(四)
「一の大王、助けて、助けてくださいよぉ」
そんな間抜けな声が桃花山に響き渡ったのは、女と会えば見境なく口説きまわる弟分が、いわく「ようやく出会った運命の女」との婚礼を首尾よく遂げたのか、手下に様子を見に行かせようかという時だった。
「……はぁ」
実は、きっとこういうことになるのではないかと、危ぶんではいたのだ。
どうせ周通の話など半分は独り善がりの勘違いで、今回だって劉太公の娘さんだかは、決して手放しでこの婚礼を喜んだわけではなかったのだろう。
「一大事ですよぉ、一の大王! 何をのんびり座ってらっしゃるんですか」
この山で共に暮らす漢たちの、どうにも憎めない人柄を己はなんだかんだ愛してはいるのだが、いかんせん、江湖をうならせる山賊というにはどうにも気の抜けたところがある。
「何があった?」
おそらく想像通りの事態が起こっているのであろう手下の様子にうんざりした声が出てしまったのも、それでも助けに行ってやらねばと腰を浮かせたのも、大家族の長子として産まれた己の悲しい性であろうか。
「二の親分が……周通兄貴が、ものすごい格好の漢にぶちのめされて……!」
「あの劉のじいさんの家に、そんな凄腕の下男がいたのか。いったいどこのどいつだ?」
「兄貴ィ!」
先に報告にやってきた手下に輪をかけて間抜けで悲痛な叫び声のほうへと目を向ければ、渦中の周通が、なんとも哀れな姿で山寨に帰ってきたところだった。
意気揚々とかぶっていったはずの花婿の赤い帽子は跡形もなく、今日のためにとけちな両替商から奪った金糸銀糸の着物は見るも無残に破れ果てている。乗ってきた馬ですら、みすぼらしくしょぼくれた目をしているものだから、もはや桃花山の二の大王の威厳とやらは彼のどこを探しても残っていなかった。
「兄貴、もうだめだ、助けてくれ」
「……いったいどんなたくましい嫁をとろうとしたんだ、お前は」
「夫をしこたまに殴り倒す女がどこにいるんだよ! 今日は待ちに待った婚礼の日だから、もう幸せな気持ちいっぱいで山を下りて屋敷に入っていったってのに、畜生、あのじじい、娘をどこかに隠しやがったんだ。俺がかわいい嫁さんを探るのに寝台の帳をあげたら、見たこともない太った毛むくじゃらの坊主が出てきたんだよ! 俺はもうびっくりしちまって、油断してる間にそいつに捕まって殴られたり蹴られたり……見てくれよこの傷! みんながあいつの気を引いてる間に俺も命からがら逃げてきたんだ。兄貴、かわいい弟分のこのざまを見てくれ。あのでぶをぶちのめして、俺の仇を取ってくれよぉ!」
泣きべそをかきながらすがってくる周通を適当にいなしながら、菱ばった頬を撫でて思案する。
たとえ己に負けて一の大王の座を譲ったとはいえ、周通とて桃花山の大王、そんじょそこらの男よりは腕っぷしも強い。田舎の山奥の庄屋の家にやたらめっぽうに剛腕の好漢がいるなど、そう何度もあっていい話ではないが、かといって周通がただの坊主にここまでやられるとも思えない。
「何がかわいい弟だ、誰とも知らん男に情けなく殴られっぱなしになりやがって。わかった、お前の仇討ちをするついでに、お前が地に落とした桃花山の名声を取り戻しに行ってやる。お前はここで待ってな。でぶの坊主とやら、俺がとっ捕まえて、お前の目の前で皮を剥いでやる」
手下に馬の準備をさせながら、知らず口の端が吊り上がる。
久しく感じていなかった興奮が、背中を駆けあがっていた。
