白い鳥 21
結局あの後、「アーラ姫限界」との判断で、城に用意された部屋に泊まった。
帰城したかったけれど、翌日の『鳥』としての仕事もあるから、こればっかりは仕方ない。
音声を魔石に集めるための魔方陣は、服の着脱時に、色々仕掛けが必要な難解なもの。
着るのも脱ぐのも面倒臭い。
移動型魔方陣の呪を解除しながら、『鳥』の一部であるメイドさんたちに、よってたかって服を脱がしてもらって、人心地。
疲労で動かなくなった頭で、子どものように、ようやっと部屋着に着替えさせて貰っていると、暗い銀色の髪を持つ、私の上司が入ってきた。
「アーラ姫の解呪作業は終了したか?」
「はい。滞りなく、おすみでございます。」
メイドさんたちが頭を下げ、外したばかりのアムネアの宝玉を渡す。
これから音声解析や、明日の警備の最終確認など、まだ仕事が残っているのだろう。
灰色狼は、未だ騎士服をまとったままの姿で、いくつかの業務事項を確認。
その後、メイドさんたちを人払いをすると、もう一度深い紫の宝玉を、自分でチェックしはじめた。
「――今日は随分と面白いものを見せてもらったな。」
一瞬、何の事か分からず、きょとんとする。
「あの紙細工は、どうしたんだ。」
ああ。折鶴のことか。
「ユーン本家が無理難題を押し付けてきた時用の……ただのトラップです。」
私がシルヴィアの館から持ち出した荷物は、川に落ちて意識を失った段階で、全てシグルスにチェックされている。
折鶴を持っていないのを知っている男に、あれが本物だと言い張っても意味は無い。
「やはり偽物か。――しかし、お前個人の目的の為に、予定外の行動を起こすな。全体の計画が狂う。 今後は全て報告しろ」
「……了解しました。」
言ったら阻止されると思ったから、こっそり用意した所まで分かっているんだろう。
一度ぎろりと睨まれたけれど、どうやら厳重注意ですませてくれる気らしい。
また細かな作業に戻ったシグルスに、こっそりと安堵の息をついた。
「――それにしても見事な紙細工だったな。」
暫く集中して確認作業をしていた男が、顔も上げずに、ふと思い出したように言う。
むう。
何故か保育士の血が騒いで、畳んであったままの折鶴を、いったん広げる。
どうせ褒めるなら、もっと難解な折鶴を見てから言ってくれ。
「お気に召したならどうぞ。エルザにでもあげて下さい。」
紙の中央に踊る、レジデに書いてもらった『真実』という文字。
辻褄あわせのそれを、また内側に畳みながら、もう少し複雑な形の鳥を折り上げて、シグルスが作業している机の淵に、ぽんと置く。
「――…。お前からの物だと、伝えておこう。」
冷静な声の、ほんの一瞬の躊躇。
昨日のエルザとシグルスの、いつもと違った距離感。今の僅かな間が、それがどうやら未だに続いているらしいと、教えてくれる。
「あの……。」
血の気の引いた、彼女の顔を思い出す。
今、エルザはどうしているのだ。具合は大丈夫なのかと、そう問いかけようとして、ふと目を上げたアイスブルーの瞳に射抜かれた。
「そういえば、先ほど、ウィンス卿から騎士の誓いをされていたな。」
突然の問いかけに、思考が止まる。
そうだ。
あれは何だったんだ。
エルザから話をそらされた感は否めないけれど、私の意識はあっという間にあのテラスへと飛ぶ。
「その直前に揉めていた様だと報告を受けているが、明日の様子に不審なところがあっては困る。解決はしたのか。」
また勝手なことをするなと注意を受けるのかと思えば、シグルスの懸念事項は他にあったらしい。
「――よく分かりません。」
小さくため息をつく。
大きくうねった翡翠色の髪と、美しい宝石のような瞳を思い出す。
「今更ですが、いくら後見人代理がエスコートするのは順当とは言え、私のエスコートはフォリアでは無く――婚約者のいない人間の方が良かったのでは、ありませんか?」
これは部外者であるシグルスだからこそ、ある意味、簡単に聞ける問いだ。
そんな私に、作業の手を止めて、不審そうにシグルスが顔を上げた。
「どういう意味だ?」
「下手にミクラム嬢や婚約先のロゾル家の神経を逆なですれば、鳥としての仕事に弊害が出る可能性があるのではと、思っただけです。」
『シルヴァンティエ姫の養女候補』としてではなく、『人の男を誑かそうとする女』と思われて、変な動きがあったら鳥の仕事に差しさわりが出るんじゃないか。
そう懸念事項を伝えると、潔癖な感じのする額に、益々訝しげに深くなる眉間の皺。
――あれ?
