ロアの祝祭 4
ひとしきり実験に満足したらしい。
結果をまとめる時間が欲しい。と兵士を呼んだ彼は、私を司祭長のプライベートガーデンに連れて行くように指示した。
フォリアが消えて半日。
皇帝への手前、大神殿は必死に平常心を保とうとしている。けれど、やはり空気は何処となく慌しくて。
その隠し切れない慌しさがフォリアの無事を証明しているようで、我知らず笑みがこぼれた。
「それでは、この場にて失礼させて頂きます。」
追従の女官達が平伏し、司祭長の庭への入り口を守る、血の色をした髪の兵士が扉を開ける。
シャムールは午後まで来ないらしい。
後ろで扉が閉まる音を聞きながら、久々の『ひとり』を堪能しようと、昼食が用意されている東屋に向かう。
趣向を凝らした小路を通り抜け、東屋が見えたところで――、風の動きに逆らって、がさりと木の枝が揺れる音がした。
「――…!?」
視界の端に黒い塊が掠める。
顎を引き身体を守りながらも、半ば無意識に拳を突き出す。
「……っ!」
ここは司祭長のみが入れるプライベートガーデン。
直感でフォリアでないと分かれば、確実に相手は不審者だ!
鳥になってから習った護身術で、唯一ものになった型に嵌めようとして――、けれどもそんな私の抵抗も物ともせず、素早く後ろに回りこんだ人間に口をふさがれ、腕を捻りあげられた。
「つっ!!」
こいつ!!
「遅い。動きが逆だと、何度言ったら分かる。」
――信じられない声が聞こえた。
理解するよりも、身体がびくりと硬直する。
見知った声は、本来この場にいない筈のもので……。
絶句したまま、後ろを振り向く。
そこには、クリストファレスの冬より尚冷たいアイスブルーの瞳が、冷たく私を見下ろしていた。
「……なん…で――。」
どうして、貴方がここにいるの。
ここは最も警護が厳しい場所のひとつ。おいそれと入れる場所ではない。
そう思えば、答えは一つしかない。
ぎりりと、相手を睨みつける。
シルヴィアの古塔に迎えに来たのは、彼だ。
この場にこんな軽装で入ってこられる事自体、この元上司がクリストファレスの人間であると言う証明に他ならない。
ましてや、あのエルザに似た肖像画。
強い怒りが瞳にのる。
レジデ以外にも、騙されていたのか――。
充分ありえることなのに、何故だか傷ついている自分に腹が立って、盛大に文句を言おうと口を開く。
けれども。彼の動きのほうが早かった。
シグルスの手が更に私を締め付け、問答無用とばかりに、すばやく近くの木に押し付けられた。
「静かにしろ。声を出すな。」
片手で難なく私を拘束した男に、言外に冷静になれと言い放たれて、怒りと共に至近距離にある顔を睨みつける。
「よくも、ぬけぬけと!! エルザもあなたも、クリストファレスの手先の癖にっ――」
思わず小さく落とした声。
それでも必死に相手に噛み付く。
すると目の前の男は、相変わらずの冷たい表情のまま――けれども、ほんの少しだけ不快そうに眉を寄せた。
「落ち着け。馬鹿者。」
「――!」
「エルザの名を出すと言うことは……、お前も秘密画廊に入ったのか。」
そう問われて、睨みつけたまま首肯する。
先ほどより近づいた、彼の冷たい目に変化は無い。
けれども睨みつける私に、何を見たのか――。
諦めたように、小さくため息を返された。
「あれはエルザの母マリア。ファンデールに亡命した――唯一の人間だ。」
その言葉に、思わず眉を寄せる。
え……。
その言い方だとまるで――。
「エルザにも神子姫の血が流れている。正確には、俺とエルザとは兄妹ではない。――血縁関係ではあるがな。」
なっ!
