ったあの瞬間。一体どれだけの魔術師を投入すれば、山の形が変わるほどの爆発を起こせる!!」
「………。」
「痩せ細った険しく広大な北の大地が、憎かった。豊かなファンデールが憎かった。しかし!光気によって精霊達を支配下に置いてから、我が国は変わった!内乱が起きぬよう、徹底して魔法を使えなくし、国営の田畑にだけは精霊達の恩恵が十分に受けられるように細工をした。」
「………。」
「我は決して死なぬ!あの力をわが手に!」
我をテッラへ!
その搾り出すような叫び声に、この戦争の本質を垣間見た気がした――。




