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世界のカケラ  作者: viseo
崩壊編
111/171

アランタトルの檻 4

 そうして私は、従順な虜囚となった。

 後から考えれば、あの時の私は、他の何一つ考えることが出来なかった。

 シルヴィアのことも、フォリアのことも、本当に……何ひとつ。

 それは無意識に、私が害されたことで『白い鳥』としての役割を済ませたのを分かっていたからでもあり、フォリア達が巻き込まれなかった事を知っていたからかもしれない。

 けれども、それは後から思えば、でしかない。

 見えない鎖に縛られた私は、鍵の掛からない神殿の一角で、充てがわれた部屋から出ることも、逃げ出すことも考えれず、一日、一日と時は重なっていった。

 

「お加減は如何ですか?」

 窓辺に座る私に近寄り、司祭長という身分独特の立礼を一つ。

 緩やかな視線だけで追従の信者たちを下がらせたのは、相変わらず現実感の無い、涼やかで美しい男。

 あの日から私の生活は、体の回復を促すものと、光の教団に相応しい行動様式を覚えさせるものとの、二つが主軸となっていた。

 体が辛くなくなれば、礼拝の仕方を覚え、食事の前には聖歌を歌う。

 子どものように寝物語には、アランタトルとその後ろに控える神々の神話ばかり。

 一日に二回ほど、こうして司祭長――シャムール・ギザエットは何を話すでもなく、私の様子を聞きに来るけれど、未だにレジデと会うことは叶っていなかった。


 ここまでくれば、私にだって自分が神子姫の代理、もしくは影武者のようなものをさせられる事ぐらいわかるよ。

 しかし分かったところで、どうにもならない。

 神子姫が不調なのか、死亡したのか。

 教団内で代理を立てずに、わざわざ遠方から誘拐してきて、その代役に仕立て上げる理由があるのか。

 以前ならば、必死にそんな事を考え続けたと思う。

 けれど、シグルスの館に捕らえられた時と、今の私はあまりにも状況が違う。


 あの時の私には、自分で必死に考え、警戒し、最善の策を探る――例えそれがどんなにか細い道でも、自由が残されていた。

 しかし今、傷ついたレジデをおえられている。

 下賎な獣人族という風潮があるこの北の地で、ただの平民であるレジデの命は、私への重石になるという、ただ一点で辛うじて繋がれているのだ。

 彼の安否を確認できたわけではないけれども、これでどうして強気になれるの。 


 否定しても、否定しても、思考の隙間をぬって、暗い牢屋に閉じ込められ、倒れ付す血塗られたレジデの姿が脳裏に浮かぶ。

 王族にも等しいシルヴィアが、王宮に保護された時には一度たりとも感じなかった恐怖と不安。

 それは私の思考をふさぎ、逃亡の意思を無くさせ、大人しい虜囚への道を歩ませた。

 

「欲しい物は御座いませんか?」

 男の問いに、緩やかに首を振る。

 現状で、一目彼に合わせてくれと、懇願することに意味はないと既に悟っていた。

 まさに見えない檻だ。

 手と足を、見えない鎖につながれ、幾多の濡れた瞳に見張られている。

 何をするにも、どこにするにも、見張り続ける瞳が、夢の中まで追いかけてくる。

 そう思えば、体の中心に、きりりと小さく慣れた痛みが走った。


「……っ――…。」

 見えないように痛みで歪めた顔。

 それでも既に部屋付きの女信者たちに話を聞いてたのだろうか。

「――やはりまだ、ご気分が優れないようですね。」

 憂いる青い瞳と、金の髪がさらりと揺れる。

 それから目をそらして、未だ降りしきる窓の外の雪を見やれば、

 ――い、…つっ……。

 刺すような痛みと、喉元までせり上がる不快感がまた一段と強くなる気がした。


 胃酸過多。

 故郷であれば、そう診断されたであろう、その胃の痛みは、体だけは丈夫であった私には未知なるもので。

 腹部に感じる、ねじくれたような、きりきりとした痛みと、喉をふさぐような違和感。

 最初はその痛みの度に、レジデが受けているであろう痛みを思い、何度も吐いた。

 もう逃げ出す体力を残そうという、そんな気力すら湧いてこないよ。


「…全て、あなた達の言う通りにしているつもりよ。」 

 そんな一連の体の異変を、何とかやり過ごしてから、静かに佇む男にようやっと口を開く。

 貴婦人の言葉とは少し違う、神殿の女性が話す、独特のイントネーション。

 それにも随分慣れてきたなと、ぼんやり思う。

「……私の体調を心配してくれるなら、――そろそろ彼に会わせて。」

 諦め半分、それでも唇に乗せた願いに、微笑に少し困ったような色がのる。

 その仕草に、まだまだ会わせる気は無いのだと悟って、小さく俯く。

 すると、ゆったりと胸に染み渡るような柔らかい声が、取り成すように語り掛けてきた。

 

