第1話 あたしが世界で1番キライなもの
登場人物
浅間天音:合法的、非合法的な手段でクズの人生を終わらせる女探偵。
権田:大ノ手探偵事務所の所長
高瀬結衣:パワハラ&セクハラ被害者
黒田正人:パワハラとセクハラのハイブリッドモンスター
あたしが世界で1番キライなもの。
ゴキブリ?
違う。
あいつらは少なくとも部下を怒鳴らない。
満員電車?
惜しい。
でも降りれば済む。
期間限定のスイーツが売り切れてたとき?
それも相当キライだけど、今は置いとく。
答え。
権力を笠に着て、人を踏みにじるクソ野郎。
マイナス1000兆点。
あたし——浅間天音が、この世から駆逐すると決めたゴミのトップ・オブ・トップ。
4月第一週。桜。新年度。世間はキラキラしてる。入社式だの歓迎会だの。
あたしの職場は、そういう空気と無縁だ。
新宿の小さなビルの3階――大ノ手探偵事務所。
場末の探偵事務所。
こんなところに来る人間はみんな追い詰められてる。
あたしはロースンのプレミアムロールケーキ(期間限定2000%増量)を食べながらレビューを知り合いにLINEしてた。
――さすがに2000%は多すぎ。でもうまい。5000億点。
そんなとき、扉が開いた。
若い女性だ。
スーツは量販店のやつ。
スラックスの膝が褪せてる。
しょっちゅうしゃがむ人の着方。
右手にノート。
付箋が何十枚もはみ出してる。
マメというか几帳面なタイプ?
一瞬でプロファイリング。
探偵の基礎スキルだ。
「あの……すみません、予約もしてないのに……すみません……」
一文に「すみません」が二回。
目の下にクマ。
化粧で隠そうとして負けてる。
声が小さい。
語尾が消える。
いかにもパワハラされてそうなタイプ。
「いらっしゃい。座って。名前は?」
「た、高瀬です……高瀬結衣です。すみません、あの——」
「結衣ちゃん。ここでは謝んなくていいよ。あんたは何も悪いことしてない」
彼女の瞳が一瞬だけ見開かれて——また伏せられた。
◇◇◇
まずは今回の登場人物を紹介しよう。
時系列に沿って話すより、先に整理してしまった方がいい。
それがあたしのやり方。
被害者——高瀬結衣、25歳。
日東商事の営業部、営業事務。
入社3年目。
気が弱くて几帳面、ついでに不器用。
忘れっぽいのを補うために、きっちりメモを取るタイプ。
努力家だね。
プラス1000点。
加害者——黒田正人、52歳。
日東商事の営業部長。
パワハラとセクハラのハイブリッドモンスター。
部下への説教、怒っているうちに興奮してさらにキレるタイプ。
人の話を聞かないし、周囲の物に当たり散らす。
ホントに人間?
動物のほうがまだ理性的だ。
マイナス1億点。それでも足りない。
◇◇◇
結衣ちゃんの話を聞いた。
曰く――
入社1年目。
黒田が直属の上司になった。
最初は「厳しいけど人を育てる上司」だと思った。
……思い込もうとした。
「お前の資料は見る価値がない」
「声が小さい。やる気あんのか」
「俺の若い頃はな——」
長い武勇伝と終わらない説教。
1時間、2時間。結衣ちゃんが口を開くと
「黙れ。俺が話してる」
で潰される。
2年目。人事異動で人が減った。
結衣ちゃんの席が黒田の真横になる。
ここからがヤバい。
「残れ。指導がある」
残業の強制。
「指導」の名目で会議室に二人きり。
「お前は俺がいなきゃダメだろ。可愛がってやってるんだ。感謝しろ」
「あの……可愛がるって、何を——」
「なんだ。俺の気持ちも分かんねぇのか。鈍いな」
そして——先週の金曜日。
全員が帰った夜のオフィス。
黒田が会議室に呼び出した。
「お前も分かってるだろ。俺がここまで目をかけてやってるのは、お前が特別だからだ」
手首を掴まれた。
「大人の付き合いだ。10日後、ホテルは予約してある。——社会勉強だと思えよ」
結衣ちゃんが手を引いた。黒田は離さなかった。
「査定を書くのは俺だ。来期の契約更新も。分かるよな?」
黒田は笑った。
結衣ちゃんの目を覗き込んで、こう告げた。
「俺は部下を育ててるんだよ。
厳しくするのも、可愛がってやるのも、全部——教育だ。感謝しろ」
結衣ちゃんは手を振りほどいて走った。
そのまま帰った。
月曜日。黒田が何事もなかったように声をかけてきた。
「返事、楽しみにしてるぞ」
怖くて何も言えなかった。
悩んで悩んで、結衣ちゃんは警察に行った。
「社内のことなので、まず会社の窓口に相談しては」と返された。
会社のハラスメント窓口。
……担当は黒田の同期だった。
◇◇◇
ここまでの経緯を話してくれた結衣ちゃん。
その声が途切れた。
ぽた。
涙が落ちた。
我慢してたのだろう。
