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世界のカケラ  作者: viseo
流浪編
1/171

はじまりの三日月

 ――人生とことんついてない事があるもんだ。

 葉山橙子はやま とうこはフロントガラス越しに見える景色を、ぼんやりと眺めていた。

 蜘蛛の巣状にガラスに走る煌きが、三日月の光を受けて、いっそ幻想的で美しい。

 今日びの車は壊れる事で衝撃を逃がし、中の人間を守ると聞いたことがあるけれど、実体験出来るとは。

 何せ私、十メートルもある崖から車ごと突き落とされても、まだ生きているよ。


 とは言っても、指一本動かせず、意識を体のあちこちにめぐらせれば、体中全体が心臓になったように脈打っている。

 上手く瞬きが出来ないのは、どうやら頭から出血しているらしい。

 他にも耳鳴り、めまい、動悸、etc ……まぁ救心じゃ間に合わないのだけは確かだ。

 自虐の趣味は無いので、さっさと痛みから意識をそらし、目の前に広がる人生最後の美しい景色に逃避する。


 ――子ども達を乗せていなくて良かった。

 否。子供を乗せていないから、突き落とされたのだろう。

 明らかな殺意を持って後ろから幾度もぶつかってきたのは、勤めている保育園でよく見た明るいパステルカラーのタウンカー。遠藤麻衣子えんどう まいこのものだ。

 『うちの子達ったら、橙子先生の大ファンなんですよ。いつも先生の話ばっかりしてるんです。』

 脳裏に浮かぶ車の持ち主――麻衣子は、こんな田舎では珍しい、垢抜けながらもどこかあどけない――はっと目を引く可愛さのある女性だった。

 しかし先ほどぶつかってきた車の運転席にいた女性は、未だかつて見たことが無いような、般若のような顔をしていた。


 ――女の嫉妬は怖いって言うけど、正直ここまでやるかぁ?

 罪の無い会話が一体いつから変わっていったのか、分からない。

 元々体が弱いらしく、麻衣子が小説家の旦那と共に空気の良いこの町に引っ越してきたのは数年前。

 引っ込み思案なのか、最愛の家族以外とは中々打ち解けないようだった。

 けれども、保育園に初めて来た時から橙子を非常に頼りにしていて、橙子もこの可愛らしい女性を気に入っていた。


 体が弱く、度々入院する麻衣子の代わりに、近所の橙子が家まで子供たちを送り届けるのは、当然の成り行きだったし、送りにいけば恐縮した父親が迎えに出る。

 笑顔で父親に駆け寄る子供たちに、手を振り、挨拶をして帰る日々。

 時には母親が不在の寂しさから、子供たちに引き止められることも、小説家の父親に小説の題材として色々話を聞かれることもあったが、橙子にとってはただの日常の一コマに過ぎなかった。

 それは彼らにとっても同じ事だったろう。


 しかし体の弱さが心の弱さを呼んだのか。

 麻衣子の中では一つ一つが疑心の芽を育てる行為に他ならず、いつしか橙子への憧憬の眼差しが、嫉妬と憎悪の色に塗り替えられていった。


 実際、麻衣子の旦那と浮気のひとつでもしてれば気分も違ったのかもしれないが、優しげなインテリ男性はまったくもって趣味でない。

 ――してもいない不倫関係を疑われた挙句、殺人事件にまで発展って、どーよ。

 そもそも、恋愛対象者以外につきまとって事件を起こすのも、ストーカー事件っていうの?

 それなりに楽天家だと自負していたが、流石にこれはやりきれない。

 気弱だったり疲れた感じの男性を保育園で見飽きたせいだろうか。5人兄妹のど真ん中で逞しく育ったせいだろうか。

 自分でもかなり恋愛願望や結婚願望が薄いのは、自覚している。

 ここ数年は彼氏もいないが、毎回別れる理由は大抵一緒。

 『君は僕がいなくても、生きていけるんだね。』


 十八才で実家を出て、一人暮らし暦十年。

 大抵の事は自分ひとりで何とかなるし、薄給一人暮らしのおかげで、自炊の腕もそれなりにある。

 性格はサバサバしていて、外見は目立つほどの美女ではないが、別に悪くも無い。

 子供は好きだし、自分の下の兄弟が年の離れた双子のせいで、面倒見も悪くない方だと思う。

 ――っていうかその前に、面倒見の悪い人はこの仕事は無理だし。

 でも最終的には、保育士という肩書きに男が抱く幻想と、自分の事は基本的にお互い自分でと思っている私の性格と、ギャップが大きくなって別れていく。

 結局、自分の面倒を見てくれる結婚相手を探してるだけじゃない!

 そんな結婚願望の強い草食系男子とのやり取りに疲れて、ここ数年は気楽な独り身生活を楽しんでいたのに、この仕打ち。――ちょっと、頼むよ神様。


 だんだん視界がぼやけてくる。

 大きく視界が揺れたのは、天を仰ぐようにして枯れ木にからめ取られていた車体が重さに耐えられなくなったせいだろうか。

 まるで万華鏡のように、何重にも見える月と星とガラスの煌きの中、やけにはっきり左右対称の三日月が並んでるの感じながら、私の意識は闇に沈んだ。

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