「ファンデール王国で、不慮の事故にあわれたと聞いております。その際にご記憶を無くされたとは聞いておりますが、こちらでゆっくり養生致しますれば、また程なくしてご記憶も戻られますでしょう。――しかし、食が進まないのは困りましたね。」

 いつまでも聞いていたいような、穏やかで柔らかい声。

 うっとりと聞き惚れたくなる話し方は、紛れも無く人たらしの声だ。

「……病人食以外にも、果実なら少しは食べれるようになったわ。」

 そんな相手のペースに乗りたくなくて、弱いながらも言い返す。 

 元々あまり、こちらの味付けは口に合わない。

 けれども時の館やシルヴィアの所では、自分好みの味付けを研究できたし、フォリアの館でも、それを参考に料理長と個人的に話すくらいには、食事のことで話しあったこともある。

 そうやって何とか慣れてきたファンデール王国の食事と違って、保存の観点から塩味のきつい、北国独特の蛋白源を摂取することは、今の私には困難で。


 野性味の強い肉の上に、臭みを消すためのハーブが入った甘い果実ソース、硬い穀物のパンと各種チーズ、それと必ずノルマの、ジャムがたっぷりかかったオートミール粥。

 これが病人食だというんだから、勘弁して欲しい。

 それでも最近は、酸味を抑えた果物など、何とか食べれそうなものを伝えて、以前よりは食べられる物も増えてきた筈だ。

「他にも温めた山羊の乳とか、……量は取れないけれど、小まめに口に入れるようにしています。」

 約束は違えていないと、言外に伝える。

 レジデにも、暖かな食事が提供されているのだろうか。

 ……毎日そう思いながら食べる食事は、砂を噛むのと等しい。

 それでも、ひと匙、ひと匙と私が口にすれば、彼も暖かな食事を取れるのだと信じて、試行錯誤しながらも食事を取る。


「そうですね。……もう少しすれば気候も穏やかになりますし、食卓も賑やかな物になりましょう。気分転換にテラスや庭園などにも出られるように、手配もさせておりますよ。」

 ですからそれまでに、しっかりと体をおいとい下さい。

 そう言いながら覗き込まれた瞳に、褒めるような柔らかい色が乗る。

 その瞬間、どろりとした鈍い意識の奥で、何とも言えない華やかな気持ちで、胸がざわめいた。


 ――ヤバイ。

 一分の隙も無い姿と、美しすぎて作り物めいた顔が、時折見せる人間らしい温かみ。

 それすら本人が、コントロールしているであろうと頭では分かっているのに、胸の奥で、誤魔化すことの出来ない、かすかな喜びを感じている自分を感じて、空恐ろしくなる。


 DV・洗脳・マインドコントロール。

 そんな物騒な単語が、しきりに脳裏に浮かぶ。

 この現状に対して、考え、反発し、逃げ出さないようにする為のだろうか。

 毎日これ見よがしに、鍵すらかけられてない部屋の一室で、光の教団が担う使命、滅びの道と救いの道、天啓に導かれる人々の話をとうとうと語られ、そうして教育役の信者たちが最後に、私に真摯な目でささやく。


「姫様が役割を果たされれば、お望みもかないましょう。お望みの人物に、お会いすることも出来ましょう。」

「司祭長様は偉大なお方。決して、お約束をたがえる人ではありません。」

「姫様のお望みがかなわないのは、お心を全て此方に預けていらっしゃらないからです。どうぞお気持ちをひとつにして、お祈り下さいませ。」


 そんな馬鹿なこと、あるか。

 誰が私を誘拐したのだ。

 誰がレジデを傷つけたのだ。

 ――そう冷静に胸の内で答える傍らで、たしかにその言葉に頷いてしまいたい自分がいる。

 もういいよと、彼らに従順であろうよと、相手の手の内が分かっていても、既に限界を超えた私の心が、その誘惑に耐え切れず膝をつく。

 それは甘美な、破滅への道。

 とっぷりと、何も考えず、それに浸ってしまいたい自分が、確かに存在していた。

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