アランタトルの檻 19
心は決まった。
幾つかの説明を受けてから、急いで身支度をして、殆ど明かりの入らない隠し通路へと身を沈める。
勾配のある曲がりくねった隠し通路を、無言で右へ左へと突き進む。
万が一にも他に明かりが漏れないようにと、明かりも無く進む道。
身にまとう重い黒い外套が、淀んだ空気をかき乱すように、時折ひるがえる。
焦りと、不審と混乱と。
そんな中、迷いない足取りで、足音もせず歩く男の手の体温だけが、この暗闇で確かなものだ。
人工的に作られた隠し通路は、山道とは比べるべくもないけれど、それでも時折剥き出しの岩肌や、小さな謎の小動物が足元を駆け抜けていき、単調には進めない。
その度に、しっかりと支えてくれるレジデールの手は、ダンスの練習で何度も握った、剣を持つ二人の男の手とは全く違う。
厚くもなく、硬くもない手の平。
筆圧が強いせいで、所々固くなった指先。
闇の中、黒尽くめの二人の間で、その握り締められた手だけが、ぼうっと明るい。
焦燥と疑惑に染まる私の心に、その握り締められた手の暖かさが、今の私には――苦しかった。
「では、後は打ち合わせ通りに……。」
そうして、たどり着いた隠し通路の出口。
古い石像の置かれた、階段の踊り場から滑り出した二つの影は、牢へ続く階段を静かに降りる私と、見張りの兵士に小細工をしに行く為に、すべるように階段を上がるレジデールと、双方向に分かれる。
お互い振り向かず、一言も声を出さず。
重い鉄の扉に飛びつくように鍵を差し込みながら、それでも心のどこかで、彼は、――レジデールは、本当に三人で話すための小細工をしに行ったのだろうかと、静かに思う。
けれども、もし『今も』騙されていたとして、それで何か変わるの?
そう思えば、答えは否だ。
ならば万が一にでも、フォリアに会える可能性にかけた方が良い。
渡された鍵束を使い、冷たい鉄の扉を開ければ、握り締められた手の暖かさなんて、一瞬で何処かへ消える。
そうして、振り切るように鉄格子が並ぶ薄暗い廊下の先を見れば、そこだけさらに頑丈な鉄の扉が見えた。
牢屋が常備されている時点で、充分カルト教団だと、苦々しく思う。
今は無人とは言え、こんな幾つも並ぶ牢屋が神殿にあること事体が、充分異常だよ。
視界の端に入るがらんとした牢屋の奥に、拷問道具のようなものを見つけ、頭の芯がぶるりと、冷たく震え上がる。
――フォリア!
嫌な想像を吹き飛ばすように、夢中で足を伸ばす。
瞬間、消えた床の感触。
強い衝撃と、叩きつけられた石畳。
「――!ったぁ!」
数段あった小さな階段を踏み外したと気がつくのと、「――…誰だ!」と、奥から誰何の声が聞こえたのは、ほとんど同時だった。
「――…その声……、―…まさかトーコか!?」
押し殺したような、低い声。
掠れているけれど、まごう事なきフォリアの声だ。
気がつけば、捻った足も気にせず、飛びつくようにして最後の鍵を使って、無我夢中で扉を開け放つ。
すると、こんな何重にも閉じ込めた、その最奥の牢。
その中で更に鎖にとらわれていたフォリアが、食い入るようにしてこちらを見つめていた。
「フォリア!」
よほど手ひどく扱われたのか。
鎖に繋がれた姿は、最後に見た時よりも、明らかに痣や傷が多い。
殴られたかのような口元。ざっくりと切れた頬から流れた血は、乾いてこびりつき、少し長めの髪が張り付いている。
更に、両手首は壁に高く固定されていて、床に座ってこそいるけれど、並の人間なら長時間この姿勢でいるだけで、充分拷問だ。
けれどもクリストファレスは、細い鋼のように鍛えられた身体と、強靭な精神から、彼の力強さを奪い取ることは出来なかったらしい。
それどころか、今まで以上に、強い意志と自我が色濃く映し出された夜色の瞳は、野獣のように美しく――傷ついて尚、人の目を惹きつけて放さない。
制御が難しい。と言われた意味が、よく分かる。
今の彼は、その均整な身体とも相まって、まるで黒豹のようだ。
見惚れるほど美しく、鋭い爪を持ち、決して人に媚びない。
クリストファレスにとって、御しきれないのであれば、脅威にしかならない人物なのだ。
「フォ…リア。」
無事だったことに対する安堵と、厳重に鎖に繋がれている事への怒りで、炎と氷を一度に飲み込んだような気分になる。
そして改めて、その傷の多さと酷さに、現状の一端を担ってしまった自分が酷く薄汚く思えて……、鍵束を持ったまま、前に進めず、足が止まる。
けれども、まるで自身の傷など無かったかのように、軽やかに身を起こしたフォリアは、夜色の瞳を暗くきらめかせると、安堵の溜息と共に、
「無事だったのか。」
と、一つ目をつぶり、短く天を仰ぐ。
怪我をしながらのその一言に、私の身を真剣に案じていたフォリアの気持ちを痛いほど感じて、……子どものように、泣きたい気持ちになった。




