信ずるもの 6
「様子がおかしいとは思っていましたが……。やはり裏切りましたね、レジデール。」
いつもと変わらず、一切の汚れを知らないような男が、涼やかな声で話しかける。
限界まで絞られた、多くの弓矢。
大広間に立つ、大勢の信徒。
幾つもの松明に輝くプラチナブロンドが、きらきらと光を跳ね返す。
――どうして、ここに……。
確かに、星屑のランプの間には、扉は二つあった。
廊下側の扉と、部屋の正反対にある、魔法陣の傍の大扉。
それでも私達が、大扉を警戒していなかったのは、唯一の鍵を持つシャムールが不在だったからだ。
でも、何故――。
「しかし、姫がご無事で何よりです。」
胸に、腕に、広がり続ける、鮮やかな赤と暖かさ。
赤く彩られた、皺だらけになった、一片の生気も残さない麻衣子の体から、戻すことの出来ない、命の源が流れ出す。
しゃがみ込んだ私を認め、花がほころぶように笑うシャムールの瞳には、私の腕の中で息絶えた麻衣子の姿も、背中に深々と刺さった矢も、広がる血痕でさえ、目に入っていないかのようだ。
壊れた人形のように、ゆっくりと視線を戻せば、血の海の向こうに見えるのは、片腕を矢の犠牲にして、辛うじて致命傷を避けた、苦悶の表情のレジデ。
幾人もの僧兵を、たった一人で相手をしていたフォリアの崩れ落ちた身体は、ぴくりとも動かない。
ただ彼の首筋に打ち込まれた木の盾に、血痕がついていない事だけを、鈍い頭が幾度も確認する。
「それにしても……、まさか本当に姫がテッラ人だとは。」
歌うような声。
いつも涼やかで美しい笑みを絶やさない男の顔に、本当に優しい笑みが乗る。
「……ど、うして。」
どうして此処にいるのか。
どうしてレジデの裏切りに気がついたのか。
どうして麻衣子を殺したのか。
何が聞きたかったのか、分からない。
けれども、優しい微笑とともに、一つだけ答えがあった。
「姫さえいれば、子を産めぬ狂った先代は、もう必要ないでしょう。」
微笑みながら、目を細める。
「むしろ新たなランプになって頂いた方が、今後の役にも立ちます。」
ランプに、なる?
――…「圧」は霧散したのに、麻痺したように頭が働かない。
すると、シャムールが、ふと気がついたように、
「ああ。これは放っておけませんね。」
と、魔法陣の一部を、持っていた杖で軽く突く。
バチッ!と音がして、焼き切れるように魔法陣の一部が消え、こげた匂いが立ちこめた。
「ええ。お二人の神子姫に、光気を高めて頂いたとは言え、星屑のランプは圧倒的に数が少ないのです。 侵略を控えた大事な今、レジデールと二人、新たなランプになって頂いた方が、よっぽど今後の役に立ちます。」
視線の先で、テッラ人と異世界のエネルギーに反応する、不思議な白い星屑が、ランプの内側で踊る。
「じゃぁ――、」
喜び、歌うような、この白い砂は、まさか――。
「星屑のランプの正体は――…、テッラ人や歴代神子姫の……。」
人骨、なの?
ごくりと喉が鳴る。
呆然と見上げれば、掠れた言葉に、シャムールは優しく頷いた。
「ご推察の通りですよ、姫。」
「――。」
「最近では、星屑のランプを増やすために、純度を下げてしまいましたからね。彼女のランプは特別なものとなるでしょう。」
倒れ伏した麻衣子の姿を、愛おしそうに眺める。
言葉も無い私の後ろから、苦渋に満ちた低い声が問いかけた。
「いつから――…、疑われていた。」
無理矢理折った、腕に刺さった弓矢。
よほど太い血管を傷つけたのか、それとも矢尻が残っているのか、左腕で抑えた右の上腕は、濃い灰色のローブにも拘らず、濡れた血で色の変色がくっきりと分かった。
「レジデールが、心を壊した姫の為に、温泉を薦めたと聞いた時ですね。」
「――…。」
「心を痛めるふりは出来ても、全てに無関心なレジデールが、何故姫にだけ関心を示したのか。――…まさか、本当にテッラ人とは思いませんでしたが、お前が裏切るならば、姫の為だろうとは思いましたよ。」
その言葉に、瞳に自嘲のような感情をほんの一瞬浮かべ、レジデは小さく目を伏せる。
あれは、レジデが手配してくれたものだったの……。
「本来ならば、王宮に送られるほどの重罪。けれども最後の奉公です。レジデールも微弱とは言え、光気の持ち主。同じランプになれば、――…も、喜びましょう。」
何かで喉を絞られたように、声が出ない私の前で、きりきりと、レジデに向かって引かれた弓が、シャムールの言葉と共に、しなりを上げる。
「姫を見つけてきたこと、光気枯渇時代を支えたこと、そして姫が本物のテッラ人だと証明した事を鑑みて――最も栄誉ある『穏やかな死』を、姫にこの場でお約束致しましょう。」
「――……!」
私に向かって美しい微笑を保ったまま、姫の御前をこれ以上汚すなと、シャムールが、簡単な指の動きで僧兵に指示を出す。
決して逃げ切れることの無い、多数の弓矢と剣の前で、レジデの残された命は、――私がこの部屋を連れ出されるまでの、ほんの僅かな時間しかない。
鼻に付く、鉄錆びの匂い。
おもちゃのように捨てられた、麻衣子の身体。
この世界は、こんなにも命の価値が、軽い。
「―――……!」
私が絶望に染まるよりも早く、目を伏せたレジデが顔を上げ、私の目を見て、トウコと、口の動きだけで私の名を呼んだ。