そのころ、渦中の「でぶの坊主」――智深は、桃花山の有象無象どもを心ゆくまで打ちのめし、なんとも痛快な気分のままに何度目かの飯をかっ喰らっていた。
説法で賊を説き伏せるという智深の言葉を真に受けていたらしい劉太公は、説法どころか賊を散々に痛めつけた智深の所業に仰天し、報復を恐れて真っ青な顔をして姿を現した。
だが、智深が鎮関西を成敗したくだりを話して聞かせ、ずしりと重い禅杖をたやすく振り回して己の力を見せつければ、どうぞこの家を守ってくれと、まるで仏への備え物であるかのように智深の前にどんどん酒食をふるまったのである。
「あの、和尚様、そんなに深酒をされては、いざという時酔っぱらって戦えないのでは……」
休むことなく肉を口に運び酒を流し込む智深の勢いに圧倒されながらもおずおずと尋ねてくる劉太公に、智深は思いきり笑い声をあげた。
「はは、心配無用! 俺は一杯の酒を飲めば一分の力が、十杯の酒を飲めば十分の力が湧いてくるのだ。飲めば飲むほど、力が漲ってくる」
「そ、そうですか……それならよいのです。さ、まだ酒も肉も十分にございますよ」
そうしてさすがの智深もそろそろ満腹を覚えてきた頃、にわかに屋敷の外が騒然となり、しばらくして派手な足音とともに使用人が駆け込んできた。
「た、大変です、桃花山の一の大王がすぐそこに来ています! 二の大王の仇を取ると……!」
「ふん、やっとお出ましか。まったく呑気な大王だ」
再び顔を真っ青にした劉太公の肩をばしりと叩き、智深は髭を濡らした酒の滴を拳で拭った。
「なに、慌てることはない。一だか二だか知らないが、取るに足らん山賊どもなど何回でも叩きのめしてやる。あとはあんたらが縛り上げて、衙門に突き出してやればいい」
最後にもう一杯だけ酒を飲み干すと、すっかり出来上がって火照った体に鮮やかに咲く刺青を見せつけるように、脱いだ着物を腹の周りに巻き付ける。
戒刀を腰に佩き、禅杖を両手に握りしめ、大股に屋敷の外へ出ていけば、山賊たちが持ち寄った松明が昼間のような明るさで辺りを照らしている。
見渡せば、どいつもこいつも智深の敵ではないような男たちばかりだが、彼らの奥からもったいぶって姿を現した馬上の男だけは、ほかの有象無象よりは少し腕が立ちそうに見えた。
「ここに、俺の弟分を殴ってくれた、でぶのくそ坊主がいるそうだな」
菱ばった顔は、ともすればどこかとぼけたお人よしのようにも見えるが、馬上で長槍を構える逞しい体つきは彼の率いている男たちとは明らかに違っている。
背筋を伸ばし辺りを睨みつけて凄む様は、なるほど、先ほどの二の大王よりは手ごたえがありそうだ。
「ふん、お前が色魔の兄貴分か。ろくでなしめ、この俺が弟分のように成敗してくれるわ!」
肩をいからせ、禅杖を振り上げて大音声をあげた智深は、親分を守ろうとけなげに集まってくる山賊どもを軽々と蹴散らし、ひたりと一の親分を見据えて巨体を揺らし、
「待て、でぶの坊主!」
「ふん、さっきからでぶ、でぶ、となんだ貴様! お前よりずっと鍛えているわ!」
「いや、で……わかった、悪かったよ和尚。だが少し待ってくれ。あんたの声、どこかで聴いた覚えがある。名を何という?」
目をかっ開いて迫ってくる智深の迫力に、鞍の上で居心地悪げに体を揺らした一の大王は、突き出していた槍をひっこめ、細い目をさらに細めてちらちらとこちらを窺っている。
「ふん、ここで会ったのも何かの縁、冥途の土産にでも聞かせてやろう。俺はかの経略使种老公にお仕えしていた提轄の魯達。今は出家の身となり、法名を魯智深と申す」
