未投稿の連載小説の一話目だけが溜まっていく
趣味はなろう小説を漁るように読むこと。
日間ランキングの上位から目についたものを適当に読んで、適当なところで読むのをやめる。
数年前は有名な長編作品を齧るように読んでいた。
特に異世界もの。
でも、なろうテンプレだの、なろう主人公だの、矛盾だらけの陳腐なナーロッパ世界だの、ようつべで色々言われているのを見て、なんか萎えてしまった。
気が付いたら異世界テンプレや過度なご都合主義、更には主人公上げとその他下げの落差が大きいというだけで胃もたれのような感覚を覚えるほどになっており、30代手前からラーメンつゆ一気飲みや油そばを避け始めるかのように、自然と異世界ものを避けるようになっていた。
今は日間エッセイランキングを上からスクロールして、気になったものを読むだけの日々を送っている。
そんな私はなろう叩きを見るようになった頃から時折こんなことを考えていた。
「こんだけ色んな作品が叩かれているけど、私が書いたらどんな作品ができるんだろう」
少なくともようつべの動画で叩かれている作品よりはマシなものができるだろう。
そんなことを思いながら自分のアカウントを登録し、小説を書き始めた。
書くのは勿論、異世界長編作品。
短編は人気になりづらいし、せっかく作った設定を一回で使い切るのは勿体ない。
それに、私はようつべで叩かれているなろう作家とは違う。今まで誰も見たことも無いような面白い異世界長編作品を書けるだけの才能が私にはある。そう信じてやまなかった。
最初はようつべの動画で小説の書き方を勉強し、プロットだの設定だの書き方の作法だの投稿時間だのと情報を集め、いざ小説を書き始めた。
最初は筆が進んだ。するすると進んで気が付いたら1時間、2時間と経過していた。
2500字~3000字の話を大体10話くらい書いたところで時計を見るともう夜の12時。
確か連載中の作品より完結した作品の方が多くの人に読まれるんだよなと思い出し、続きは明日やろうと呟きその日は寝た。
次の日、執筆欲は完全に消えていた。
昨日まであんなに熱を入れていた小説を完結させる気が全く湧かない。
むしろなんでこんなものを書いていたんだと、作品としての酷さに思わず目を疑った。
私が書きたかったものはこんなものじゃない。
私は、2~3万字の未完結作品を削除した。
そして、新しく小説を書き始めた。
一話だけ書いて筆が止まった。
きっと調子が悪いんだ。
あんなことがあった直後にいい作品なんて書ける訳がない。
きっと明日にはやる気が戻る筈だ。
その日はとりあえずその一話を保存して寝た。
次の日、私は小説を書く気にはなれず、その次の日以降なんて未投稿小説の一話目の存在そのものを忘れていた。
だがそれから数日後、また小説を書きたい衝動に駆られる。
数日前に保存した第一話が目につく。
続きを書きたいとは思わなかった。
見て見ぬふりをしながら新しい異世界長編作品を執筆。
一話目の途中で筆が止まった。
おかしい。
こんな筈じゃないのに。
小説を書く気になれない。
とりあえずまた一話目を保存してその日は終わった。
それから定期的に、なろうのサイトを開いてランキングを見るたびに、衝動的に小説が書きたくなって、1話目で筆が止まって、とりあえず保存して、また数日後になろうのランキングを見て衝動に駆られ小説の一話目を書いて保存するになっていた。
今、私のアカウントの未投稿作品枠には一話目が十数作もある。
途中で消したのも含めると20作品以上は小説を一話目の途中だけ書いている。
既に自覚している。
私に小説を書く才は無い。
これだけ一話目が書けるのだから短編でも出せばいいではないか。
もう一人の私がささやく。
でも。
意地とプライドがそれを許さない。
私は純粋に物語が書きたいのではない。
色々な人に「面白い作品を書ける私」を褒めて欲しいのだ。
真の小説家とは恐らく前者のことを言うのだろう。
だから私には小説家の素質が無い。
分かり切っている。
でも、今でも未練がましく一話目を書いている。
そして、途中でやめて保存している。
きっと私は、思いついたアイデアを頭の中から取り出して思考をすっきりさせたいから、取り出す手段としてアイデアの文章化、つまり小説執筆をしているのだろう。
そしてアイデア熱が冷めて思考がすっきりするのが丁度、一話目を書いている途中なのだ。
その一話目を保存する理由は、アイデアが再び頭の中に戻ってこないようピン止めするため、けじめをつけて思考を切り替えるため、と考えれば、これらの一見無意味に見える習慣にも納得がいく。
このエッセイを書くにあたって、過去に書いた一話目たちを見返してみた。
どれも支離滅裂で到底人様に見せられる代物ではない。
でも、これでいいのだ。
むしろ、これがいいのだ。
あのアイデアを小説にしていればもしかしたら大ヒットして印税ウハウハ生活を送れていたかもしれないのになんて未練を抱きながら生きるより、実際に書いて「あ、これは無理だ」とスパっと諦めをつけて新しい日々を送る方が何倍も良い。
そう考えると、何話も書いて「あ、これは無理だ」と思うより一話だけ書いて「あ、これは無理だ」と思う方が遥かにコスパは良いのだから、私の飽き性はそこまで悪いものではないと思えてくる。
ここまで読んだ人の中で、もし私と同じような「一話目リタイア民」がいるなら、決して自分を責めないで欲しい。
駄作を世に出さないだけ私たちはまだマシなのだ。
私が駄作を出さないことで、不機嫌にならずに済む人がこの世のどこかに必ずいる。
それはとても立派なことだと私は思う。
いや、そう思わなければ自分が小説家未満の何者でもない存在であることを思い出してしまい、自分をとても恥ずかしく思い、自責の念を駆り立ててしまうから無理矢理そう思っているのだろう。
いや、思い返せば既に何回かそういう状態に陥ったことがあるから、上記の仮説は正しいと証明された。
因みに、最近はそういった状態にはなっていない。
自分の中で自責の念に対し耐性がついたのか、それとも羞恥心を発する脳のどこかが機能不全になった、又は羞恥心を感知する脳のどこかが麻痺したのか。
はたまたアイデアそのものが枯渇したか。
とにかく、一話目を書くのが数日に一回から数週間に一回、数か月に一回と、どんどん減ってきている。
今は日間エッセイランキングを上からスクロールして、気になったものを読むだけの日々を送っている。
ぶっちゃけエッセイを読むのもだいぶキツくなってきたでゴザルヨ……
でもエッセイ以外はもっとキツいからエッセイしか読めないでゴザルヨ……
小説を書くのは疎か、読むのも、スコップするのも向いていないでゴザルヨ……