【第6話 魔王の母ちゃんで-べ-そ】
夜の魔王城。魔王城と言えば、なんだか夜の方がにぎやかな魑魅魍魎の世界と思われるかもしれないがそんなことはない。昼行性の魔物は昼に、夜行性の魔物は夜に働くだけだ。そして魔物の大半は朝起きて夜寝る生活をしている。
魔王城敷地内にある居住区。簡単に言えば魔物達のマンションである。魔王城に勤めている野菜人、果実人のほとんどがここに住んでいる。それぞれ個室にはなっているが、トイレと風呂は共同である。
悲鳴はとうもろこしの野菜人が「うんこしたい」と寝ぼけ眼でトイレの個室に入った直後に轟いた。
悲鳴を聞いて駆けつけた警備員が見たのは、トイレの個室の壁一面に書かれた魔王ボンキュボンをめちゃくちゃ不細工に書いた絵と「魔王の母ちゃんでべそ」という書き文字だった。
魔王城会議室。定例会議に魔王城の幹部達が集まっている。魔王ボンキュボンの他に総務責任者のキンさん、医局長のブランク・ジャンク、備品作成班のドラガン、清掃班長のエリザベス・マイマイなどなど。
「ここ5日間でご不浄への落書きが増えています。確認されただけでも17ヶ所、書かれた文句も『魔王の母ちゃんでべそ』とか『魔王の父ちゃんいぼ痔』だの『勇者はいい男』など品位か疑われるような程度が低いものばかり」
金髪縦ロール、全身をきらびやかな装飾品で飾り立てたエリザベスが報告書を手に身を起こす。上半身は昔の少女漫画に出てくる高飛車なお嬢様だが、下半身は巨大なナメクジ状で、背中には馬鹿でかい巻き貝を背負っている。彼女はカタツムリの魔物なのだ。
「今どきこんな文句を書く奴がいるのか。むしろ絶滅危惧種として保護したいぐらいだな」
報告書に添えられた落書きの写真を見ながら魔王はむしろ面白がっているようだ。
「笑っている場合ではありません。これは明らかに魔王様に対する侮辱です。小さな犯罪は未来の大きな犯罪の種です。育たないうちに摘み取るべきです。掃除と同じ、日頃の小さな掃除が恒久的な美しさを保つのです。
この落書きを落とすのに私たち清掃班がどれだけ楽しんで、もとい苦労しているか。消して綺麗になった壁を前にした充実感、もとい疲労感をご存じなんですか?!」
目を輝かせ歓喜の表情で熱弁を振るう彼女に魔王が
「何か楽しそうだな」ツッコみつつも「確かに対処は必要か。警備体制はどうなっている?」
一同の視線が警備隊長に集まる。
魔王城警備隊長グースカ・ピー。茶色い虎模様の猫型魔族で、アーモンド型の目を真っ直ぐ魔王に向けたまま黙っている。
「ピー?」
魔王の声かけにも彼は一切反応がない。
「ピー!?」
少し声を大きくしてもやはり反応がない。エリザベスがむっとすると縦ロールの髪が起き上がり、彼に向かって真っ直ぐ伸び、額を叩く。
途端、ピーの見開いた目がぽろっと落ちて、下から閉じた目が現れる。それに合わせて微かなイビキと鼻提灯が。
「寝るなーっ!」
エリザベスが彼の顔面に濡れた雑巾をぶち当てた。
× × ×
「大事な会議中に寝るなんて、それでも警備隊長ですの」
「知らないんですか、猫は寝子とも書くぐらいで寝るのが仕事なんですよ」
「あなたは猫型であり猫じゃありませんわ」
魔王城食堂で、エリザベスとピーが向かい合って遅めの昼食を取っていた。山盛りのサラダ(ドレッシングなし)を口に運ぶエリザベスに対し、ピーは持ち込みのカリカリキャットフードに汁気の多いカレーをかけてもらったカレーフードだ。彼曰く「キャットフードは魔界より人間界の方が美味い」らしい。
