(六)
大勢の男たちに踏み荒らされ、砂や泥と混ざり合う湿った雪道を、朱貴に続いて登っていく。
遠くから見た時ですらその威容に圧倒された木々は、間近で見れば、男二人が腕をまわしても届くかというような大木ばかりである。
しばらく歩くと、少し開けた場所に「断金亭」の額を掲げた東屋が見え、これを過ぎてさらに上へと登っていくと、巨大な関門が行く手に立ちはだかる。
門前には、鈍く輝く十八般の武器がずらりと並び、周りには投げ丸太や投げ石が山と積まれていた。
「なんと、このように立派な関門があるとは」
「これは一の関門です。聚義庁に着くまでに、もう二つ、同じような関門がありますよ」
得意げな朱貴の言葉に、梁山泊が、ただの天然の要害ではないことを知る。
門をくぐり、隊伍の旗がずらりと並ぶ山道を登り、聞いた通りさらに二つの関門を通る。
「さあ、ご覧ください。ここが我らが梁山泊の寨の中枢。正面の奥に見えるのが、聚義庁です」
ようやく山道が終わり、だだっ広く開けた鏡のごとき平地が目の前に現れる。
見渡せば、正面にそびえる正門を含めて四方に四つの門が設けられ、それぞれ目つきの鋭い男たちが武器を手に行ったり来たりしながらあたりを見回している。
正門の両翼に伸びる長屋の向こうからは香ばしい薫りが漂い、少し遅い朝飯に向かう支度をするにぎやかな男たちの声が聞こえていた。
(噂には聞いていたが、これほどの規模とは……)
調理場や食堂に客房、日用品を扱う店、倉庫や武器庫などがひしめき合うさまは、まるで小さな街がひとつ丸々、山の上で営まれているかのようである。
そしてその賑わいの奥には、仰々しく『聚義庁』の額が掲げられた堂が、いかにも重苦しく鎮座している。
「兄貴、客人をお連れしましたよ」
「入れ」
くぐもった声が答えるよりも先に、朱貴が、古びた観音扉を押し開ける。
「これはこれは……酷い雪の中を、よくおいでくださった」
軋む扉の音に負けずにざらざらと、どこか耳障りの悪く、底の見えぬ声――賊らしいといえば賊らしく、だが決して義賊としての誇りが滲むとも言い切れぬようなその声音の持ち主は、このむさくるしい山寨に似合わぬ文士のごとき白衣を纏い、中央の床几にふんぞり返って座っていた。
両側に控える男たちの驚くほどの上背に挟まれているせいであろうか、やけに小柄に見えるこの男こそ、朱貴の言っていた王倫に違いない。
「林教頭、こちらは、我ら梁山泊の頭領、白衣秀士の王倫兄貴。右に控えるのが雲裏金剛の宋万で、左が摸着天の杜遷です」
「これは三頭領直々のお出迎え、痛み入ります」
なぜか無駄に人の不安をかきたてるような、王倫の神経質とでも言うべき視線を避けたくなり、林冲は慇懃に拱手拝礼をした。
「王倫兄貴、この方こそ誰あろう、東京八十万禁軍教頭の豹子頭林冲殿。高俅のやつめに陥れられて滄州に流刑にされたところ、そこでもまた軍の馬草場を焼かれて無実の罪を着せられ、命を狙いにきた三人の者をしかたなく殺められたのです。その後、柴大官人のお屋敷に逃れ、丁重にもてなされたとのことで、柴進殿自ら認められた、寨への仲間入りを推薦する文をお持ちになって来られた次第。さ、林冲殿、件の文を兄貴に」
朱貴に促され、林冲は進み出ると、懐から取り出した柴進の手紙を王倫に手渡した。
「ふむ……」
二筋の髭を擦り、細い瞳をさらに細めながらしばらく手紙を読み込んでいた王倫は、なぜか湿気を帯びたような黒い目でこちらをじっと見つめた。手紙に書かれたことを疑っているか、あるいは、何か思案を巡らせているのか。
「林冲殿、柴大官人はお変わりなく、お元気でしたかな」