作業の手が止まる。
「お前の言っている意味が、良く分からないな。」
こんなに分かりやすく説明しているのに、伝わらなくて、何だか二人の意思疎通に根本的な違いがあることに気がつく。
「――失礼しても?」
作業をしていたテーブルの向いの椅子を指差し、許可を得て座る。
「お前がウィンス卿の婚約者、ミクラム・フォン・ロゾルと言葉を交わした報告は受けている。そのことか?」
少し考えてからの問いに、小さく頷く。
「確かに、お前がもし実際にシルヴァンティエ殿の養女になり、ウィンス卿を譲渡要請すれば、ロゾル家としてはこれ以上無いほどの出世になるからな。ロゾル家が無関心ではいられまい。――しかし、それが何故、仕事の弊害になる。」
――は? ――譲渡?
「しゅ…っせ?」
フォリアを私に譲渡すると、ミクラム嬢の家が、出世する……?
聞き間違いかと思って、あまりにぽかんとした私に、どうやら問題点を見出したらしい。
「もしかして、……それも覚えていないのか?」
と、シグルスは得心したように呟く。
「通常、爵位を継ぐ人間は多かれ少なかれ、早い時点で婚約者を選ぶ。ウィンス卿もユーンの後継者から外れた時に、今の婚約者が選定されたのだろう。」
突然始まった勉強会さながらの雰囲気に、こちらもかしこまって、小さく頷く。
婚約者を早い段階で選定される。――そこまでは、分かるよ。
こちらの貴族社会で、自分の恋愛感情主体で、婚約するとは思えない。
「しかし、実際社交界に出てみて、身分の高い人間が新たに見初めることと言うのはよくある話だ。――そしてその場合は、婚約者の譲渡を申請。 交渉が成功すれば、婚約していた家に対しては、多額の報奨金が支払われるな。」
何、それ。
「つまりは慰謝料とか、賠償金……のような?」
「いや、そこまでネガティブな物ではない。場合によっては、一家を興せるだけの財産が支払われる。 美しい婚約者が、自分よりも上位の貴族に見初められて、正妻にと望まれる。――それは社交界における男の出世方法のひとつだ。」
何じゃそりゃぁ!
あまりの常識の違いに、開いた口がふさがらない。
「下手をすれば、身分を釣り合わせるために、元々の婚約者の家に養女に入り身分をかさ上げして、その後さらに嫁ぐ場合もある。」
最も多額の金が動くのが、このパターンだ。と、貴族社会から一歩引いたところにいる騎士団長は、淡々と説明する。
その様子に、想像を絶するような金銭が動くんだろうなと、我知らず嫌悪感に顔がゆがむ。
――養女ねぇ。
そんな私に思うところがあったのか、シグルスらしい物言いが返された。
「元々、婚約者と言ってもまわりが決めるものだ。婚姻の時まで殆ど顔を見ないことすら珍しくない。――女にとっては、相手が変わろうが関係ないだろう。」
ああ。自分の美しさに男が参って、どんどん身分の高い男から求婚される。
それは、たしかにこちらの世界の、一つのシンデレラストーリーなのかもね。
でも、
「別に純愛云々、説く気はありませんよ。――ただそうなれば、『転売』目的で、美しい少女を無理やり婚約者にする人間が、いそうだと思っただけです。」
自分がこの美しい少女の後ろ盾になると暗示して、上位貴族のところに売り込む。
それで一財産作れるなら、枕営業をかけさせる男がいたって不思議じゃない。
「没落した貴族の娘や、美しい未亡人でも婚約者にして、連れて歩く。そして多額の褒章と引き換えに譲り渡したら――それはただの悪質な人身売買ですよ。」
疲れもあって、元の世界の常識を持ち出して振りかざした私に、息を飲むほど冷たい、冷徹な瞳が瞳が向けられる。
「………っ」
誰が相手でも容赦はしないであろう、その殺気混じりの強い意志は、凍れる炎となって私を射抜いて、私の心胆を冷しめる。
「――…その話は、エルザの前でするな。」
エルザの名に一瞬疑問に思う間もなく、感情の無い低い声が、見えない手に変じて、あの夜のように私の首に巻きつく。
唯一わかったのは、――私が彼が隠していた逆鱗に触れたこと。
上手く息が出来なくなる錯覚すら覚えて、無意識に首に手をやれば、確約を求める瞳が容赦なく追いかけてくる。
「わかり……ました。」
辛うじて、それだけ答えられた。




