信ずるもの 17
「―……―っ!!」
粟立った肌を煽るような、首筋へのキス。
素肌に感じる男の手の動きは、明確で。
「ね!……ちょっと、フォリアっ!! どうしっ、――…んんっ」
「――…。」
うるさいと言わんばかりに、唇が合わさる。
おとがいを強く持たれたまま、噛み付くように受けたキスは、衆人環視の混乱のまま受け入れたレジデの唇とは違って、逃げ場が無い。
幾度も深く重ねられる口づけ。
フォリアの熱い舌先が、こじ開けるようにして歯列を割り、逃げ惑う私の舌先を絡め取る。
「は――…ぁっ」
いつの間にか、甘い甘い香りが、肌にまとわりつく。
『蒼の司祭の持っていた香壷には気をつけて下さい。あれは――』
少し刺激がある、甘い香り――。
これ……、この匂い――。
もしかして、レジデが言ってたっ――!
『皇帝御用達の、非常に常習性のある……』
淫薬だ。
熱く追い立てられる呼吸の合間、その事実に気がついて、ぞっとする。
いつの間に――。
混乱したまま、この香りが催淫剤であることと、これ以上吸い込まないようにと伝えようとして――、ざらりと伸びた無精ひげが、素肌にかすった。
「ふっ……!」
寒いほどだった肌は、燃えるように熱く、眩暈がする。
こんな少しの刺激だけで、他愛無く思考は霧散する。
立会いがいらないって――…、最初から薬を使って……こうさせるつもりだったの?!
「駄目だ……って!」
色々な感情が混ざり合い、それでも辛うじて、術者と時間を合わせる行為は、相手の思う壺だと、焦りながら伝える。
けれども。
「あいつには、肌を許したのに?」
「ちがっ!!」
情欲にまみれた、ぞくっとするほど蠱惑的な顔で、フォリアは小さく苦笑する。
「レジデとはっ……んんっ」
答えがどうであろうが、どうでも良いと言わんばかりの激しい口付けに、言葉は飲み込まれる。
吸い付くように素肌の上をすべる彼の手は――、時間を稼ぐ為の、立会いに見せるパフォーマンスの為の動きとは違い――、遠慮も、迷いも無く、明確にオンナを欲する男の動きで――っ。
コーヒー・ココア・チョコレート。
玉露すら催淫剤になった昔と違って、刺激物に慣れきった現代人に、淫薬は効かないと昔、テレビで見たことがある。
催淫剤の殆どが、ただのプラセボ効果。
とは言え、こうも追い立てられたらっ――……!!
飲み込めない唾液が溢れ、二人の間に銀色の橋が架かる。
その向こうに見た、鈍い瞳の光。
首筋にかかる、蒼銀の髪。
え――?
フォリアの髪の変色が、明らかに増えているのを見て、思わず目を見開いた。
やっぱり――、魔力を使うのが、相当辛かったんだ!
その髪の一部は、完全に銀色に変じている。
その色に、いきなり銀の髪の彼女の言葉が蘇った。
『魔力を使いすぎると? んんーーー。魔力が使えなくなる?』
『あ~~~。あとね。自制が効かなくなる。』
『強い精神疲労で、精神の一部が麻痺するんだ。だから魔術師が、犯罪を犯すタイミングの多くがこの時。危険。』
『酷い戦争の時、後方部隊の魔術師が暴走して、狂う時があるくらい。』
『見分け方?髪の色が変わる時があるけど――……。元の色知らなかったら、見分け、つかないよねぇ。』
淫薬のせいだけじゃない。暴走しているんだ。
そう気がついて、目を瞑り……。
シーツをぎゅっと握りこむ。
男性経験が無いわけじゃない――。
自分の体で、彼が楽になるなら、何を嫌がることがある?
一度身体を重ねたくらいでは、術者との時間は合わないと聞いた。
なら――。
去来する様々な思いが去るまで、どれ位の時間が経ったのか。
覚悟を決めて、身体から――……力を抜いた。
けれども。
「――…。どういうつもりだ。」
憐憫か。
との一言に、かっと頭に血が上って、揺らいだ視界のままフォリアを睨みつける。
「じゃぁ、どうしろって言うの!どうすれば良いの!」
限界なのは、私も同じだ。
逆切れだと分かっていても、耐え切れずに、睨みつける。
その拍子に、困惑と混乱の涙が、眦から転がり落ちた。
「いい加減……、すべてを抱え込もうとするな。」
え――?
思い掛けず、眦を優しくぬぐう指先。
「お前は……もう少し、怒れ。俺たちの為でなく、自分の為にだ。」
その声も、瞳の色も、狂おしいほどの情欲をのせていた先程とは、打って変わって、冷静で――…切実で。
麻衣子が殺されたこと。
故郷に戻る最後の術を失ったこと。
そして――それらを悲しむ間も与えられず、子を成す機械にされるべく始まった、立会い…。
それらが脳裏を駆け巡り、一瞬で消え去る。
複雑な生い立ちのフォリアが、様々な薬に耐性があるなんて知らない私は、その彼の行動が、理解できない。
けれども鈍った頭の片隅で、私をわざと怒らせようとして煽ったのだと――、それだけは辛うじて、分かった。
駆け巡った怒りは、申し訳なさと、強い虚脱に代わり、思わず全身から力を抜く。
わざと……だったんだ。
安堵と混乱と、綯い交ぜになった気持ちで泣きたくなる。
なのに――。
「ちょっ!?」
俺はもう二度と、あんな内に籠もるお前を見たくない。
そう耳元で囁かれた、いつものフォリアの声。
拘束していた手が降りて――、するりと、乱れて剥き出しの脚を撫でる。
「フォリ――!?」
「何も考えるな。頭を真っ白にして、一度全部忘れてしまえ。」
自分自身を、見つめろ。
誤魔化すな。悲しみ、怒れ。
耳朶を甘く噛まれながら、そう囁かれた言葉は、もう理解することが出来なくて――。
先程までの、強い情欲に支配された、嵐のような愛撫が一転して――、優しく、甘く……けれども、決して逃がす事無く、冷静に私を追い詰める。
経験したことが無い程、幾度も甘やかに追い立てられて、視界が光で真っ白に染まる。
この地で生きろ――。
その言葉を最後に、私の意識は光の渦に消えた。