ずっとずっと、我慢してたのだろう。
けれど、限界が来たらしい。
あたしはハンカチを渡して、告げる。
「オーケー、分かった。そいつの人生、終わらせよう」
結衣ちゃんが涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。
「え……でも、相手は部長で……」
「大丈夫。あたしはクソ野郎を破滅させるのが専門だから」
事務所の奥で、所長の権田さんがちらりとこちらを見た。
何も言わなかった。
手の中の赤ペンを、一度だけ回しただけだ。
オーケーサイン。
実はうち、ただの探偵事務所じゃないんだよね。
ここに駆け込んできて正解だよ、結衣ちゃん。
◇◇◇
調査はあたし一人で回した。
黒田正人の周辺を洗う。
接待名目の私的飲食。
経費の水増し。
社内の別の女性社員への不適切なメッセージ——これは被害者本人の協力で入手した。
裏取りはあっというまにコンプリート。
こういうタイプは証拠をばらまきながら生きてる。
むしろパワハラとセクハラを自分の勲章だと勘違いしてる。
決定打は――結衣ちゃんが取ってくれた。
相談から3日が経った木曜日。
黒田がいつものように結衣ちゃんを「指導」に呼び出した。
会議室で二人きり。
黒田がにやにやしながら切り出す。
「で、返事は?」
結衣ちゃんは黒田の目をまっすぐに見据え、震える喉を抑えながら告げた。
「私に、何をさせるつもりなんですか」
「おっ、予習したいのか? だったら教えてやるよ」
黒田の口から語られたのは、まあ、アダルトなフィクションで脳がドロドロになったクズの妄想だった。
セクハラ確定、無期懲役、即死刑レベル。
聞くに堪えないものだったけど、結衣ちゃんは我慢した。
そして話が終わった後に、勇気を出してこう告げた。
「でも黒田さん、奥さんがいるじゃないですか。不倫ですよ」
黒田は激怒した。
「不倫ぐらい別にいいだろうが! テメエ、俺に口答えすんのか!? なんならココで始めたって構わねえんだぞ!」
最悪。
サルか?
いや、サルに失礼か。
彼らの方がまだ理性的だ。
ともあれ――
黒田は怒り狂ってその場で結衣ちゃんを押し倒そうとしたらしい。
けれど、そうならなかった。
ジリリリリリリリリリ!
偶然火災報知器が鳴り響いたからだ。
黒田の気が逸れた一瞬を見計らって会議室を出る。
そのまま体調不良を理由に早退して――近くのカフェで待っていたあたしのところに来た。
「浅間さん。……撮れ、ました」
あたしは結衣ちゃんにICレコーダーを持たせていた。
黒田がうっかり口を滑らした時、それを「破滅のキー」にするために。
頑張ってくれた彼女の勇気に点数なんて付けられない。
無限大だ。
◇◇◇
手札は揃った。
黒田の肉声データ。
経費不正の裏付け。
複数の女性社員への不適切メッセージ。
幸い、あたしは日東商事にちょっとしたコネがある。
本社のコンプライアンス部門――黒田の同期がいない、本当の管理部門に放り投げた。
ついでにお友達のいる労働局にも報告。
これにてミッションコンプリート。
麻雀で言うなら役満直撃。
黒田正人は懲戒解雇となった。
なぜか業界中に話が回って、再就職の目途もゼロ。
もちろん奥さんからも縁を切られ、離婚調停開始。
ついでに結衣ちゃんにも腕利きの弁護士の大河原って人を紹介しておいたから、パワハラ、セクハラの慰謝料をガツンと取れるはずだ。
黒田にはもう何もない。
社会的信用。経済基盤。家庭。
ゼロ。ゼロ。ゼロ。
あたしはこの瞬間が好きだ。
クソ野郎の人生がゼロになる、この瞬間。
解雇通告の場で、黒田は叫んだらしい。
「俺は教育しただけだ! 部下を育てて何が悪い!」
教育、ねぇ。
人に教える前に、まずは常識を学んだ方がいいんじゃない?
あんたのやりかた、令和どころか昭和でもアウトだよ。
マイナス無限大の人生へようこそ。
◇◇◇
ただ――
こういうヤツって逆恨みするんだよね。
俺は悪くない、あいつが間違ってる。
自分だけが破滅してたまるか。
そういう思考に陥って、道連れを増やしたがる。
——1週間後の夜。
結衣ちゃんのマンションの前。
「結衣、おまえのせいで、俺は……!」
物陰から黒田が現れた。
スーツは皺だらけ。
顎に無精髭。
目元に隈ができいている。
営業部長だった頃の面影なんかどこにもない。
右手には包丁を持っていた。
刃が、月光でぎらりと輝く。
結衣ちゃんは足を震えさせながら、けれど、毅然と宣言した。
「帰ってください。罪を重ねてどうするんですか。今なら見逃してあげますから」
「偉そうなことを言いやがって! 俺は部長だぞ!」
もう解雇されたのに?