清掃班と警備隊。警備隊の戦いの後を掃除したり、清掃の際に見つけた異物や異変から密かな敵の動きを察知するなど両者のつながりは深い。
「書き込みの幼稚さから見て、犯人は馬鹿ですわ」
「犯人が外から来た以上、簡単に見つかりますよ」
「随分自信ありげですわね」
「居住区って正門から裏の方だし、落書きだってパパッと描けるものじゃないでしょ。入った後、どこかに隠れて夜になったら動くってパターンですよ」
「内部犯行説は最初から捨ててますの? 魔王城の魔物だからって、みんな魔王様に好意的なわけではありませんわ」
「人間じゃあるまいし、内部だったら、こんなことをしたらどう受け止められるかぐらいわかりますよ。それに購買関係で塗料を購入した魔物達を調べましたが全員シロです。塗料などは持ち込みですよ」
「あら、ちゃんと調べてますのね」
「これでも警備隊長ですから」
カレーフードを平らげ、ジョッキのミルクを呷る。
「で、正門の記録を調べたら。1週間ほど前に入場したまま退場の記録のない人間が5人いました」
空になったジョッキを置いて、食堂の隅を指さす。ここは一般客も利用できるので、来場した魔物や人間がときどき混ざっている。彼の指さす先には、毎度おなじみ勇者(男)、戦士(男)、戦士2(女)、魔法使い(女)、賢者の勇者パーティ。
夜。居住区近くの公園にほっかむりをした勇者パーティがこそこそ集まっていた。
「よしよし、俺達の精神攻撃作戦はうまくいっているぞ」
「本当にうまくいっているの? あたしは何か苦労の割りには効果が薄いような気がするんだけれど」
疑問を抱く魔法使いに
「こういうものはじわじわと少しずつ効いてくるモンだ。塗料も残り少ないし、明日になったら町に戻ろう。国王に報告するんだ」
「……トイレや公園に落書きして魔物達を困らせてやりましたって?」
あまり気乗りしない魔法使いをよそに、公園の公衆便所の壁に戦士がノリノリで刷毛を振るっている。
「はっはっはっーっ、俺は天才だぁ~っ! 俺って芸術家だぁ~っ!」
「あいつ、刷毛を握ると性格変わるな」
戦士の手により、便所の内側の壁がみるみるカラフルなポップ調の図柄に塗り替えられていく。
「おいおい、魔王の悪口を書くスペースを空けておけ」
「なんだとぉ……」振り返る戦士の目が据わっていた。「俺様の芸術じゃ駄目だって言うのかぁーっ!」
「私たちの作戦を忘れたの。『魔王の悪口で溢れさせ、中にいる魔物達に魔王のことを馬鹿にする心を植え付ける作戦』、住む場所が汚れれば、そこに住む人の心も汚れるものよ」
賢者がたしなめるのに続いて
「汚すものこそ一番の汚れですわ!」
勇者達を取り囲むように、ピー率いる警備隊とエリザベスが現れた。警備隊員達はさすまたと簡単な防具で武装している。
「人の心を汚すために描かれた絵や文など、芸術とは認めませんわ」
高らかに言い放つエリザベスの横にはいつの間にかピーの姿はなくなっていた。
「……ピーはどこですの?」
「あそこです」
警備隊の制服を着た野菜人がさすまたで指す先、公園のベンチでピーが寝袋にくるまって鼻ちょうちんを膨らませていた。
「寝るんじゃありません! 不埒者を捕まえ、懲らしめるのがあなたの仕事でしょう」
「威勢が良いから君が俺の代わりにやってくれるのかと」
起き上がったものの、寝ぼけまなこのピーは大あくび。そこへ勇者と戦士2が剣をかざして突っ込んでくる。
エリザベスが身構え
「魔王城を汚すゴミはみんなまとめて吹き飛ばします。ロールヘアー・トルネード!」
