アランタトルの檻 3
「お目覚めになりましたか。」
そうして男たちに恭しく担がれた輿の上、幾人もの女性達を従え辿り着いた地下神殿。
迎えたのは、一人の美しい祭司。
背を覆う金色の長い髪と、俗世の穢れを知らぬような青い瞳。
女と見まごうばかりの優美な姿。
目を離せない、強いカリスマ性を感じさせる一挙一動と、天上人のようなたおやかな風貌。
それは神殿の雰囲気ともあいまって、うかつには近寄りがたい、人離れした感さえ受けた。
――女?
一瞬、そんな疑問が胸に湧くも、私を輿から降ろし平伏する人々の合間を、無造作に歩いて近寄れば、それでも見上げる程度には背が高い事が知れる。
傷一つ見当たらない滑らかな白い手も、その太い首も、女のものではありえない。
「……あなた、誰。」
「光の教団の司祭長を務めます、シャムール・ギザエットと申します。御身をクリストファレスに御招きする事が叶い、嬉しく思います。」
不躾に聞いた私に、拝礼して答える姿さえ優雅だ。
「そう…。あなたが私を呼んだの。」
それだけ分かれば十分だ。
「――何故、レジデを殺させたの。」
静かに問うた私の言葉。
その意味が分からなかったのか、小首をかしげた拍子、さらりと揺れた金の髪に、瞬間、腹の底から怒りが吹き上げた。
「――!!」
輿の上で隠してあった、髪に挿された銀の簪。
それを左手の包帯から抜いて、明確な殺意でその男の白い喉元に突き出す。
十分に距離を測り、勢いも、間合いも十分。
しかし、男の白い喉下に吸い込まれるはずだったそれは、意外に俊敏だった男に難なく捕らえられ、両腕、後ろ手に簪ごと回される。
「いけません。貴女がそんな危険な事をしては、いけません。」
まるで抱き寄せられるように、拘束された男の腕の中で、獣のように身をよじる。
「どうして!どうして、レジデを殺させたっ!!」
心の底からの、ただ一つの叫び。
大理石の神殿に、響き渡る絶叫。
レジデを、あの笑顔を!何故殺した!!
ようやく吹き上げた、目も眩む怒り。
あふれた涙とともに暴れだした私の怪物は、私の理性もタガも内側から食い破り、目の前の男の喉笛を食いちぎれと命ずる。
許さない。許せる訳がない。
怒りのあまり目の前が真っ赤になる。
返せ。
私に、世界に、あの笑顔を返して。
返せないなら、こんな世界など滅んでしまえ!!
まるで死に装束のような乱れた白い衣装、血走った目で振り乱した髪。
そんな私を慈しむように、愛おしそうに笑うその青い瞳だけが、まるで得体の知れないもののように、じっとりと私を見つめる。
「――。」
――…?
もう一度繰り返された言葉。見ほれるほど綺麗に、男がふわりと笑う。
「生きておりますよ。」
「――…っ」
「あなたの言う男は、我々の手の内におりますよ。」
ガンガンと痛む頭に、男の言葉が馴染むのに、一呼吸あった。
怒りと悲しみと強い絶望で、息すらまともに出来ない私に、ゆっくりとその言葉が染み渡る。
「生、きて……るの?」
「この強い瞳。この明確な意思。……素晴らしい。」
私の問いには答えず、男は私の乱れた髪を一筋、撫でる。
私は……この男の言葉を、本当に信じて良いの…?
その言葉を嘘でも信じたい強い気持ちと、未だ荒れ狂う私の獣が否!と叫ぶその気持ち。
安堵感はそのまま恐怖となり、体の内に体験したことの無い、引きつれたような強い痛みを引き起こす。
「――彼に会わせて貰うまで、信じられない。」
戦慄く唇から、こぼれた言葉。
まるで、一瞬でも目をそらしたら、レジデの命が消えてなくなってしまうかのように、瞬きする間も惜しく、相手の男の瞳に真実を探す。
すると一点の曇りも無い美しい青い瞳を柔らかく細めた男は、薄い唇を私の耳元に寄せた。
「信じる信じないは、貴女の自由です。――縞の毛並みの獣人族をね。」
「……!」
男の腕の中で、目が泳ぐ。
レジデの風貌を聞いているだけかもしれない。
私に抵抗をさせない様にするためだけの、嘘かもしれない。
それでもその言葉は、私の心の一番柔らかい所を、鉄の鎖で無造作に締め上げる。
「会わせて差し上げても、よろしいですよ。――貴女が、……そうですね。きちんと食事を取り、その美しい微笑を我々に向けるのであれば、ここは貴女にとって、安全な揺り籠。――貴女のお望みの人物に、会わせることも出来ましょう。」
「――っ!」
鉄錆の匂い。血塗られた、土の色。
次々浮かぶ不吉な情景に、空転する思考を叱咤する。
レジデを助ける為に、私に出来る最善の事を必死で考える。
「――それは、私が決めるわ。」
ほんの一瞬、口先だけの無意味な強気が口をつくも、すぐに泣きたい気持ちがせり上がってきて、重く胸をふさぐ。
交渉のテーブルに、どうやったらこの相手をつかせる事が出来るの。
弱気になってはいけないと、気持ちを無理やり奮い立たせ考えるけれど、立たされた崖の先、一体どちらに行けと言うのだ。
「もし、本当にレジデを生かしているならば、――『鳥が抱く真実』の答えを。」
辛うじて捻り出した問い。
折鶴に書かれた文字は、レジデしか知らない。
もしエルザかシグルスが、あの難解な折鶴を開いたのでなければ、この世界でそれを知っているのは、私と彼だけだ。
「本当に彼を生かして捕らえているならば、その答えを今直ぐに、所望する。」
きりりと気丈に睨みつけた、相手の瞳。
けれども、その水をたたえたようなその静かな瞳に、私の脆弱な強気はもろくも崩れる。
「――レジデを殺したのでなく、今も拷問しているのでは無いと言うならば、その証を。それさえ確認できれば……あなたたちの言うとおりにするわ。」
目から力が失せて、鈍い光に揺らぐ。
レジデが生きているかもしれないという安堵は、そのまま恐れとなり、底知れぬ深い深い恐怖の沼に突き落とされる。
ドレスが吸い上げた、あの重さ。
どうか。どうか、お願い。無事でいて。
「それが出来ないなら、二度と水も食べ物も、口にしない。――ここまで苦労して欲しかったのは、私の死体では無いのでしょう?」
レジデを抑えられてしまえば、元より本当の意味で、私に抗えるはずも無い。
最後は自分の喉下に突き刺す覚悟であった銀の櫛は、私の指先から離れ、小さな音を立てて床に落ちる。
答えは出た。
――相手を交渉のテーブルにつかせることなど、出来はしないのだ。
緩んだ男の腕の中、貴婦人の礼ではなく、祈りを捧げる殉教者のように膝をついて頭をたれる。
「どうか、お願いします。」
――レジデの助命と救済を。
「彼の命以外に、望むものは――ありません。」