「……信じ、られない。」
慎重に言葉を返す。
神子姫はクリストファレスにとって、光気を宿す貴重な存在。
一人の女性がこの大神殿から自力で逃げられるわけがないよ。
それに彼が裏切り者ではないならば、何故こんな最奥まで入り込めたのだ。
先程の言葉以上、自分とエルザの関係を話すつもりが無い男に、そう問う。
すると、冷たい一瞥が返された。
「お前はファンデールを甘く見すぎだ。ウィンス卿が単身、この地に乗り込んだと思っているのか。」
「あ……。」
「クリストファレスに深く入り込んでいる人間は多くいる。でなければ、ウィンス卿をお前の元に送り込むことも出来まい。」
それって――。じゃぁ、もしかして。
「フォリアを潜入、脱出保護したのは……。」
視線で肯定が返される。
「俺たちだ。」
そうか。フォリアの後ろの組織は……、シグルス達だったのか。
身体から力が抜け、ずるずるとその場にへたり込みそうになる。
ならば、フォリアの身は安全だ。
考えれば、シグルスとフォリアは私が入る前から、フェルディナント二世が張り巡らせた猟犬達だった。
様々なカードを隠し持っていて当然なのか。
安堵で力が抜けた私に、静かな声が降る。
「ウィンス卿から話は聞いている。単刀直入に言おう。我々としてはアーラ。お前だけでなくレジデールも保護したい。」
レジデ……?
「どうして。」
彼の名に、再び強い警戒心がもたげる。
このままこの地にいたらレジデは必ず殺される。
けれど、ファンデールがレジデを捕まえて、重罪人として裁くのであれば、違いは無いよ。
「レジデールはユーン公爵がクリストファレスと通じてた生き証人。こちらとしては罪人が欲しいのでは無く、詳細な情報を持っているレジデールが欲しい。」
「――。つまりフェルディナント二世は、フォリアの弟のユーン公爵がクーデターを起こそうとした事を把握しているの?」
淡々と話す灰色狼から是と返る。
「幼少時のシルヴァンティエ姫誘拐事件もユーン公爵家が絡んでいる。しかし筆頭公爵家が国家転覆を謀ったと諸外国に知れれば、ファンデールは難しい立場になる。」
中央集権国家で、最も重い罪。
下手をすれば足元を掬われかねない事態に、ファンデールは正確な情報を引き出す必要があるのか……。
きりりと、小さく唇を噛む。
フォリアが話したと言うことは、ある程度は信用していい筈だ。
とは言え、全面的に信用するには抵抗があるよ――。
そんな私の葛藤を見抜いたのか。
彼は淡々と幾つかの新事実を説明してから、静かに目を細める。
「ここまでの話は、本来は極秘事項だ。情報は持つべき者以外には、毒にもなりかねん。」
じゃあ、何故私に……。
不可思議に思っていると、
「今回の情報開示の理由は、お前が暴走しないようにだ。」
他にどんな理由がある。と、言葉に詰まった私に一言、投げられた。
「また勝手な行動をされると困る。自重しろ。」
勝手にレジデと約束して、春祭りの場から拉致された身としては、ぐうの音も出ない。
「なら、逆にレジデだけ先に逃亡させることは出来ないんですか。」
「命を損なわない状況下ならば、少し泳がせてからの保護が望ましい。――これが組織の見解だ。」
すぐに殺されないと、知っているのか。
「でも!!」
「落ち着け。お前を保護するために、何人の人間が命をかけてこの地にいると思う。」
「――!」
焼け付くほどの焦燥感の私に、脳天から冷たい水をかけられたような衝撃が走る。
今の私はレジデの身の安全だけしか見えていない。
けれども、私の前にフォリアやシグルスが現れるために、どれだけの人々が、どれだけの危険を犯したのだろうか――。
それは、この国に来て、初めての衝撃だった。
この北の大地にさらわれてから、レジデの、フォリアの、二人の命さえ無事ならば、あとは何もいらなかった。
いっそ世界が滅びたって、どうでも良かった。
けれども違う。――違うんだ。
「――お前の”鳥”の仕事は終わっていない。」
呆然とうつむいていた私はその一言に、はっとする。
数々の命を、運命を、責任を、その肩に背負ってきた男の瞳と、真っ直ぐに相対する。
「例えお前が何者であろうが、お前は陛下に忠誠を誓った。お前の白い鳥としての役割は終わっていない。なすべき事をなせ。」
「――…。はい!」
二度と元の世界に戻れない。
けれども、まだ出来る事はある。
アーラでは無く、トーコでも無い、白い鳥でも神子姫でも、そして橙子でも無い、ただの「わたし」が出来ることがある。
そう思った。