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水滸綺伝  作者: 一條茈
第七回 花和尚、柳の大樹を引き抜き 豹子頭、謀られて白虎堂に入る
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(三)

 それからというもの、菜園番を悩ませていたごろつきたちは、恐ろしい怪力の親分に促され、朝のうちはいやいやながらも畑仕事を手伝い、昼には親分のために毎日酒と肉をせっせと運び、日が暮れるまで親分の拳法を眺めては時折手ほどきを受けるという日々を送ることとなった。

 誰かに武芸を教えるなどこれまでしたことがなかった智深だが、たとえ好漢でなくとも、己の技に目を輝かせ畏敬の念を満面に滲ませる者たちを相手にするのは気分がよく、やれ腕を振れだの足をあげろだの、それができないとなると鍛え方が足りないのだと癇癪を起こしてはなだめすかされおだてられるのだから、それなりに愉快なのだ。

 そうして、江湖に名を馳せる好漢に出会ったことも、弱い者をいじめる悪を前に血を滾らせたことも、役人に追われたことも、口先ばかりの坊主どもに嫌気がさしたことも――何もかもどこか遠いことのように薄らぎ始めたあるとき、智深はふと、いつも酒食を子分たちに用意させていることに思い至った。

 こんなことをしているが、かつては渭州の提轄として、部下たちがいい働きをすればいい酒楼に連れて行き、上等な料理を食わせていたのだ。

 そこで智深はさっそく、手伝いの寺男に上等な酒と肉、つまみや豚肉、羊肉など細々と買ってこさせ、このところの暑さをしのぐため槐の木陰に蘆のむしろをひかせると、子分たちを呼び寄せて車座に座らせた。

 「おい、お前たち。いつもお前たちに、ない銭を絞り出させるのは気が引ける。今日は俺が料理を用意するから、ここしばらくの礼と思って、存分に食うがいい。このところ、なんだかんだと博打は控えめにして、畑仕事もこなしているようだしな」

 「お師匠さまがそんなことを気にされるとは。あたしら、お師匠さまをすっかり尊敬してるんで、喜ばせようとしたまでのこと」

 「なにを今更かたぎの善人ぶった口をきくんだ、おかしなやつらめ。俺が食わせてやりたいと言うんだから、お前たちはおとなしく食えばいいんだ」

 じろりと智深に睨まれれば、もはや子分たちに為す術はない。それでは遠慮なく、と控えめに言いながらも、ただで豪勢な飯が食えるとなれば目の色も変わり、山ほど用意した酒も肉もあっという間に片付いていく。

 大椀の酒を何杯も飲み、肉もたらふく食ってすっかりいい気分になった子分たちのうち、張三が、ふと何か重大事を思いついたかのような口ぶりで智深に尋ねた。

 「師匠、そういやあたしら、お師匠さまの拳法はたっぷり見せてもらったが、まだ得物をお使いになる姿を見ていなかったんじゃァないですかい。今日はひとつ、あたしらのためにも、得物を使って武芸を披露してくれやせんかね」

 「ほう、お前たちがそんなに武芸に興味を持つようになったとはな」

 どうぞ見せてくださいと口々に懇願されて気をよくした智深は、しばらく使う機会のなかった禅杖を見張番屋の中から引きずり出し、片手に握りしめると再び子分たちの前に立った。

 「俺の得物はこの禅杖だ。お前たちには到底使いこなせんと思うがな。そら、ひとつ持ってみるといい」

 「ぎゃあッ」

 智深にとっては軽く投げ渡したつもりであったが、何せこの禅杖は、長さ五尺、重さは六十二斤という業物である。受け取ろうとした子分の一人はそのあまりの重さにひっくりかえり、彼を助けようと二、三人が駆け寄ってなお禅杖は持ち上がらず、六人がかりでようやく禅杖を持ち上げる始末であった。

 「まったく、その程度も持ち上げられんとは。鍛錬が足りんのではないか?」

 「お、お言葉ですがお師匠さま、こんな重たい禅杖を扱えるのは、お師匠さまか水牛くらいなものですよ。まったく、本当にすごいお人だ」

 「ふん、水牛にこんなことができるか」

 あんぐりと口をあけたままこちらを見つめている子分たちに見せつけるように、智深は片手で受け取った六十二斤の禅杖を軽々とぶん回した。

 「おお……!」

 五台山の麓で拵えて以来三、四ヶ月、すでにこの禅杖は、智深の腕の一部のような存在となっている。

 提轄の仕事に励んでいた時、常に手元にあったのは剣だった。拳法ほど熱心ではなくとも剣術の稽古を欠かさず積み、十八般の得物の中でも特に剣に信頼をおいていたものだった。