というツッコミはさておき、黒田は結衣ちゃんに襲い掛かった。
「はーい、ストップ」
というわけで、割り込み。
横から黒田の腕を掴む。
「なんだ、テメエ。放しやがれ!」
「ヤダ」
腕をねじり上げ、ついでに足を払って地面に引き倒す。
ついでに腹をヒールで蹴っ飛ばしておく。
「ぐっ! がっ……! お前、何だ……?」
「通りすがりの探偵。たまたまヤバい現場に居合わせちゃったから、止めた。それだけ」
……ってことにしておこう。
まあ、黒田みたいなタイプは最後に「特攻」してくるリスクがあったからね。
念のために張り込みをしておいてよかった。
ヒールで黒田の右手を踏みつけて、包丁を手放させる。
スラックスのポケットからスマートフォンを出した。
鳴らすのは110番。
当然だよね?
パトカーはすぐに来た。
「浅間さん、またご活躍されたんですね!」
声を掛けてきたのは轟慎吾、28歳。
階級は警部補。
たぶん、かなり出世が早い。
エリートかな?
しかもイケメン。
長身で清潔感もある。
職場ではさぞかしモテていることだろう。
「あたしのことはいいから、ほら、さっさと引っ張ってって。
黒田正人52歳、殺人未遂の現行犯ってことで」
「承知しました。ところで今度僕と……」
「仕事中は仕事に集中する!」
「はい……」
しゅん、と叱られたように小さくなる轟くん。
あたしはなぜか彼に懐かれている。
探偵なんか警察にしてみれば取るに足らない存在というか、ぶっちゃけ邪魔者だろうに。
よく分かんないね。
◇◇◇
翌日。
事務所に高瀬結衣が来た。
目の下のクマが——少し、薄い。
「浅間さん。ありがとう、ございました」
深く、深く頭を下げた。
「会社に残ることにしました。
新しい部長は……ちゃんとした人で。
初めて資料を褒めてもらえたんです」
ようやく、この子にまともな人生が戻って来たらしい。
「結衣ちゃん。もう自分から謝んなくていいからね」
「はい。……あっ、すみませ——あ」
口を押さえて、笑った。
泣いてる顔しか知らなかった。笑うとこんなに明るい顔になるんだ。
点数?
ううん、ここは花丸だろう。
桜がまだ残ってる。
4月の風は温い。
さて。
次のクソ野郎は、どこにいる?
◇◇◇
わたし――高瀬結衣にとって、浅間さんの第一印象は、「怖い人」でした。
黒髪が長くて、目つきが鋭くて。
赤い服にヒールが高くて。
綺麗な人だけど、なんだか怖かった。
でも、話してみると違いました。
「ここでは謝んなくていいよ、あんたは何も悪いことしてない」
その言葉が嬉しかったんです。
3年間、いつも怒られて、責められて、謝ってばかりでしたから。
浅間さんは私の話をしっかり聞いて、黒田部長のことに怒ってくれました。
「オーケー、分かった。そいつの人生、終わらせよう」
そう言ってくれたとき、本当は嬉しかったんです。
えっと。
ひとつ、信じられない話をしていいですか。
わたしが大ノ手探偵事務所に行ってから3日後の木曜日。
黒田部長に会議室で呼び出された時のことなんですけど、実はあれ、前もって浅間さんがぜんぶ言い当てていたんです。
「3日後、黒田はあんたを会議室に呼び出してこう言うよ。
で、返事は? ってね。
答え方は指示しとくね。
――私に、何をさせるつもりなんですか。
こう言えば、あいつはいろいろと喋り始めるからICレコーダーに撮っておいて。
あと、結衣ちゃんに勇気があるなら追加のセリフもあるよ。
――でも黒田さん、奥さんがいるじゃないですか。不倫ですよ。
これが言えたら100点満点だね。
もし危なくなっても大丈夫。
火災報知機の神様がついてるから」
正直、半信半疑でした。
というか火災報知器の神様って意味が分かりませんよね。
でも、何もかも浅間さんの言ったとおりになりました。
あの時、タイミングよく火災報知器が誤作動したのはやっぱり……。
いえ、なんでもありません。
とにかく、浅間さんは私を助けてくれました。
昨日、新しい部長に「高瀬さん、できる人だね」って褒めてもらいました。
初めてでした。
3年間で、初めて。
浅間さんに出会えて。
わたしはようやく——謝らなくていい場所を、見つけました。
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