アランタトルの檻 20
薄暗い牢の中、焦りながら、レジデールから渡された鍵束を、手の拘束具にひとつずつ試す。
兎に角、一度拘束は取らないと、フォリアの腕が鬱血しきってしまう。
けれども、直ぐに見つかった足の鎖の鍵と違って、中々見つからない。
――あ~~、もう、イライラするなぁ!
床に座ったままのフォリアを跨ぐようにして、膝立ちで鍵を片っ端から試すけれど、扉の鍵と違って、鎖の鍵は同じサイズの鍵が山ほどある。
そんな中、「どうやって、ここへ……。」と、二人の口に出した疑問が被った。
思わず視線を下げ、胸元にあるフォリアと同時に笑う。
――すると、目的の鍵が見つかったらしく、カチャリと音がして、片腕の拘束が解けたところだった。
ん、あと一つ!
手ごたえを感じて、最後の拘束具に視線を戻す。
拘束されていた指先は、ゾッとするほど冷たい。
食い込むほどの拘束では無かったとは言え、長時間血が通わなければ、最悪壊死だってありえるのだ。
話したいことも、聞きたいことも、すべてはその後だ。
もしかすると……同じ鍵で反対の手の拘束も解ける?
そう思って、再度挑戦しようとして、身体を伸ばす。
すると、拘束が解けたばかりのフォリアの腕が、するりと腰に回され、軽く引き寄せられた。
まるで抱き寄せられるような仕草に、思わずどきりとして、慌てて体勢を立て直し、軽く頭をはたく真似をする。
「ちょっ…、やりにくい!」
その一言で、片腕で私の腰を抱き、胸元に額をつけていたフォリアが、一瞬の沈黙の後、――下を向いたまま、くっくっくと、押し殺したように小さく笑った。
「本当に、お前は……、」
おもしろい。と、小さく呟いたのを華麗にスルーして、鍵を拘束具に差し込む。
すると、静かに笑い続けていた男が、ふと甘く目をきらめかせて問うた。
「会えて嬉しいとか、怖かったとか、――…そういう定番の発言は、無いのか?」
「あー……、そうですねぇ。……そう言うのは、拘束されながら言う発言では無いと思いますよ?」
まぁでも、軽口を叩く元気があるなら、安心しました。
そう言って目をそらして、無理やり鍵に意識をもって行きながらも、……一生懸命冗談にしないと、何だか取り返しのつかないような事がおきる気がして、無意識に軽口でやり過ごす。
大体、――…危険を顧みず、乗り込んできてくれた事が、嬉しくないわけ、無いじゃないか。
以前と何一つ変わらず、真っ直ぐに私を案じるフォリアの存在は、数々の衝撃にささくれ立った自分の気持ちを、大きく揺さぶる。
けれども、脳裏に翻るのは、翡翠色の髪と麻衣子の顔。
そして彼が今までと同じように、私をからかっているだけだと言うのも、自覚している。
――つり橋効果が無くたって、充分、フォリアは魅力的な人間だ。
でも、その魅力は私にとっては毒でしかない。
錆びた鍵が引っかかって奥に入らないと、文句を言いながら、そうして軽口を叩いてやり過ごしていないと、自分の気持ちがどこかに急速に行ってしまいそうで……、ただ夢中で重い鉄の鍵に取り掛かる。
すると重い感覚が軽くなり、かちゃりと、拘束具が外れた。
やった!
そう喜ぶ間もなく、いきなり腕を引かれた。
――痛っ!…って、ちょっ、何!?
