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世界のカケラ  作者: viseo
崩壊編
137/171

信ずるもの 4

 冷静にならなければ、穏やかに話し合わなければ……という自制が、その言葉で――切れた。

「何で、信じなかったんですか!!」

 制止しようとするレジデの腕と声も気にならず、夢中で叫ぶ。

「私じゃない!――子ども達とご主人を、どうして信じてあげれなかったんですか!」


 玄関まで散らばった、色とりどりの拙い折り紙。

 ママが帰ってきてもベッドからお花畑が見れるように、お空にお花畑を作るの!

 そう言って、百までも数えられない子ども達が夢中で折った、山ほどのチューリップ。

 千羽鶴が折れない二人の子どもが、一生懸命願いをかけて折った不恰好なそれを、照れくさそうに、でも嬉しそうに寝室の天井に貼る父親の姿。


 ――悋気と疑心暗鬼と妄想による、凶行だと思っていた。

 けれども現実はもっと凄惨だった。

 妊娠した新たな「嫁」の写真に、私の写真を利用したということは、不倫の事実も離婚届も、きっとありはしない。

 全てが彼女を追い詰めるために用意された、周到な罠だったのだろう。 


 けれども、身が引きちぎれそうな程の、自分勝手な悔しさが、身体を駆け巡る。

 甘い香りが、嫌悪して止まない、薔薇の香りとなって纏わりつく。

 ――頭では、分かっている。

 夜逃げ同然で絶縁した恐怖対象が、逃げても逃げても悪意を持って追ってくるのだ。

 追い詰められないはずが無い。

 それでも、どうして踏ん張ってくれなかったのだ。

 最後のところで、あの子達を信じてくれなかったのだ。


 誰もいない、夕暮れの部屋。

 顔は忘れても、忘れられない、くっきりとした赤い口紅。

 ――ああ、嫌だ。ようやくあの女が死んだのに。

 ――あの子が私の言うことを聞かないのは、あの女にそっくりなお前がいるからよ。

 ――弟は優しい子だから、お前を守るなんて間違ったことを思うのよ。

 ――良い?不審火の犯人は、お前なの。

 ――お前が本当に父親のことを思うなら、自分から施設に行きたいと言いなさい。


 胸をえぐった言葉の数々。

 最後まで取れなかった、家族と自分の間の壁。

 けれども、確かに愛されていた。

 守ってもらっていた。

 麻衣子にも……あの子達を、最後まで守ってあげて欲しかった!!


「あの子達の母親は!――あなたしか、麻衣子さんしか、いないんですよ!!」

 憤りを堪えるように叫んだ言葉に、それまでの激情を孕んだ声とは違う、――かすれて消えそうな言葉が、返った。

「分かって、た。」

「え?」

「ほんとは、……分かってたの。」

 意味が分からず、呆然と視線を上げる。

 すると、そこにはすべてを諦め、疲れた顔の聖女がいた。


「私が間違っていた。だから、だからこんな地獄に――、落とされたの。」

 呟くように落とされた言葉には、先ほどまでの溢れんばかりの感情は無い。

 まるで一気に歳を取ったかのような、生気を失った幽鬼のような頬。

 ガラス玉の瞳から、涙がひとすじ、静かに流れる。

 割れた唇から、二人の娘の名前が零れた。


 何故あそこまでの凶行に及んだのか、ようやく分かった。

 ――無かったのだ。

 偽装された決定的な証拠をつきつけられ、悪意を持って追い詰められた、あの時の彼女には、もう失うものは何一つ無かったのだ。

 そして今、ここに残るのは、彼女の抜け殻なのだ。


「今からでも遅くない。――帰りませんか。」

「……え。」

「間違ったなら、やり直せばいいんです。」

 ここは地獄ではないけれど、……私達が本来いるはずのない世界。

 言葉も常識も、全てが違う異世界だ。

「そして、あの子達に謝りましょうよ。寂しい思いをさせてごめんねって……。」

 私の言葉を呆然と、けれども縋りつくように聞いていた彼女は、やがて諦めたように小さく首を振る。

「どうやって、どうやってこの身体で、あの子達の前に現れろと言うの」

「――!!」


 その細い指を首にかけ、ボタンが弾け飛ぶ勢いでむき出しにされた胸元。

 老女のような浅黒い、萎びた肌。そこを埋め尽くさんばかりの勢いで直接かかれた、複雑な呪。

 よくよく見れば、二の腕までめくり上げられた腕にも、スカートからのぞく足にも、同様の黒い呪の刺青と、皺の寄った肌が覗いている。

 レジデの言った、麻衣子の寿命の意味が今初めて分かった。

 きっと彼女の身体は、全身が老いている。

 もう死に瀕した老婆も同然なのだ。


「――…でも、会いたいのでしょう?」

 考えるまでも無く、言葉が出た。

「ねぇ、麻衣子さん。あなたに、恨みが全く無いと言ったら嘘です。」

「………。」

「でも、貴女が一生懸命、子どもたちの事を考えていたのも、ご家族が貴女を愛していたのも、知っています。」

 まだ片手の指で足りる年の子達が、ママが帰ってきたら作ってあげるんだと、一生懸命覚えていたホットケーキの作り方。

 ――私は彼女の家族に、あまりにも……、深くかかわりすぎた。


「どんな状態で戻れるかは、正直分からない。もしかしたら二人とも五体満足かもしれないし、違うかもしれない。――でも、手紙のひとつ、残してあげる時間があるならば、帰ることに意味があると思いませんか?」

 懐から取り出した、小さな白紙の紙を、麻衣子の手に握らせる。

 最後にもう一度、愛していると、伝えれるならば。

「あの子達の大好きなママは、貴女だけなんですよ。」


 ――…一緒に、帰りましょう。


「ごめんなさい。先生ごめんなさい。」

 そう、泣きじゃくる小さな背中を、ずっと撫でていた。

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