「ええ、毎日お屋敷の好漢たちと愉快に過ごされ、天気がよければ郊外で狩りを楽しまれていました」
「そうですか……さあ、いつまでも立っていないで、そちらにお座りください。おい、お前たち、まず林冲殿に酒を持ってこい。それから、歓迎の宴の準備を」
声音こそ丁重ではあったが、顎で第四の床几を指し示す態度の驕慢さに、林冲はなんとか呆れ顔を浮かべそうになるのを取り繕わなければいけなかった。これが本当に、勇名悪名轟く梁山泊の好漢たちを率い、彼らに大王と仰がれている男なのだろうか。
己に続いて第五の床几に腰かけた朱貴のほうをちらりと見れば、先ほどまでの誇らしげな顔つきは消え、どこか申し訳なさそうに視線をさ迷わせていた。
「林冲殿、今日こうして出会ったのも何かの縁。宴の支度をさせたので、どうか心行くまで楽しんでいただきたい」
しばらくして、場所を聚義庁の奥の広間に移し、ほかの好漢たちも一同に会して、林冲をもてなすための宴が開かれた。
王倫以外の男たちは、給仕をする下っ端にいたるまで、どの人物もにこにこと人懐こく、ここに至るまでのことをあれこれと林冲から聞き出しては、驚嘆の声をあげた。
特に智深との出会いや、いまだ語るたびにじくりと心の臓が痛む陸謙との確執などは、羨望や義憤を顔に浮かべて聞き入るものだから、まるで説話人にでもなったような心地である。
そうして宴もたけなわになったころ、先の尊大な態度はどこへやら、背を丸めて黙々と酒を飲んでいた王倫が手下を呼びつけ、そして大王からの命を受けた手下はしばらくすると、五十両の白銀と二匹の繻子の反物を載せた盆を掲げて広間に舞い戻ってきた。
「……さて、林教頭」
まるで汗水を吸ったことのないような白い袖を大仰に振りながら、王倫は盃を手に立ち上がる。
細い口髭を蓄えた口元が、不穏に傾いた。
「この梁山泊に来られたのは、柴進殿からのご推薦とのことでしたが……何分、ご覧のとおり、この山はかなりの大所帯。衣食も十分になく、新しく部屋を用意することもままならず、人手も常に足りておらぬのです。これではせっかくあなたのような傑物が来られても、何かと不自由ばかりでかえってよろしくない。雪の中わざわざお越しいただいたところ申し訳ないが、どうか心ばかりの品をお納めになり、もっと大きな寨を探しなされ。どうぞお怒りなきよう」
それまで夏の熱気を帯びたかの如くにぎにぎしかった広間に、一気に真冬の沈黙が降り積もる。
これだけの規模を目の当たりにした後ではあまりに見え透いた王倫の嘘に、驚きを通り越して笑いさえこみあげてくる。
衣食住も、人手も、ひとつの街のごとく足りているのは、誰が見ても明らかだ。
「……王頭領、宋万殿に杜遷殿も、どうかお聞きください。俺が雪をかきわけはるばるこの寨を頼ってきたのは、ほかならぬ柴大官人の勧めがあったればこそ。ですが、それだけではありません。ここに来るまで、この梁山泊のなんとも立派な寨ぶり、そして集う好漢たちの男ぶりを目にし、不束者ではありますが、末席にでも置いていただければ、この身命を賭して働きたいと思っているのです。どうか頭領がた、この林冲の心意気をお察しください」
「はは、林冲殿、なんと大げさな。ここは小さな山寨、到底あなたのような豪傑がいられるようなところではない。他をあたられよ」
頭を下げる林冲の様子を鼻で笑うかのごとき王倫の言いように、手下たちがひそひそとざわめきだす。
そのうちの一人がかすかな声で「またか」と漏らしたのを聞き留めたとき、林冲は、この「別れの儀式」がこれまで何度も行われてきたことなのだと理解した。




