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水滸綺伝  作者: 一條茈
第十一回 朱貴、水亭に合図の矢を放ち 林冲、雪の夜に梁山泊へと入る
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(七)

 「……兄貴、差し出がましいようだが、この寨には余るほどとはいかないまでも、十分なたくわえがあるじゃないですか。もし十分でなくなったなら、あちこちで拝借してくればよい話。山にはいくらでも木が生えているのだから、時さえあれば家だって堂だって建てられるというものです」

 頭領のあまりの態度を見かねた朱貴が、渋い声を絞り出す。

 「林教頭は、柴進殿直々に推薦されたお方ですよ。それなのによそへ行けと追い払っては、我々を支援してくださる柴大官人に合わせる顔がありません。大官人殿は我々がこの山に登る前からずっと御恩のある御方、あとで林教頭の入山を断ったと知られたら、我々の男気も何も、あったものじゃありません。それに林教頭は世にも稀な豪傑、きっと梁山泊のために力をふるってくださるでしょう」

 「兄貴⋯⋯この人おひとり、山に加わったとて⋯⋯何の不都合があるというんだ?」

 王倫の隣で気まずそうにしていた宋万と杜遷もまた、声をあげた。

 「そうですよ兄貴。朱貴の言う通り、兄貴が断ったことが柴大官人に知られたら、それこそ大変なことだ。俺たちが忘恩不義の輩だと噂されたらどうするんだ? あんなに柴殿の世話になっておきながら、柴殿の勧めで来られた方を追い返すなんて、俺はできないね」

 「それに⋯⋯誰あろう、あの名高い林冲殿です。ここにいてもらって、頭領の一人になってもらえば、俺たちの株もあがるというもの。そうしないと、俺たちは、義理もない恥知らずと江湖の好漢に笑われてしまう」

 弟分たちにかわるがわる言いたてられ、青白い王倫の眉間にまたたく間に深い皺が刻まれる。細い瞳は、いまや糸のように顰められていた。

 「お前たちはそう言うが……この方が滄州でどんな罪を犯したか、聞いただろう。この山に来たのだって、どういう心づもりか、わかったものではない。もしも俺たち梁山泊の秘密を探ろうという魂胆だったら、どうするのだ」

 根も葉もない妄想を吐いてまで、どうやら王倫は必死に林冲を追い返そうとしているらしい。

 だが、必死なことにかけてはこちらも同じ、いや、王倫よりも鬼気迫っているのは林冲のほうだ。

 (この山にさえ受け入れられなければ、俺の生きる場所はない)

 果たさねばならぬ復讐のためならば、今はこの狭量な男にぺこぺこと頭を下げることさえ厭わなかった。

 「王倫殿、おっしゃるとおり、俺は死罪を犯した身。だが、すべては高俅たちに陥れられやむを得ず犯した罪なのです。俺は義のために戦いたい、だからこそここにやってきたのです。どうかお疑いは晴らしていただきたい」

 何度も頭を下げる林冲の姿を前にした手下たちの非難の目が、一気に王倫に突き刺さるのが、林冲自身にもわかった。

 長い沈黙のあと、ようやく王倫は小さくため息をつき、椅子に座りなおした。

 「わかった、そこまで言うなら、あなたの本心を確かめよう……投名状を、見せてもらいたい」

 「投名状? それならば、なんのことはない、今すぐここで認めよう。紙と筆をいただけるだろうか」

 意外にもあっけない要求に拍子抜けしたところに、朱貴が遠慮がちに微笑んだ。

 「林教頭、違うのです。この梁山泊の好漢の一員になろうという者は、山を下りて誰か一人殺し、その首級を頭領に献上する、これが投名状なのです」

 「……なるほどな」

 この真冬に、天下を震え上がらせる梁山泊の、そのふもとを通る人間が、どれだけいるというのか――体よく林冲を追い払う理由をこじつけられると踏んだ王倫が、なんとも嬉しそうにほくそ笑んでいる。

 「それではさっそく明日にでも、山を下りて待ち伏せましょう」

 「はは、さすが教頭殿、話がはやい。では、期限は……三日としましょう。三日のうちに投名状をいただければあなたはこの山の仲間。三日たっても手に入らなければ、やむをえまい」

 刀を握ったことがあるかさえ怪しい王倫の手が、高々と盃を掲げた。

 「そのときは、また別れの宴を設けましょう」

 ぐいと傾けた盃から零れた酒が、王倫の髭をじわりと濡らし、床に零れ落ちた。


 「それでは兄貴、また明日」

 貂の毛皮に包まれた朱貴の薄い背中が、こわばったような声を残して遠ざかっていく。

 言葉にならない声でその背に投げかけた返事は、我ながらひどくひび割れ、弱々しい。

 「……兄貴、朱貴はあんな性格だから何も言わなかったが、なあ、林冲殿のことを、どうするつもりだ?」

 ていよく林冲を客間に押し込んだあと、王倫は自室に引き上げ、杜遷、宋万、そして朱貴と、酒を飲み直していた。

 やはり彼らとともにいるのは、一番気が楽だ。

 彼らの前での王倫は、梁山泊を統べる大王であった。

 かつて神童と呼ばれ、科挙の受験のために学び得た知識をもって荒くれ者たちを導く、偉大な旗印であった。

 冴えなくくすぶる貧しい漁民だった杜遷や、しょぼくれた野菜売りだった宋万を山寨の頭領とし、金を使い果たして途方にくれていた朱貴に職を与えてやった大恩人であった。

 「どうするもこうするも、言っただろう。投名状さえ持ってくれば、梁山泊の一員になる。できなければ去る。それだけのことだ」

 「だが、最近のこの天気では、そもそもこのあたりを人が通るかどうか……。もし彼が去ることになったら、柴進殿は投名状を理由に納得すると思うか?」

 「くどいぞ、杜遷。この梁山泊は、これだけ大きな山寨になったとはいえ、まだ構えて間もないんだ。今、目的もよくわからない罪人を仲間に入れて大事になっては、それこそ柴殿に申し訳がたたんだろう」

 「……わかったよ兄貴。そこまで言うなら、もうこの話はこれまでだ。宋万、行こう」

 寡黙な宋万がうなずき返し、二人もまたそれぞれの部屋へと引き上げていく。

 「ふん……誰のおかげで、二の頭領だ、三の頭領だともてはやされていると思っているんだ」

 杜遷から、よく魚を買っていた。最初はそれだけの縁だった。だが、科挙に落第し、鬱々とした気分を晴らすために立ち寄った杜遷の村で、彼の知り合いの女とその家族が横暴な役人にいじめられていた、そこを、多少の機転を利かせて助けてやった。

 それだけのことで杜遷はひどく感動し、王倫が科挙に落ちたと聞くや、兄貴はこんな世の中で埋もれていい男じゃない、科挙の試験官は、兄貴が優秀なので、ほかの金持ちの息子なんかを入れてやるために目障りな兄貴を落としたのさ、などと言って、落草を持ち掛けた。

 あの日から王倫は、この世に己を刻み込もうと心に決めた。己を必要ないといった世に爪痕を残し、いつかこの足元にひれ伏させるために。

 だから、邪魔者はいらない。

 禁軍教頭など、名前だけは大層だが、たいした地位でもないではないか。それを偉そうに、何人もの男を殺しただとか、そんな話を聞いて、この山の荒くれ者たちが、人ひとり殺したことのない己のことを、どう思うか――

 (さっさと去れ、林冲)

 空になった盃を壁に叩きつけ、粉々になった破片を蹴り飛ばした。

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