ぐいっと、壁のほうに押しやられるようにして、軽い衝撃と共に、したたか壁に額をぶつける。
くらりとしながらも、慌てて振り向くのと、素早く立ち上がったフォリアが、真っ黒に染まった視界に突き進むのは同時だった。
「……っ!!」
キィィン!と、高い金属音。
辛うじて受けたのは、いつの間にか牢に入ってきたレジデール。
ばさりと音を立てて、黒い布が床に落ちきるのを見て、――長針のようなピン一本で巻きつけていた私の黒い外套を、フォリアが目くらまし代わりに、投げつけたのだと――そしてそれを利用して、フォリアが攻撃をしかけたのだと、一瞬の空白の後、ようやっと気がつく。
「……ちょっ!!」
混乱する私の前で、二人の激しい剣戟が始まる。
切り結んだ衝撃を逃がすように、レジデールが下がれば、それを追うように、深く踏み込んだフォリアが、右手一閃なぎ払う。
それを大きく跳ぶことで回避した行動を予測していたかのように、着地の地点に、投げられたのは長針だ。
いつの間に!?
何も持っていなかった筈のフォリアが持つ凶器。
自分の身体を触れば、いつの間にか、外套をとめていた長針も、渡されていた懐剣も消えている。
けれどもレジデールも、信じられない程の敏捷性をもって、その長針を回避し、その直後に襲い掛かってきたフォリアの剣を、持っていた剣で迎え撃つ。
「――!!」
レジデールが持つ短剣と比べれば、フォリアの手にある懐剣なんて玩具だ。
本来なら、切り結ぶのも難しいはずだけれども、そこは剣士として元の腕が違う。
フォリアはずっと拘束されていた腕で、それでも懐剣を右へ左へと持ち替え、フェイントも入れながら鋭い攻撃を容赦なく、浴びせかける。
「………くっ!」
レジデールは獣人族特有の敏捷性でそれを受けているものの、繰り出された攻撃を流すのが精一杯のように見えた。
罵り合うのでも、弁解するでもなく、――広い空間で、無言で幾度も高い金属音がぶつかり合い、二人の視線がぶつかりあう。
その真剣で、冷徹な表情からは、到底馴れ合いには見えなくて。
しかし、いくら広いといっても牢の中。
止めるすべも無く立ちすくむ私の前で、程なくして、勝負は見え始める。
「……頼みます。話を聞いて下さいっ!」
彼女の話です!というレジデールに、
「――ならば先に問おう。もし、あのまま、トーコが心を壊して戻ることがなかったら、お前はどうするつもりだった!」
大きく身が沈むほど大きく踏み込み、一段と鋭くなるフォリアの攻撃。
そのフォリアの叫びに、受けてばかりで攻撃に転じなかったレジデールの目に、初めて強い感情がのる。
黒豹のような男の攻撃を、レジデールは今度は避けなかった。
「好んでこの地に連れて来たわけでは、ありません!白い鳥になった時点で、クリストファレスに目をつけられるのは、時間の問題だった!」
やり切れない怒りを映し出した、琥珀色の瞳が真っ直ぐにフォリアを射る。
「俺はトーコをこの地で、戦火に巻き込む気も、女王蜂にする気も無い!!」
ガキィィンと、鈍い音を立ててレジデールがなぎ払った攻撃を、フォリアは真正面から受け止める。
「やはり、お前は……。」
その先は紡がれる事なく、向かい合う――二人にしか分からない沈黙が、静かに牢を支配する。
やがてフォリアは静かに問うた。
「白い鳥にならなければ、あの地からテッラに帰したか。」
嘘偽りを許さない強い瞳に、
「時の館が閉鎖され、……マイコの存在がある以上……、この地よりテッラに帰す他、無かった。」
そう、呻くように返された答え。
真一文字に結ばれた唇。
伏せられた暗い瞳に、はらりと焦げ茶の髪が落ちる。
その苦しげな男の表情は、あの花祭りの夜、深夜近くに帰った私を、月の光の下でずっと待っていたレジデの、青く白く思いつめた表情と同じで……。
「マイコとは何だ。――…お前が考えている事を言え。」
何も言えずに、ただ息を飲む私の前で、聞く耳を持った黒豹が、ようやく静かにその牙を収めた。




