アランタトルの檻 14
勢いに押されるまま、押し入った星屑のランプの部屋。
いつもは星屑のランプだけが光り輝くこの部屋も、今はその呪術的な様子を浮き彫りにするかのように、煌々と架かり火が焚かれている。
開け放たれた、皇帝と謁見した地下神殿へと続く大扉。
その向こうから転々と呻き、倒れ伏す、幾人もの――僧兵に似た男たち。
司祭長の変わらず涼やかな金の髪と、それを守るように集まる信者。
そしてその中央、その丸く縁取られた床の上には、繊細な銀の鎖に押さえつけられた男が、ひとり。
それを近くで見下ろす、焦げ茶の髪の男が――レジデールが、ゆっくりと振り向いた。
「ぁ……。や、ぁぁぁぁ!、」
……その時の、その表情は全く覚えていない。
ただ、その姿の向こう。
押さえつけられた剣士の、間違えようも無い深く蒼い髪と、見覚えのある黒い剣。
手の甲に見たことの無い、紫の紋章が浮かび上がっていても、それが誰だか間違えるわけは無くて。
「――や……めて。やめて!」
もうやめて!
我知らず、唇から否定の言葉が溢れ出る。
私の止まっていた時計の針を無理やり動かすように、倒れ付す――最もここにいないで欲しい人物。
「フォ……リア!!!」
その名が最後の鍵だったのか。
奇しくも麻衣子の悲鳴でねじくれ、ゆがんだ、私を守る強固な繭は、倒れ伏す男の名を呼んだことで、小さなカケラとなって完全に弾け飛ぶ。
けれども。
フォリアの側にかけ寄ろうとした私を、難なくとらえたのは、レジデール。
小さな痺れが走り、膝から力が抜ける。
――…っ!
くらりと、男の片腕に掬われるようにして、自由が利かなくなった身体は、抵抗なくその胸に、落ちる。
もう片方の手には、揮発性の溶剤が染み込まれたであろう、白い布。
その鮮やかな白さを最後に、世界は私の手から――離れた。
* * *
――霧が晴れるように、意識は戻った。
「お目覚めで御座いますか。」
深夜になろうと言う、重さを伴った独特の闇を、仄かなランプが照らし出す。
世話係の女性信者たちを束ねる、一人の高位の女性信者に覗き込まれ、身を起こす。
既視感を感じながら、口元に当てられた水を飲めば、その甘さがするりと口に馴染み、心地良い。
ここは…――宛がわれた自分の部屋、か。
熾き火にされた暖炉。
見覚えのあるタペストリー。
息を潜めて見つめている信者たち。
そんな物に目をやってから、こちらを覗き込む鳶色の瞳に意識をやる。
「ねぇ、リルファ。」
「……っ!」
あまりに唐突に、自身の名を呼ばれ、絶句した彼女の心中を気にもせず、
「――…あの後、何があったの。――説明して。」
そう一言、静かに言い放つ。
「……あ。……あの、」
姫さま、意識が……。と、女官長の位にある、百戦錬磨の筈の彼女が、動揺の余り、目を泳がせる。
数時間前まで、酷い自閉状態だった人間が、唐突に明確に話し出したのだから、向こうの混乱も、手に取るように分かる。
けれども、それにかかわっている余裕は無いよ。
人を呼ぼうとしていたリルファの手をつかみ、やんわりと阻止する。
「私が昏倒してからこの部屋に運び込まれるまで、地下神殿で何が起きたの。……あなたが知っている範囲でかまわないわ。――話して。」
この世界の全ての物から、隔離された所にいたかった。
何も考えたくなかった。何も知りたくなかった。
……けれども、麻衣子の姿によって、フォリアの姿によって、堅固なそれは紙のように脆くも崩れ去ってしまった。
ならば。
ならば、私が最後に出来ることは?
パズルを組み立てるように、落ち着き、静かに考える。
それは到底、人形とかわらない、数時間前の自分とは異なるもので。
――やはり自分は人間として、どこかおかしいのだろう。
不思議な程、静かな胸の内でそう思う。
異邦人として過ごす内に、輪郭を失っていた『葉山橙子』としての思考。
それらが、麻衣子の姿を認めたことで、自然と戻ってきたのかもしれない。
それとも、倒れたフォリアの姿を認めたことで、自分の中に閉じこもっていられないと思ったのかもしれない。
どちらにしろ、私は忘我の淵に立つことも許されないらしいと、自嘲の笑みが薄く浮かぶ。
「リルファ?」
ゆっくりとその名を呼べば、手を取られたまま、勢いに飲まれたようなリルファが、小さく喉を鳴らしてから、ゆっくりと、小さく話はじめた。