 それが今では、振り上げるのにも下ろすのにも、ぶん回すのにも突き出すのにも、禅杖ほど威力と使い勝手の良さを備えた得物はなく、己が扱うのにこれ以上の得物はないとさえ思えるのだ。

 まるで智深の手のひらに吸い付いているかの如く力強く、なめらかな弧を描く禅杖の軌跡は、旋風のようでもあり、花のようでもあった。

 頭上に、背に、腹の前に、自在に禅杖をあやつり、一心不乱に目に見えぬ敵を――あるいはそれは己であったかもしれないが――切り裂く智深が、子分たちのやんやの歓声にのせられ、さらなる大技を繰り出そうとしたまさにその時、

 「なんと……見事な腕前!」

 聞き慣れぬのに何故か懐かしく、月の宵を思わせるのに幼子の如くはずんだ声が、怒濤の渦潮と化した智深の動きをぴたりと止めた。


 たった一言で、まるで金剛力をふるったかの如く智深の禅杖の舞を止めた男の声は、決して大きくなく、ましてや偉そうに威張ってもいなかった。

 だが、紛うことなく己の演武に向けられたその声は、凜と張り詰めた月の宵に似た色の中に、隠しきれぬ興奮と熱情を宿していた。

 まるで、長年探し求めてやまなかった失せ物を、ようやく見つけたときのように。

 (いったい、どこのどいつだ?)

 己を通り越して注がれる子分たちの視線の先を、智深は振り返った。

 菜園と表通りを隔てる崩れかかった塀の裂け目の向こうで、一人の男が笑んでいる。

 自らも余人より遥かに上背のある方だが、その男も、己に負けずにすらりと背が高い。

 結い上げた黒髪を包む頭巾は曇りない空を切り取ったかのような青色で、決して華美に過ぎず落ち着いた輝きを宿した連珠(れんじゅ)の白玉の髪飾りで後ろを留めている。

 均整のとれた長身の体躯に纏うのは、三月の陽気の中にあって涼やかな緑色の薄絹に精緻な団花模様が配された戦袍で、引き締まった腰には銀の帯を巻き、亀背の二つ金具で繋いでいる。

 先の四角い朝様(ちょうよう)の靴といい、手に握った西川(せいせん)畳紙(たとうし)の扇子といい、己は言うまでもなく、渭州で洒落者をきどっていた男たちですら思いも至らぬような瀟洒な品であるのにまったく嫌味を感じさせないその様は、衣服や小物にまったく関心のない智深さえをも感心させた。

 だが、その都流行の出で立ちよりもさらに智深の目を引いたのは、男の容姿である。

 狭く知性を感じさせる額と、強い意志を秘めて深く輝くつぶらな瞳は、その長身と精悍な風貌もあいまって、雄々しくしなやかな豹を思わせる。

 結いきれなかった前髪が零れかかる燕のような顎はきっぱりとした線を描いており、野性の優美を湛えた虎の髭をはやし、誇りと慎み、威厳と寛容を併せ持った堂々たる姿には、齢三十に達しているかどうかという若さであるのにただ者ならぬ風格があり、そして――

 (こんな好漢を、俺は、知っていたんじゃなかったか)

 豹のごとき瞳を細め、ひどく嬉しそうに「あの者、ただの和尚ではないな、本当に見事な腕前だ」と一人頷くその男の姿に、後ろに控えていた子分たちが次々ざわめき出す。

 「なんと、やはりお師匠さまはただ者じゃあない」

 「そりゃそうだ、あの御方があそこまで褒めなさるんだからなァ」

 こんなろくでなしの博徒どもにさえその存在を知られ、一目置かれているとは、あの男こそよほどひとかどの人物らしい。

 「おい、あの武人はいったいどこのどなただ」

 すると子分たちは、そんなことも知らないのかと言わんばかりに目を丸くして答えた。

 「お師匠さま、あの方こそ誰あろう、八十万禁軍の槍棒術教頭をされている林教頭(りんきょうとう)豹子頭(ひょうしとう)と名高い林冲(りんちゅう)殿ですよ!」

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