ふんぞり返って名乗り上げた智深を、一の大王は、今度は正面からまじまじと見つめ、
「……はは、そういうことか!」
先程までの凄んだ様子から一転、なんともおかしげに笑い声をあげて馬からひらりと飛び降りた。
「な、なんだ貴様」
突然足元にがばりと平伏した男を薄気味悪く思い、後ずさって禅杖を構えなおした智深はしかし、己もまたこの男の声をどこかで聴いた覚えがある心地がして首をひねる。
「兄貴、お久しぶりです。あんた相手じゃ、周通がやられたのも当然だ」
おもむろに上げられた一の大王の顔が松明の光にくっきりと照らし出されたとき、ようやく智深の中で、彼の正体が思い当たった。
菱ばった顔に人の好い笑顔を浮かべ、槍の技を見せて歩く薬売り――
「なんだ、打虎将の李忠、お前だったか!」
「ようやく気付いたかい」
慌てて禅杖を投げ捨て、拝礼する李忠の手を取って立ち上がらせながら、智深はつるりと頭を撫でて大笑いした。
「まったく、妙なところでまた会ったもんだ」
「いやあ、兄貴が本気を出す前に気付いてよかったよ。危うく俺も鎮関西のようになるところだった。ところで兄貴、なんだって坊主になんか? あのあと一体、どこに行っていたんだい?」
「それを話せば長くなる。どうだ、中に入って酒でも飲もう」
渭州で彼や史進と別れて以来今日まで、腹を割って酒を飲み武を語らう相手に困っていた智深は、なんとも嬉しい気分のままに李忠の腕を引き、さっそく劉太公に彼を引き合わせた。
「じいさん、もう安心していいぞ。こいつは俺と義兄弟の盃を交わした弟分だ。あんたたちを困らせるようなことはせん」
「き、兄弟……あなた様と、大王様が……?」
目を白黒させながら二人を見比べていた劉太公だったが、智深が李忠を二番目の席に着かせると、おっかなびっくり二人の横に腰を落ち着け、使用人たちに急いで酒食を持ってこさせた。
「まあ二人とも、聞いてくれ」
さきほどまで腹がふくれていたはずなのに、兄弟分の顔を見た途端すっかり気分のよくなった智深は、再び盃を酒で溢れさせながらこれまでのいきさつを語って聞かせた。
「渭州で色魔の鎮関西を拳三発で殴り殺しちまったあと、俺は役人どもから逃れる道中で代州雁門に立ち寄ったんだが、そこでなんと、俺たちが逃がしてやった金のおやじさんにたまたま再会したんだ。おやじさんは、東京に行って足がつくことを恐れて雁門の知り合いを頼っていったらしいんだが、そこで娘の翠蓮が地元の金持ちの趙員外に見初められて娶られたときた。俺もその人に会ったんだが、なかなか気の良い、話のわかる男でな。俺を追ってきた役人から俺を逃がすために、その人が金を出して、俺を五台山の智真長老のもとに出家させてくれたんだ。だが……まあ、正直に言やあ、俺に出家の暮らしなど向いていなかった。酒に酔って二度も大騒動をやらかしちまって、さすがの長老も俺を追い出さざるを得んと、東京の大相国寺にいる知り合いの坊さんに添え状を書いてくれたんだ。それで今は東京へと向かう道すがらなんだが、今宵は宿を逃してしまい、親切にも劉太公に泊めてもらったところ、たまたまお前たちとの一件に立ち会ったってわけだ」
すさまじい話に言葉もない劉太公の盃にも酒を注いでやりながら、智深は李忠に尋ねた。
「ところで、お前の弟分とやら、あいつはいったい何者だ? 薬売りだったお前が、なぜ山賊の大王なんぞやっている?」
