ロアの祝祭 1
「新たなお勤めは、気に入って頂けたようですね。」
同じ中庭で。
世の中の汚いことなど、何一つ知らないような男が、私に清らかに微笑みかける。
私のどす黒い怒りも、強い羞恥心も、全てが昨日と同じ。
ただ一つ違うのは――、後ろに一人の男が控えていることだ。
微笑を浮かべた糸のような瞳。
異国風の衣装に、特徴的な弧をかいた細い眉。
同じ金髪の二人でも、シャムールの流れるような白金の髪とは対照的に、そのうねった短い髪は赤み掛かっている。
予想通り。シャムール・ギザエットの後ろに控えた男は、空中庭園ですれ違った不審者だった。
「その話は、したくありません。」
薬の影響なのか何なのか……。
男の腕の中で意識を失った私が目を覚ましたのは、日もすっかり高い頃。
いつ自室に連れて帰られたかすら、全く記憶に無くて――。
人生初の醜態の数々に、ひとり心の中で青くなったり赤くなったり。
そして、そんな事まで全て報告を受けているであろうシャムールの元に、問答無用で連れてこられたのだ。
一体、今更何を話す必要があるというの。
一言で言うなら、不機嫌の極致。
そんな押し殺した私の声に、後ろの男は感嘆の溜息をつく。
それは、顔を半分隠す衣装の神子姫――つまり私が――自分の記憶の人間と一致した事への、強い喜びの溜息だ。
強い警戒心を持ったまま、男に視線をやれば……、いたずらっ子が嬉しくてたまらないと言ったような顔で、静かに顔を伏せている。
狂信者達が浮かべる、妄信的な濡れた瞳とは違う。
けれども、明らかに他者とは違った思考回路を持つであろう、この男。
この男は――。
警戒も顕に睨みつける私に、くすりとシャムールの笑い声が響く。
「どうやら姫は、彼が気になるようですね。――それでは先に、ご紹介致しましょうか。」
秘炎のラ・テルラ。
そう紹介された男は、踊るような軽やかな仕草で、異国風の礼を返す。
「新世代の神子姫さまのご尊顔を拝謁出来、恐悦至極に御座います。」
「………。」
「そして――何よりも。またお会いできましたね。レディ。」
喜び溢れたその言葉に、何と言っていいか分からない。
けれどもその発言に、シャムールが小さくしゃらりと首をかしげた。
「ファンデールの空中庭園でお会いしたのですよ。」
視線だけで問われた男は、何も隠すことなど無いと言わんばかりに、春祭の空中庭園で会った話を披露する。
「頂いたカケラは非常に役に立ちましたよ。王宮を縦横無尽に動けたこともありますが、このレディに会えたことが、一番の収穫でした。」
たっぷりとした袖の中から、小さな袋を取り出して小さく振る。
シャムールを司祭長と敬いながらも、その言葉はどことなく気安く聞こえた。
「じゃぁ……あの時、貴方が空中庭園に入り込めたのは……。」
レジデが中庭に落とした袋と同じ布地を、複雑な気持ちで見つめる。
あれだけ厳重な警備を掻い潜って、乙女達の庭に潜り込めた方法は、今ならばわかる。
レジデと同じくカケラの光気を使って、隠し扉のロックを解除したんだ。
庭園の奥は暗かったし、乙女達の関心は白いテラスと光の華のみ。
人目につかないように、こっそり入り込むことは充分出来た筈だ。
「ええ。カケラのお陰です。正面からだけでなく、自分の作品を様々な角度からチェックしたかったのですよ。レディ。」
「自分の、作品?」
「はい。ロアの祝祭では、もっと華やかなものを予定しています。期待していて下さい。」
訝しげな私に、男は嬉しそうに言葉を返す。
教団の信徒には見えないのに、この用心深いシャムールが部外者にカケラを渡した事は正直意外だ。
でも、今問題なのはそこじゃない。
第三国の人間まで、縦横無尽に動けるファンデール王宮のセキュリティ。
迫り来るロアの祝祭。
そして花火を自分の作品と言う男――。
そこまで考えて、この男がここにいる意味を知った。
「もしかして……。精霊が動かない状況で、『火薬』を使うつもりなの――…?」
高価な魔石をすりつぶして、最も気性の激しい火の精霊を閉じ込め、精霊を殺す衝撃で、爆発を起こす。
それがこちらの世界の、『火薬』の常識だ。
けど魔術師に頼んで火の精霊を操り、いくらでも安全に爆発を起こせるのに、リスクを犯してそんな馬鹿高いことをする人は、普通いないよね。
だからこの世界で火薬文化の地位は、非常に低い。
……けれども、それが常識外れであればあるほど、対策が採られていないという事で――。
カケラを使って精霊を麻痺させ、国防の要を壊す。
そして白兵戦で、ファンデールの王都に乗り込む。
「そこで、水の都を無傷で手に入れるもう一つの鍵が――…、火薬を操る貴方。なのですね。」
淡々と並べたピースに、シャムールは優しく微笑み、ラ・テルラは破顔する。
「光の華の原材料が火薬である事。そして、火薬の材料が鉱石である事を、こんな年若いレディが見抜いた時には本当に驚きましたが――…。」
くすくすと笑い声さえ聞こえそうな、上機嫌な声。
今はこの国で、北の地にしかない鉱石を使って、新たな火薬を研究していると言う。
「レディ提案の白一色の光の華も、今回再現予定なのですよ。雪の残る北の国だからこそ、美しい物になるでしょう。」
「………。」
あまりに楽しそうな様子に、背中に冷たいものが走った。
王都に爆弾をしかける話も、夜空に美しい花火を咲かせる事も、この男にとっては同じなのだろうか。
光の華と爆発物との違いを、まるで手品の種を明かすように、夢中で話す様子は、無邪気そのもので。
また、血が流れる――。
剣で、火で、多くの人が死ぬ。
美しい水の都が、そしてシルヴィアの眠る王宮が、火の手に包まれるのだ。
脳裏に浮かんだ情景に、胃の底が、冷たく重みを増した。
「しかし、司祭長。レディが比類無いコウキの持ち主ならば、もう一つ、実験を。」
思いついたように、くるりとシャムールを振り返る。
「もう一つ、ですか?」
「そうです。昨日の事前実験は、星屑のランプの近くで、光の華が正常に作動するかの実験でした。」
しかし、星屑のランプ全てよりも、生きている私の方が光気は強い。
「ならばレディの近くでも、正常に光の華を咲かせる事が出来るかどうか、その実験をさせて頂きたい。」
無言で小さく眉を寄せた司祭長と、糸の目でにこやかに微笑み続ける花火師。
二人の間に、そよりと風が吹いた。
そして。
無言での会話に折れたのは、珍しくシャムールだった。
「――そうですね。姫をお守りする際に、火薬を使えるかどうか知っておく必要があります。……宜しいでしょう。」
明朝。裏のテラスで――。
逃げ切れない戦争への駒が、また一つ、進められる。