アランタトルの檻 8
何があろうとも時間は止まらず、朝は来る。
寝不足の頭で禊を済ませ、いつもの白の装束に身を包んだ私を迎えた大神殿。
大嫌いな輿の上、ベールの向こうに見えるのは、一体何処から湧いて出たんだと言わんばかりの、跪く信者たち。
ここはまるでアリの王国だ。
個々の意思を感じない、濡れた瞳の働きアリ達。
彼らに運ばれる餌が、自分と言うのが何とも言えずシュールだけれど、その無彩色の集団の間を行列はしずしずと進み、うっとおしいほどの手順を経て輿から降りれば――正面の祭壇、シャムール・ギザエットと五人の仲間たちが待ち受ける。
「それではこれより神々の御前。新たな乙女の素質を問う、公開口頭試問を行う。」
幾重にも響く鐘の音。
無意識に教え込まれた通りに跪き、礼拝を済ませる。
すると、高らかに神殿内に声が響いて、口頭試問と言う名の茶番が始まった。
「蒼の司祭として、乙女、汝に始りの命題を授ける。」
たっぷりと金のかかった司祭服に身をまとった、年齢不詳の大司祭。
その一人が、手に持つ鐘を鳴らして問いかける。
「アラン・タトルが、天空の星屑を全て星屑のランプに戻せば、地上の文明は消え去るが、天空におわします神々はそれを望んでいるか、否か。」
「第一の命題にお答えいたします。我々に天空の星屑を与えたことで、天界から追放されたアラン・タトル。本来天空の神々が望んだもの、それは聖書二十八章……」
教え込まれた通りの設問。
教え込まれた通りの答え。
五賢人を模した五人の大司祭に順繰りと問いかけられ、儀礼的に答えながらも、気持ちはここには無くて。
中央に佇むシャムール・ギザエットをちらりとベール越しに見れば、いつもの冷たい隙の無い美しさだ。
昨日の画廊で感じた、何とも言えない薄ら寒い恐怖心。
けれども、今、彼にそれを感じることは無い。
――あれは一体なんだったの。
そう思いながらも、次々と教え込まれた答えを、考えることなく、ただ紡ぎだす。
「朱の司祭として、乙女、汝に第五の命題を授ける。アラン・タトルの化身である神子姫の、もっとも重要な役割とは何か。」
「お答えします。――…矮小な人間の一生は短い。けれども神子姫は、それを超越した存在であり、神代の時間を生きる者。乙女達はその流れをつなぐ者。つまりは――」
早くこの茶番を終わらせて。
……けれども、これが最後の設問――これで解放されるはずだ。
ベールに隠されたまま、小さく嘆息する。
なのに、
「司祭長として、乙女、汝に最後の命題を授ける。」
五人で終わりじゃなかったの!?
中央に立っていたシャムール・ギザエットが、その玲瓏たる声を震わせ、すっ、と指を上げて、最後の命題を読み上げる。
「アラン・タトルは元の世界に戻れるか。否か。」
「………。」
その問いに、思わず、身体が震えた。
――アーラは、私は、元の世界に戻れるか。
そう聞かれた気がして、どくんと心臓が跳ねる。
こんな設問、予定には無かったはずだ。
見ている景色と、血塗られた毛並みが倒れる拷問部屋のような石牢が、交互に浮かび上がり、叫びだしそうになる。
――もしかして、彼は、知っている?
私が、アーラが、テッラ人だと……知っている?
ベール越しに見つめる男から、分かることなど何一つない。
けれども、もし私がテッラ人だと知っているならば……?
「命題に、答えられませ。」
言葉も無く、長く動きを止めた私に、進行役から小さく注意が入った。
ねぇ。あなたは。あなた達は、一体……何を、どこまで、知っているの……。
本当に、レジデは――…無事なの?
「――……アラン・タトルは罪人です。」
必死に、最悪の妄想を押さえ込み、奥歯をかみ締めながら、ようやっと言葉を絞りだす。
押し殺した低い声に、内容に、ざわりと、大きく場が揺らいだ。
――明日の口頭試問が終わりましたら、そろそろ姫にもお話いたしましょう。
ああ。本当に。
もう限界だ。
焼ききれそうな神経で、思う。
レジデに会わせてくれないなら、せめて私の疑問に答えて。
神子姫として、あなたは私に何をさせたいの。
レジデは本当に、生きているの?
――もう、気が。狂いそうだ。
「アラン・タトルが地上に撒いてしまったしまった星屑を集めているのは、天空に戻るための免罪符ではなく、その責任を負うてのもの。」
静かに顔を上げ、私が撒き散らした害悪の数々を思いながら、答える。
「天空に戻れるか、否かは、天空の神々が判断することでは御座いましょうが、天空に戻るか、否かは、アラン・タトルが決めることと思われます。」
「それは何ゆえ。」
「アラン・タトルがその罪を許され、天空に帰れる資格を得れば、それは天空人として成人することを意味します。 ――…ならば、その行動は、もはやアラン・タトルが決めること。……無事、成人あそばして、神の一柱と成られましたアラン・タトルの行動を誰何致しますのは、人の身には過ぎる事かと存じ上げます。」
最後の言葉が、神殿の隅にまで届き、消えた頃。
小さく頷いたシャムール・ギザエットを合図とするように、大きく鐘の音が鳴り響く。
「司祭全一致で、この乙女の素質を優良なものと判断。ここで正式に、この新たな乙女を第二十三代神子姫としての資格有りと認め――。」
――ようやっと、終わった。
隣に来た大司祭の一人に、手を取られ、立ち上がる。
「……これより最終試問に入る。」
――え?
その言葉と共に、ガシャンと、いっせいに消えた神殿内の光。
潮騒の音のように、信者たちが歌う聖歌が、大神殿に響き渡る。
「ちょっ……。」
聞いてる話と違う!?
がしりと押さえつけられた手に、後ろを振り向けば――そこに広がるのは、手に持つ小さなロウソクを、移し合いながらも、僅かな光の中、恍惚の表情と濡れた瞳で、こちらを見続ける信者たちの海。
そして漂う、覚えのある甘い香り。
一つ一つ、小さくロウソクの灯りが、全ての信者たちの手の平に灯され、揺らめく炎が作り出す影が、大神殿の天井に踊る。
――何。私これから生贄にでもなるの?
完全に、狂信者のイッてる目につつまれて、胸の内の独白は、呟きとなって零れ落ちる。
「さぁ、姫。最終試問です。」
くすりと笑うシャムール・ギザエットの声に促されれば、いつの間にか消え去った、大祭壇。
そこから闇に降りる、白い大きな階段。
重い塊を押し付けられた。