「それが、俺はあの日兄貴と史進と別れた後、兄貴が鎮関西を殴り殺したと聞いたんで、史大郎のところへどうするか相談しに行ったんだが、あの若造、自分だけ先にうまいこと姿をくらましちまってさ。俺も役人に見つかる前にと慌てて渭州を出たんだが、行く当てもつけずにふらふらと彷徨っていたら、ちょうど桃花山の麓を通った時に、兄貴がぶちのめしたあの男が現れたんだ。あいつは桃花山に山寨を構えていた周通って男で、小覇王と名乗ってる。本人は江湖で呼ばれた名だと言ってるが、話を聞くに、自分で名乗っているみたいなんだけどな。その周通が、俺が大荷物を抱えてるんで、金目の物を持っているんだと思い込んだんだろう、手下を連れて襲い掛かってきやがったのを、俺が返り討ちにしてやったのさ。馬鹿だよな、俺の荷物なんざ、売り物の薬ばっかりなのに」
「それで、勝ったお前が一の大王になったというわけか」
「まあね。俺の家は大家族でさ、少しでも家の足しになればと薬売りやら棒術指南やらで小金を稼いで回ってたわけだが、ここでこいつに勝ったのも何かの縁、話を聞けば、あんな男だけど一応義侠心はあるようで、良民をいじめる官府をこらしめるなんて息巻いてるもんだから、なんだか放っておけなくてね。ここは桃花山の親分としてひと花咲かせてやるのもありかと思って、こうしてとどまっているわけだ」
「なるほどな」
初めて出会った時は、腕は持っているはずなのに覇気に欠ける男だと思っていたが、数百の手下を率いる大王ともなれば少し顔つきも変わってきたようだ。
「だが、周通が義侠心を持った男だと言うのなら、お前から今回の縁談、なかったことにしろと言ってやれ。こちらのじいさんにとっちゃ、ただ一人の娘さんだ。それを無理に取っていかれたんじゃ、悲しみもひとしお、頼る身内もいなくなっちまう」
「ああ、そのことならもちろん諦めさせるさ。こんなことになっちゃ信じられないだろうが、周通はあれでも女は絶対に泣かせないやつなんだ。ただ思い込みの激しいやつだから、劉の娘さんのことも、てっきり親子そろって承知したと勘違いしてるんだろう。劉太公、俺の弟分がえらい迷惑をかけてしまったが、俺の顔に免じて許してやってくれ。もう縁談の話は持ち出さないよ」
はらはらと智深たちの話を聞いていた劉太公は、李忠に手を握られてようやく血の気を取り戻し、心底安堵したようにため息を零した。
「ああ、大王さま、和尚様、我々なんとお礼を申したらよいか……!」
「よしてくれじいさん、もとはと言えば、周通が悪いんだから」
「ですが、何も礼をせぬわけにはまいりません。お前たち、家にある酒も料理も、すべて持ってきなさい。それから、結納の品を、こちらの大王様と和尚様に」
太公の指示で慌てて結納の金と反物を持って現れた使用人たちを、智深は李忠に押し付けた。
「俺はいらん。山寨ではなにかと要り用だろうから、お前が代わりに受け取ってくれ」
「すまないね、兄貴。ところで、劉太公にも詫びをしたいし、よければ兄貴も一緒に山へ来ないか? 東京までの道は長い、少し休んでいくといいよ」
確かに、ここ青州から東京までの道は遠い。少しの間、李忠たちと酒を交わして骨を休めるのも悪くはないだろう。
「わかった、ではお前と一緒に山へ行くとしよう」
太鼓腹をひとつ叩き、大仰にうなずく智深の姿に満足そうに笑っていた李忠だったが、ふと真顔になり、
「兄貴、さっきは謝ったが、やっぱり少し……痩せた方がいいぞ」
「何ぃ? 貴様、周通とまとめて説教をくれてやるわ!」
二人の大男が顔を見合わせて大笑いする声が、桃花村の静かな夜に響き渡った。




