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世界のカケラ  作者: viseo
崩壊編
109/171

アランタトルの檻 2

 頭が、痛い。

 ずきりずきりと脈打つ血潮。

 その動きにあわせて、目の奥が重く疼いて、吐き気がこみ上げる。

 その強い不快感に体をねじれば、重く響く痛み。

 呻きながらも動いた拍子に、甘い香りの残滓がふわりと鼻腔をくすぐり、その瞬間だけすうっと痛みが遠のく。

 割れそうな痛みから逃げたくてその甘い香りを追えば、今度は強すぎる清涼感のある香りが邪魔をして、鬱陶しい。

 意識を急浮上させる強い薄荷のような香りと、沈み込ませる甘い香り。

 それはまるで不快なジェットコースターに乗っているかのように、私の意識を揺さぶり持ち上げ、そして落とし続ける。

 そしてそんな意識の高低に疲れたと感じられた頃、

 ――ようやく私の意識は戻った。


 ……ここは。

 天蓋付の大きな寝台の上で、真っ白い天井を見つめる。

 長い長い夢から覚めて、ぼんやりと視線を遊ばせていると、部屋の隅から微かな衣擦れの音がする。

 そのさわさわとした音にゆっくりと視線をやれば、白、黒、灰の塊に似た――こちらに向かって平伏している人々の姿が目に入る。

 何を思うでも無く、その無彩色の集団を見やれば、その内の一人が頭を上げ、しずしずと近寄ってきた。

「――ご気分は如何でしょうか。」

 柔らかで、ささやくような優しい声。

 無感動にその傍に寄った女性を見れば、故郷で見たシスターを思わせる落ち着いた色味の修道服のようなローブと、口元の薄いベール。

 こちらを心配するように覗き込んだ瞳には、僥倖に巡り合えたかのような感動の色すら見えた。


 気分?――良い訳あるか。

 そのまま答えず、また天井に視線を戻すと、その拍子にまたずきりと頭の奥が痛んだ。

 ――これが最悪の事態と言わずして、何というのだ。

 そんな私の様子に気にした風も無く、そのまま近づいてきた数人の女性が、私の体を起こし、口元に水の入ったコップを押し当てる。

 その慣れた仕草に、この動作が何度も繰り返されたのだと知って、さらに強い感情が私を襲う。

 それは、全てが終わったことに対する――強い絶望だ。

 

「――…殺したの?」

 ぼそりと呟く。

 あの庭で、誰を殺したの。

 その私の独白の、意味は取れても答えを持ち得ない女性は、ただ困ったように笑う。

「……ここは、どこ?」

 改めて意味のある質問を返せば、案の定

「クリストファレスの大神殿にて、御休み頂いておりました。」

と、非常にありがたくない、けれども大方予想通りの返答が返る。

 そして、そのやり取りを跪いて聞いていた人の何人かが、感極まったようにさらに額づいた。

 ――鬱陶しい。


「そう…。なら、話の分かる人に会わせて。」

 そのまま言い捨てて、目をつぶる。

 先ほど感じた、鬱陶しいと思った感情も、降り積もる雪の中に消えたように、私の感情から静かに消えうせる。

 空虚な自分の胸の内、悲しみの感情の一かけらも見い出せないのは、ついに感情の一部が壊れたのだろうか。

 他人事のように、そう思う。けれどもそれだってどうでも良い事だ。


 ――会わなくてはならない。

 ただそれだけを、淡々と思う。

 自分の体のだるさや、介抱に手馴れた風の女性達。

 それは自分が意識を取り戻すのに、決して短くない時間が過ぎたことを示している。

 あの分厚い警備網を掻い潜って、アーラ姫を誘拐する程の荒行。

 そんな人間にとって、レジデの命の重さは如何ほどか。


 あっけなく流された、彼の血。

 ドレスが吸い上げるほどの、大量の血痕。

 もう二度と聞くことが出来ない、彼の声。

 それを思い出し、我知らず小さく体がぶるりと震えた。

 駄目だ。――まだ、駄目。


 強すぎる感情は、私の胸の内を一色に塗りつぶし、全ての音を凍りつかせるクリストファレスの雪のように、胸の内に静かにしんしんと降り積もる。

 危険だと言う認識を十分に持て。とのシグルスの言葉がふいに脳裏に蘇る。

 どうして私はあんな危険な場で、レジデと会う約束なんてしたのだろうか。

 ――配慮が足りなかった。

 言葉にすれば、ただその一言に尽きるだろう。

 そしてそのもたらした結果が、これだ。

 ――私は自分を許してくれた人を、殺したのか……。

 ぽつりと、静かに思う。


 予想が出来なかった事では無い。

 最悪、自分が凶刃に倒れることがあると分かっていた。

 ならば累が及ぶことだって、想定出来たはず。


 ……私が、殺した。

 レジデの死を、その事実を、淡々と受け入れる。

 ならば私がすることは、ただ一つ。

 たった一つしか、無い。

 

 どんなに薦めても、決して水以外を口にしようと私に焦りを感じたのか。

 部屋の隅でひそやかに相談していた女たちが、程なくして、衣装を用意し始めた。

 修道服に似た、けれどももっと上等な白いローブに、金と銀を織り込んだ飾り帯を巻く。

 たっぷりと細かなプリーツをとったスカートは、シルク独特の光沢感。

 口元を覆うベールも、同じように白。

 金銀以外は他の人間と同じように、無彩色の出で立ちだ。


 そうして逆らうことなく、重い体で静かに身支度を整える。

 強く締め上げたり、ヒールを履いたりしないですむのは有難い。

 余計な宝飾は一切無かったけれど、最後に一つ、銀の簪を挿される。

 その時初めて、自分の片手に巻かれた真っ白な包帯を見た気分になったけれど、別にどうって事はないさ。

 利き手が使えれば御の字だ。


 そうやって身支度が終わり、部屋を出る。

 そこは壁も床も高い天井も、全て磨きぬかれた白い大理石の広い広い廊下。

 中央に敷かれた、血を思わせるような、緋色の絨毯。

 その無機質な世界で、ぽつんと一つ、そこだけは優美な形の窓の外に、荒れ狂う雪が見える。 

 その情景が、まるで自分の姿のように見えた。


 どれだけの血を流しても、どれだけ内に荒れ狂う感情を宿していても、形だけは整えられた冷たい自分。


 ならば、さぁ。

 この血塗られた道を歩いて、浄玻璃の鏡の前に立ちに行こう。

 

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