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世界のカケラ  作者: viseo
崩壊編
136/171

信ずるもの 3

 震えた長いまつ毛。

 通った鼻筋とふっくらと稜線を描いた頬が、やつれて尚、彼女が美しい人だと思わせる。

 甘い香の残り香を打ち払うように、もう一度だけ名を呼べば、ぼんやりとしながらも、その黒い瞳がゆっくりと開いた。


「大丈夫ですか?……私が、わかりますか?」

 寝台の横に座り、覗き込むように日本語で話しかける。

 焦点の合わない、とろんとした瞳を向けられながら、自分の中の恐怖心を抑えながら、微笑む。

 すると、「橙子、先せ…い?」と、かすれた、あどけない声が、耳朶をくすぐる。

 不思議そうな顔で、小さな子どものように、私の髪に手を伸ばそうとして、……これが夢ではないと悟った瞳に、危うい狂気の色が瞬時に浮かび上がる。


 ――いけないっ!

「うぁ、ああああっ!」

 がしりと掴まれた髪を強く引かれて、寝台に横になったままの麻衣子の上に倒れこみそうになり、辛うじてついた片腕で体勢を維持する。

「っう……!」

「ど、うして!どうしてっ!!」

 彼女にとって、もはや眠りの世界しか安寧の地は無いのか。

 痛みを感じる位に、ぎりぎりと引かれる髪。

 間近で見る、狂おしいほどの感情を宿した瞳。

「―――っ!」

 とっさに、こちらに来ようとした二人を、残った片腕を後ろ手に突き出して、強く拒否する。


「こんな、こんなっ!――許さない!!!」

「……っ!落ち着いて下さい!!麻衣子さん!」

 何度だって、殺してやる!と、一層深くなりそうな狂気を叫んで止める。

「渡さない!絶対に渡さない!優一郎さんも、あの子たちも、絶対にっ……!!」

 憎悪と狂気と混乱と。

 飲み込まれないようにと必死に自制しながら、支離滅裂な言葉の中から、夢中で意味ある言葉を拾い上げる。

「落ち着いて下さい!――…っ!誤解です!!誓って言いますが、ご主人とは何もありません!」

「よくも!よくもっ!」

 寝込み続けていた人の力とは到底思えない両腕を、それでも体重をかけて寝台の上に押さえ込むと、今度は膝を使ってお腹を――下腹部を蹴り上げようとする。


 明らかに、常軌を逸したその執拗な行動に、衝撃が走った。

「落ち着いて下さい!何があったんですか!」

 それよりも。

「誰に、誰に会ったんですか!!」

 そう言いながら、血走った目で支離滅裂に叫ぶ姿に、確信があった。

 彼女は会ったのだ。――麻衣子の夫の両親、義父母に。


 田舎に似合わない、線の細い、あどけない美しい都会の女性。

 決して悪くなかった夫婦仲。

 それなのに『遠藤』ではなく、『麻衣子』と呼んで欲しいと言ってきた時の、嫌悪感のこもった思いつめた顔。

 第三者が迎えに来ても、娘達を絶対に渡さないでくださいと、時折見せた何かに怯える姿。

 嫁ぎ先の両親と上手くいってないのだと、漠然と思ったことが確かにある。

 けれども、何故それが。


「もしかして、不倫しているだけでなく、ご主人のご両親と通じていると思ったんですか!?」

「よくも……、よくも、抜けぬけとっ!!」

 寝たきりだった人間とは到底思えない力で、ぎりぎりと押し返される。

 喉笛を噛み千切る勢いの麻衣子と私の間に、いつの間にか二人の男が入り込む。


 嫁の両親は若くして他界。

 自分の両親は海外にいるのだと、麻衣子の旦那に直接聞いた事がある。

 それなのに、何でここで!?

「しっかりして下さい!ご両親は、海外にいらっしゃる筈でしょう!?」

 麻衣子から引き剥がされながらも、半ば叫ぶようにして返した言葉に、暴れる麻衣子が硬直し、まじまじと目が見開かれる。

「………――う、そ。」

 

「もしかして、お姑さんが来たんですか?そして何か、言われたんですか?」

 ぶるぶると、震える身体。

 瞬き一つせず、私から真実の欠片を見つけ出そうとする瞳から、搾り出すような声と涙が溢れた。

「あ、なたが、貴女が、妊娠したと!!遠藤家の跡取りを産む女性を見つけたと、彼から――息子から電話があったから帰国したのだと!」

「……っ!」

 魂が引き裂かれるような、……こんな悲痛な叫びを聞いたことが無い。


 あふれ出す涙と共に、半狂乱になった言葉を必死に拾う。 

 跡取り息子を産まない、遠藤家にふさわしくない、病弱な嫁。

 陰惨な嫁いびり、女腹。

 住んでいる所も連絡先も、誰にも教えずに行った、夜逃げ同然の引越し。

 それなのに入院先に突如現れた姑と、顧問弁護士に突きつけられた離婚届。


『あの娘たちも新しい母親に、もうすっかり慣れているようですからね。あなた出てくると混乱します。不出来な母親が消えれば良い事。』

『私も話してみましたが、非常に気に入りました。彼女ならば無事新たな跡継ぎを産み、立派に遠藤家の嫁を勤めることが出来るでしょう。』


 再現されたあまりの言葉に、愕然とする。

「ちょっ……!違いますっ!もし、万が一、その話が本当だとしても、相手の女性は私ではありません!」

「嘘よ!橙子先生と親密そうにしている写真を見たわ!!離婚届だってユウイチロウさんの字で記入済みだった!」

 離婚してもこんな欠陥のある母親では、幼い二人の娘たちを育てられるわけが無い。

 新しい母親もいることだし親権も諦めろと、そう説明を受けたと、フォリアに押さえつけられながらも、滂沱の涙を流しながら、狂ったように叫ぶ。

 

「信じてたのに!橙子先生のことだけは、信じていたのに!!――なのに私から、全てを奪った!」

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