彼女の縦ロール髪が起き上がり、超高速回転! 生み出された大渦が勇者達を飲み込み天高く吹き上げては地面に叩きつける! 通常は屋内の埃やゴミをまとめて外に吹き飛ばす清掃技だが、こうして攻撃に使うこともできる。
魔法使いの放つ火の玉を、箒で左右に吹き払う。賢者の電撃魔法をちりとりを盾にして防ぐ。
戦士が剣代わりに刷毛を振るう。かわすエリザベスだが、振るった勢いでは毛についたペンキが飛び、彼女の貝殻部分にくっついた。
「きゃ~~~っ! あたしの貝が」
自分の貝が汚れたのに悲鳴を上げる。
「これがこいつの弱点か!」
勇者達がペンキの缶を取り、エリザベスにぶっかける。泥をかける。鼻くそをほじって彼女に跳ばす。
「嫌~~~~っ!」
ペンキまみれ泥まみれ、おまけに頬に鼻くそをつけられ、たまらず彼女が泣き出した。
「とどめだ。俺達の初勝利!」
勇者達が一斉に彼女に飛びかかる。瞬間、横から猛烈な剣圧が彼らを吹き飛ばした。
「いい加減しなさい。人間の勇者はいつからこんなに落ちぶれたんです」
ピーが歩いてきてエリザベスを守るように立ちはだかる。彼の目には力が宿り、両の腕には格闘家が使う爪のついた武具が装備されている。彼愛用の武器キャット・クローだ。
「新手か、戦士、戦士2、あれをやるぞ」
勇者の左右に2人の戦士が並び、それぞれの剣先を重ね合わせる。
「合体剣技ブレード・トライアングル!」
3人の剣圧が合わさり強力な破壊波となってピーに襲いかかる。が、彼は動じずキャット・クローを交差するように振るって破壊波を砕き散らす。
「な?!」
唖然とする3人を横目に
「エリザベスさん。とどめやりますか?」
「やるわ」
汚れた彼女は怒りの目で勇者一行を睨み付けたまま、その体を貝の中に収容、蓋をすると地面に倒れた。
「な、何だ?」
勇者達の見る中、巻き貝の口の蓋が開き強烈なジェット噴射! その勢いで貝がぐるぐる高速回転、空を飛ぶ!
「お前はガ×ラかーっ!」
叫ぶ勇者パーティめがけて回転ジェットで体当たり! 強いぞエリザベス。
× × ×
「それで勇者達はどうした?」
「落書きを消させてます。全部を元通りきれいにするまで逃がさないとエリザベス様は言っています」
「そうか。その辺の処理は任せる」
キンさんの報告を受け、魔王は報告書を閉じる。
「今回は私の出番がなかったな」
「部下に花を持たせるのもたまには良いかと」
そんなキンさんの言葉に、魔王は同意するように静かに微笑んだ。
で、その花を持たされた2人はというと……
「なんですの、この部屋は? よくこんな廃部屋で生きていられますわね」
魔王城居住区。5階にあるピーの部屋を一瞥したエリザベスが床を箒で掃く。層になった埃がずっと移動する。
部屋の主であるピーはというと、部屋の中央にあるコタツに首まで埋まっている。冬暖かく夏涼しい、冷暖房完備の魔王城特製コタツだ。板の上にはみかんと煎餅とお茶、テレビのリモコンが置かれている。
「コタツがあれば問題ない。いくら清掃班でも個人の部屋に押しかけて無理やり掃除するのはマナー違反ですよ」
「それが助けてもらったお礼にと掃除に来た女性に対する言葉ですか。問答無用ですわ」
コタツからピーを引っ張り出し窓を開け
「ロールヘアー・トルネード!」
部屋を突風が吹き荒れ、埃やゴミを窓から外に吹き飛ばす。濃霧の如く一帯の視界を奪った埃は、外に風に流され散っていった。
後に残ったのは塵ひとつない部屋。
「よし。続いて整理と水拭き、ピーも手伝いなさい……ピー?」
屋内を見回すが、ピーの姿はない。
彼は居住区の前にある木に引っかかりぶら下がっていた。埃と一緒に外に飛ばされたのだ。
(第6話 おわり)