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水滸綺伝  作者: 一條茈
第五回 小覇王 酔って花嫁の床に入り 魯智深 おおいに桃花村を騒がす
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(三)

 私が虞姫(ぐき)なら、あなたは小覇王ね、と笑った女のことは、今でも覚えている。

 不運にも彼女は善人ではなく、正直に言えば己は彼女にすっかり騙されていたのだが、結局は彼女のおかげで「桃花山の『小覇王』周通」が生まれたのだから、己にとって彼女は運命の女であったのだ。

 だがこの村を訪れ、劉とかいう爺さんの娘を一目みたあの時、彼女こそが探し求めていた運命の女だと周通ははっきり自覚した。

 いや、本当は、これまで両手足の指では足りぬほどに運命の女と出会っては悲劇の別れを繰り返してきたのだが、この度こそは本物だとわかる。

 細い体で使用人たちと一緒に汗水を流し、老齢の父を支える彼女のけなげな姿を見て、己が婿となって彼女を守ってやらねばならぬのだと確信した。そしてその思いのままに結婚を申し込んだところ、劉老人は二つ返事で了承したのだ。

 (ようやく、大きな顔ができるぞ)

 遠い故郷に思いを馳せて一人頷く周通に、今日から義父となった男がおそるおそる声をかける。

 「大王様、ここが、娘の部屋でございます。あとはよしなに……」

 「おう、すまんな!」

 松明を掲げていた義父がそそくさと立ち去ると、辺りはたちまち深い夜闇に包まれる。

 さきほどまで灯りを受けて輝いていた衝立を手探りで回り込み、周通はそっと部屋の扉を開けた。

 「おいおい、真っ暗だな……舅さんときたら、こんな立派な屋敷をこさえておきながら、けちけちしちまって。花嫁の姿も見えたもんじゃないや。明日はあいつらに言いつけて、良い油を買ってこさせてぴかぴかに灯りをつけてやるからな、俺の愛しい奥さん」

 呼びかけるように独りごちれば、暗がりの奥から、かすかな衣擦れの音がする。

 その控えめな物音すら花嫁の恥じらいをあらわしているかのようで、あまりのいじらしさに周通はしばし頭を抱えた。

 「なあお前、今日から俺たちは夫婦、お前は泣く子も黙る桃花山の大王の奥方だぞ。そう恥ずかしがっていないで、旦那を迎えに出て来てくれよぉ……ちっ、それにしても何も見えねえや」

 思えば今宵は、月さえ姿を見なかった。まさに花嫁は閉月の美貌、と言ったところか。

 「ふふ、これからは桃花山の大王がお前を存分に可愛がってやるからな……」

 辺りをまさぐっていた周通の手が、ついに触り心地の良い寝台の帳を捕らえた。

 笑みが浮かび、鼓動がはやるのを抑えきれないままに帳の中にそっと手を入れれば、こんもりと盛り上がった人肌の温もりに行き当たる。

 「ここにいたのか……素肌でいるとは、恥ずかしがりのくせに大胆なやつめ」

 初夜なのだからかまうものかと、そっと指を這わせていると、周通はあることに思い至った。

 ――何やら思った以上に、いや、随分と、花嫁の腰回りはふくよかなようだ。

 「……いや、女はふっくらしているくらいがちょうどいいのさ。子供を産むときも安心だ」

 一人納得してさらに腹を撫でまわせば、随分と、いや、尋常ならざるほどに、ざりざりとした感触が手のひらをくすぐる。

 「……産毛、かな? もしやこれを見られるのが恥ずかしかったのか? なに、健康な証拠だ、このくらいでお前を嫌いになったりなんか」

 しない、という熱烈な愛の言葉は、ついぞ完成することはなかった。

 「ん?」

 婚礼の頭巾を掴まれた、と思った刹那、

 「この、畜生の助平めが!」

 「何ッ……ぁが!」

 まったく予想だにしていなかった屈強な手に頭を押さえつけられ、間髪入れずに耳の根元に特大の拳が叩き込まれる。

 「な、なんっ……おまえ、旦那に向かって、何をっ」

 あまりの衝撃に目から火花を散らしながらも、周通はたくましき花嫁の姿を見ようと勇気を振り絞って顔をあげる。

 「ハハッ、女房の晴れ姿、その目に焼き付けておけ!」

 「はあ? だ、誰だおま、ぐあッ!」

 思い描いていた姿とは似ても似つかぬ巨木の如き人影から地鳴りのような声が響き、強烈な足蹴りに体はあっという間に跳ね飛ばされ、雨あられのように拳が降り注いでくる。これには、さしもの小覇王もなすすべがなかった。

 「だ、誰か! 助けてくれぇ!」

 我ながら情けない声ではあったが、命には代えられぬと必死の思いで叫び続ければ、いったい何事かと血相を変えた手下たちが一斉に部屋になだれ込んでくる。

 「だ、大王、いったい何が……うわあ!」

 「げえっ! なんだ、このでかぶつは!」

 だが、無様に助けを求める頭領の姿に驚く手下以上に驚いたのは、周通自身のほうだった。

 松明の灯りに照らし出されたのは、月も姿を隠したくなるような美女とは似ても似つかぬ、剛毅な髭にぎょろりとした目をぎらつかせた太った大男――しかも、首から念珠をぶらさげただけの裸形である。

 「大王、その、随分ものすごい花嫁で……」

 「そんなわけがあるか! さっさとこのけだものをぶちのめせ!」

 あまりにも異様な光景にあっけにとられていた手下たちがようやく手に手に武器を取って殴りかかれば、大男は愉快そうに肩を震わせて笑い、赤子をひねるかのような手並みで手下たちをはっ倒し、ついには周通を放り投げて禅杖を両手にとると、「かかってこんか!」と叫びながら次々と屈強な男たちを打ちのめし始めた。

 この勢いには、いかに腕自慢の山賊たちと言えどもひとたまりもなく、周通のことなど忘れたかのように尻尾を巻いて逃げ帰っていく。

 「おい、待て、俺を置いていくな、薄情者!」

 その背を追って周通もまた必死の形相で屋敷を飛び出し、ちょうどよく門前に姿を見せていた空馬の背に飛び乗り、慌てて折り取った柳の枝を振り上げ、

 「くそ、畜生まで俺を馬鹿にしやがって!」

 鞭打ってもびくともしない馬の横腹を蹴り上げれば、さすがに驚いた馬は可哀想なほどに暴れ出し、その拍子に解き忘れていた手綱が引きちぎれた。

 「くそじじいとでかぶつめ! 覚えてろよ、きっと次はぶちのめしてやるからな!」

 狂ったように暴れながら走りだした馬の背に必死にしがみつき、周通はあらん限りの力を振り絞って叫ぶ。

 あっという間に遠くなった屋敷から、大男の高らかな笑い声だけが追いかけてきた。


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