表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界のカケラ  作者: viseo
崩壊編
132/171

アランタトルの檻 25

 帰る。

 元の世界に、戻れる。

 その現実に、様々な感情があふれ出し、かえって実感が伴わない。


 彼らに危険は無いのか、本当に戻れるのか。

 麻衣子は元の世界に戻れば、延命できるのか。自分の傷も、どうなるのか。

 時間は、場所は、どこに戻れるのか。


 浮かんでは消えるすべてが、磨りガラスを隔てたように、現実味が無い。 

 行きと同じく、暗闇のトンネルを抜けながら、時間を逆行しているような、不思議な感覚に捕らわれながらも……、それでも「帰らない」と言う選択肢だけは私には無いのだと、ぼんやりと思う。

 

 このまま残れば、シルヴィアや、様々な大切な人たちを追い込み、何よりも二大大国の戦争の火種という、自分の手に到底負えない、現実が待っている。

 たとえ、離別が自分にとってどんな意味を持とうとも、その現実の前には、自分の感情なんて何の意味も無い。

 ようやく向き合えた郷愁の思いに全てを包み、今は唯、帰る事だけを……考えよう。


 暗闇の小道から、静まり返った自室に滑り込む。

 分厚いカーテンに覆われた部屋の中は、相変わらず暗かったけれど、深夜独特の重さを持った闇は、少しずつ解けてほどけてきている。

 もう間もなく、朝焼けを迎える時間だろう。


 完全な和解――…と迄は、いかなかったけれど、それでも一時休戦位にはなった三人が、今後の話をしながら、別れたのは深夜を大分過ぎた頃。

 三人の空気が、以前のように戻ることは無かったけれど、それでも状況を考えれば、当然で。

 

 道中、一言も無く、私を部屋まで導いた男の手が、ふっと離れる。

 ――…では。

 小さくそう言って、そのまま闇にとけて消えようとした男に、考える間もなく、「待って」と、名を呼び静かに呼び止める。


 呼び止められるとは、思わなかったのだろう。

 後姿のまま、小さく震えた肩に、一瞬逡巡して、視線を落とす。

 けれども、意を決して息を吸い、

 「レジデ。待って。」

 と、もう一度、同じ名を呼んだ。


「………。」

 無言のままの彼に、水差しから小さな布に水を浸して近寄り、少し背伸びをして男の首筋を拭う。

 すでに血は止まっていたけれど、ただでさえ血流量の多いところを傷つけたのだ。

化膿すると後が怖い。

 そうして、息を潜め、固まったように動かない男の顔を見ないまま、ごく簡単な手当を続ける音だけが静かに響く。

 うっすらと淡く長い、二人の影。

 いつの間にか、長かった夜が明けるように、厚いカーテンの向こうから、白々とした夜明けの光が滲んでいた。


「ショックがなかったと言えば……嘘だよ。」

 顔を上げずに、そう独白する。

「でも、最初からクリストファレスに連れてくるつもりだったら、――…あなたなら、もっと簡単に私を……騙せた。」


 ――だから、……ありがとう


 テッラは平和な国だったけど、独裁国家がなかった訳ではない。

 本国に私を召還したと差し出せば、レジデールは多大な栄誉を与れたはずだ。

 にもかかわらず、徹頭徹尾、私を元の世界に返してくれようとしているその姿勢は、――彼の難しい立場と、頑冥なほど自分に厳しいさまが見て取れた。

 それは、まごう事なき、私の知っている、レジデでのままで。


 本国に監視されたまま、その目をかいくぐり、私をテッラへと帰そうとあがいた男は、私の一言一言を、立ちすくみながらも、一言も逃すまいと全身で受け止める。


 単身、身の危険を顧みず、助けにきてくれたフォリア。

 そして、その対極にいるかのように見えた、隣国の密偵レジデール。

 けれども、『白い鳥』になった事で、水面下で静かに動く事の難しさも、国という巨大な生き物が、どれだけ人の気持ちを踏みにじるかも、今の私は……知っている。


 静かに穏やかに私を護りながら、一体どれだけの、静かで激しい戦いを、その影で繰り返したのだろう。

 私が知らなかっただけで、レジデは、最初からずっと……それこそ命をかけて、私を護り続けてきてくれたのだ。


 これで、もう一度裏切られたとしても、それで良いじゃないか。

 目の前にいる彼は、今迄と何一つ変わらない、私の知るレジデなのだと――…そう、自然と思った。


「だから、――ありがとう。」


 万感の思いを込めて、伝えた言葉。

 その一言で、あっと思う間もなく、強く抱きしめられた。

「………!」

 衣擦れの音と肌で感じる男の鼓動、呻くような息遣い。

 トーコと呼ぶ、かすれた低い声が耳朶にかかる。

 その苦しいくらい切ない色を帯びた声に、鼓動が跳ね上がった。


「何故、ここまで傷つけられて、そんな事が言えるんですか。」

 呻くような掠れた声に、呼気を直に感じて、肌が粟立つ。

 女ではありえない、その力の強さと、男の体温に、幾らか年は上なのだと知っていたけれど――、彼が年齢を重ねた自分と変わらない一人の男なんだと、五感を通じて思い知り、思わず動揺する。

「レジ、デっ……」

 見知った二人の男と比べて、小柄だと思った身体は、それでもこうして抱きしめられれば、戦う事など考えもつかない故郷の男たちとは、比べるべくも無い程、力強く、俊敏で、逞しい。

  

「本気で笑ったのも、怒ったのも、思い出すのも困難な程、遠い昔です……。」

 たとえ姿は人ではなくとも、貴女の前でだけ、私は人間になれた。


 ――出会えて良かった、とも、過ごした時間が楽しかった、とも、決して言える筈のないレジデが伝える精一杯の言葉に、……フォリアに抱きしめられた時のように、冗談にして逃げる事も出来なくて、混乱を押さえ込めない。

 そんな私の動揺に気がついたのか、ふと抱きしめられていた力が緩み、安心させるように、ぽんぽんと、私の背を叩いた。


「――貴女は、私と同じ運命を辿っては、いけません。」

 今まで――こんなに胸に迫るような、優しく穏やかな声を、聞いた事なんて無い。

 大好きだった低く豊かなヴァリトンボイス。

 落ち着いた重低音のその声は、柔らかく落ち着いた物腰と、理知的な瞳にはよく似合う。


 異世界で足掻きながら、人の目を掻い潜って、生きてきた。

 けれどもそれは、レジデも同じだったのだろう。

 教団に監視管理され、息を潜めて私を守っていたんだ。


 抱きすくめられたレジデの後ろに見える、先の見えない暗い闇に、私の後ろから差し込む淡い光が、うっすらと柔らかな影を作る。


「どうぞテッラに帰っても、あなたの行く道に幸せがありますように。

 そしてどうか、私の事を許さないで下さい。」


 額に落とされた柔らかな唇と、静謐な微笑みを残して、……男は闇に溶けいる。


 ――愛しています。


 何故だか、そう伝えられたような気がして、見開いた目で、瞬きひとつせず、闇を見つめて立ち竦む。

 気がつけば、鳥肌の立つ腕を、自分の両手で抱きしめる。


 夜明けの光が滲む部屋で、……ただ後から後から、涙が零れていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