信ずるもの 9
翌日から、警備の数が増えた。
武装した信徒では無く、訓練された兵士達が部屋の内外に立ち、宛がわれた部屋も神子姫の部屋から、完全に抜け道の無い部屋に変えられた。
女官長のリルファが甲斐甲斐しく部屋の雰囲気を和らげるも、帯剣した屈強な男達が部屋にいるとなれば、殺伐とした空気は消せはしない。
「御不快に感じられると存じておりますが、しかしこれも姫様の御身を守るため。どうぞ御寛恕願います。」
せめて見目の良いのを選びましたといわれても、どうしろと言うのだ。
北の人間は、肌の色が白く、瞳の色素が薄い人が多い。
一人二人、赤い髪など色合いが違う兵士がいるけれど、それがかえって猛禽類や血を連想するようで、殊更息苦しく感じるよ。
以前にも増して崇拝の眼差しを強くする世話係の信徒達と、血生臭い兵士に囲まれながら、そろそろ一日が過ぎようとしていた――。
「ねぇ、リルファ。どうしてシャムールは、……司祭長は、来ないの。」
出されたお茶にも手をつけず、落ち着かない気持ちで、傍に立つ女官長に声をかける。
――正直、以前テッラ人の疑いをかけられた時みたいに、他の大司祭や皇帝が出てくるかと思っていた。
なのに、もう夕餉も過ぎた。
決して二人の命を損ねない――それどころか、手厚い治療を受けている可能性すらあるとは言え、何も説明が無く、放置は辛い。
けれども。
「昨夜の一件は、本当にごく限られたものしか知りません。司祭長様は、……皇帝陛下にも内密にするようにと、厳重に緘口令を敷かれました。――ですので、従来の予定通り、祝祭の準備に明け暮れていらっしゃいます。」
慎重に話すリルファのその言葉に、思わず眉が寄った。
皇帝にまで緘口令?
「――…何で?」
一瞬の間があった。
「皇帝陛下におかれましては、そのお力は全てにおいて、常人の及ばぬ所に御座います。 ですので…、その、姫さまを閨に――との、お言葉が御座いますと……。」
非常に言い難そうなリルファの言葉を繋げると、つまり何だ。
変態絶倫皇帝に、閨で性交死させられる可能性があるって事らしい。
――あの老人、幾つよ……。
絶句しながらも、その話を聞いて合点がいった。
確かに、私のスケジュールも、兵士が増えたり、部屋を変えられた除けば、まるで昨夜のことなど無かったかのように、変化が無い。
ボイコットする気力も無く、与えられた神子姫としての務めを淡々とこなしたけれど、なるほどね――…。
「つまり私に家畜のように、一定数の子どもを産ませるつもりだから、あまり早く殺されては困る――と言うことか。」
思わず考えていたことが、口をついて出る。
「姫さまっ!」
総毛立って、家畜だなんてとんでもない!と否定する女官達に、何。と、冷めた視線を返した。
男性経験が無い十代の少女ではあるまいし、既に覚悟は出来た。
教団から逃げ出せない限り、私は生きていれば子供を産む道具であり、死んだ所で戦争と侵略の道具になるだけだ。
二人を無事にここから逃がすまでは、――…どんな事も、瑣末な事。
まぁ……、犬に噛まれたと思えば、何とかなるだろう。
そんな事を自嘲めいて考えていたせいで、神子姫さまは誰よりも尊い存在です!との一人の女官の言葉に、思わず皮肉が出た。
「じゃぁ聞くけど、レジデの母君の神子姫は、どうして無理矢理レジデを産まないといけなかったの?」
決して本人が望んだ出産では無い――。そう、レジデ本人すら言っていた。
けれども、相手は盲信者。
これにも自分達で考えて発言しているのか疑問に思うくらい、早々と答えがあった。
「アラン・タトルの化身である神子姫さまは、神に近づく存在です。」
「神代の人間に近付く為にも、光気を宿す子を成すことは、神子姫さま方の重要なお役目の一つなのです。」
「神のお力でもある、光気を蓄えられる人間を途切れさせる事は、まかりなりません。」
………あ、そう。
口々に言われた言葉に、馬鹿馬鹿しくって、ため息しか出ない。
歴代の神子姫が子を成しても、同じように光気を蓄えられる人間が生まれる可能性は、本当に低いと聞いた。
それでも万が一の事を考えて、様々な相手と子を成させるならば、まさに品種改良の作業と何が違うのだ。
口早に答えた女官達を、呆れたようにぐるりと見渡す。
「大体、私が落ち人なら、そもそも前提が矛盾してるでしょう。神が、神に近づく為に修行をするの?監禁されて陵辱されて、望まぬ出産を続けるの?――本当は崇高な考えに基づいて、神代の人間に近づきたいんじゃなくて、侵略の為にテッラのエネルギーが欲しいだけでしょう?」
狂信者達に矛盾を指摘したところで、あっさり目を覚ますわけが無い。
実際、動揺したような女官は少数で、私が何を言っているか、さっぱり分からないと言った風情の女官が殆どだ。
けれども、口々に否定する彼女達の中で、視線を伏せているリルファを見つめて、はっきりと言った。
「結局、私は望まぬ出産を、この地で繰り返さなくてはならないのね。」
「――……。」
「レジデがテッラに返そうとしてくれたのを、この地に引きずり落としたのは、あなた達よ。そしてフォリアも守護の印を結んで、命を懸けて私を守ってくれた。――で。あなた達は?」
女官長から返答は無い。
予想通りなので、特に何も思わず肩をすくめる。
今更、彼女達に怒っても何も変わらないのは分かっている。
それでも自分が望んでいない、強制されているとわざわざ伝えるのは――…唯の、嫌がらせだ。
この世界を地獄と言った麻衣子には、せめてこの責め苦だけは味わう事が無かったのだと信じたい。
強い疲労感を感じながら、ため息を一つついて、改めて二人のことを思う。
少なくとも、フォリアには何か組織がついているはずだとレジデが言っていた。
だとすれば、彼だけでも逃げられないだろうか――。
私と術者の時間が合わない限りは、決して二人は殺されない。
もし一人だけでも逃げ切れれば、その間、もう一人は手厚く延命されるだろうし、時間をかければ、残されたレジデや私も抜け出すことは可能かもしれない。
ロアの祝祭が終われば、戦火が上がる。
侵略が始まってからフォリアが本国に帰ったのでは、今度は別の意味で彼の命が危ない――。
「じゃぁ、どちらにしろ二人には会えないのね。」
紅茶のカップの底を、ぼんやりと見つめながら独白した私に、リルファの声が静かにかかった。
「いえ。司祭長様から今宵はレジデールとの面会を許すようにと、お話を受けております。」
「え?」
意外な返答に、思わず顔を上げる。
「司祭長様は、以前、お心を閉ざされてしまいました姫様を、非常に心配しておられました。……ですので、神子姫さまのお役目を、姫さまが心安らかに自らなさって下さるよう、必ずお二方の片方と面会時間を設けるようにと、命を受けております。」
自主的に神子姫を勤め続ければ、二人への面会権を確保できるということ?
「じゃぁ、今から会いたいと言えば、会わせてくれるの?」
思わず腰を浮かした私に、女官達が平伏する。
「姫さまがお望みとあらば――…。」