【第2話 魔王さまのしょうが焼き】
魔王城。日当たりの良い南の角部屋は魔物達の託児所になっている。
魔物達が仕事をしている間、乳飲み子や幼い子供達はここで世話をされる。幼児だけでなく、幼児ではないが大人とも言えない子供達が担当魔物やシッターたちの手伝いをして、幼い魔物達の遊び相手になっている。こで彼らは幼い命に対する付き合い方を覚えるのだ。
「おしめが乾きました」
細い手足が生えた林檎と白菜が洗濯物を入れた籠を手に託児所に戻ってくる。見た目はアレだが、彼らは野菜人、果実人と呼ばれるれっきとした魔物である。人間たちに追われ、一族そろって放浪の旅をしていたところを魔王に助けられ、以後、この魔王城の従業員として働いている。
「ちょうど良かった。ひとつくれ」
葱の野菜人赤ん坊のおしめを替えようとしていた魔王ボンキュボンが声をかけた。言葉は男っぽいがれっきとした女性。700才を超えるはずだが見た目は20代半ばの人間女性にしか見えない。せいぜい角や翼が生えていたりする程度だ。しかもその名の通り凹凸のはっきりしたボディに着ているのは貝殻ビキニに半透明の衣装。羽衣のような薄衣だけである。
「なにも魔王様自らおしめを替えてくださらなくても」
「何を言う、コロニャンの流行は収まったが、その間滞っていた仕事が山になっている。手の空いているものは魔王でも使うべきだ」
おしっこでぐっしょり濡れたおしめを外し、乾いたタオルで赤ん坊の下腹部を拭うと新しいおしめをあてがう。
先日、魔王城を襲った悪性の風邪コロニャン。一時は魔王城閉鎖まで行われたそれもほとんど収まり、今は通常業務に戻っている。
「魔王様、随分慣れた手つきですね。経験あるみたいです」
「あれば良かったんだがな。あいにく練習ばかりで肝心の子宝には恵まれなかった」
あまりに自然な言い方なので、つい流してしまった野菜人だが、その意味に気がつき
「子宝に恵まれないって、まるで結婚していたみたいですね」
「していたぞ。300年ほど前にな」
笑顔で答える魔王にその場の野菜人、果実人達が一斉に驚いた。
「ええっ、魔王様結婚していたんですか?! バツイチ?!」
「連れ合いとは死に別れだから、未亡人と言って欲しいな」
「相手はどんな魔族だったんですか? いや、竜族? 悪魔とか」
「人間だ」
「……人間、まさか勇者とか」
ビビる果実人に魔王は笑顔を向け
「定食屋の主だ。私も店を手伝って料理をいろいろ覚えたぞ。生姜焼きにコロッケ、とんかつ、アジフライ、オムライスにカレーライス。やきそばや餃子、焼売、春巻、大根餅。ぬか漬けや梅干しも作った。もちろん肉の下処理や魚のさばき方も覚えた。今でも気が向いたときに食堂に立たせてもらう。先週の日替わり定食のメンチカツは私が作ったんだぞ」
ええっと声を上げたのは、先週、食堂でメンチカツを食べた者達だ。
「連れ合いは夫としては優しく、料理人としては厳しかった。最初はうまく出来なくて散々怒られたものだ」
「魔王様が人間の町の定食屋で……」
一同が思わず定食屋で魔王が働いている姿を想像する。魔王の姿は今のものだ。それを見透かしたように魔王が
「言っておくが、ちゃんと人間世界に馴染んだ服装をしていたからな。料理に入らないよう髪も短く切って、長ズボンにエプロンして。もちろん角や翼は引っ込めて」
言われて一同が想像の魔王の服装を修正した。
「お客の中には酒癖が悪かったり難癖つけたりする奴もいて大変だったが、楽しかった」
「あの……聞いておきますが、連れ合いさんは魔王様が人間でないことを」
「知っていた。その上で結婚したのだ。それだけに子供が出来なかったのは残念だ。それでもあの人の妻でいた時間は私にとって幸せだった。あの人が死んだとき、どれだけ私も後を追おうと思ったか。あの人が死の間際に『寿命が尽きるまで生きろ』と言ってくれなかったら、本当に後を追ったかもしれん」
「ええっ」
心配そうな野菜人達に
「安心しろ。今はもう死ぬ気はない。連れ合いはいなくなったが、お前達という家族が出来た」
静かに語りながら彼らの頭を撫でた。
「魔王様、再婚の意思は」
「ない。あの人は死んでも愛情は私の中で生きている。私はあの人への操を立てたままこの身が朽ちるまで生きるつもりだ」
そう笑う魔王はとても幸せそうだった。
魔王城に侵入者がいた。前回の勇者(男)、戦士(男)、戦士2(女)、魔法使い(女)、賢者の5人である。
彼らはこそこそ魔王城に入り込み、中の様子をうかがっているうちに託児所を見つけ、中の会話を盗み聞きしていた。
「なによあいつ。魔王のくせして未亡人? あの格好は欲求不満で男を誘うためだったのね」
魔法使いが嫌みじみた言葉をつぶやくのに賢者が
「貧乳の妬みはみっともないわよ。操を立てているって自分で言ってたじゃない」
「オカマは黙ってなさい」
「2人とも静かにしろ。それより手柄を立てるチャンスだぞ」
勇者が爽やかな悪人顔で
「魔王がいなくなった隙に、託児所にいる赤ん坊や幼い魔物達を皆殺しにするんだ」
「勇者らしくない作戦ね」戦士2の言葉を無視して
「今は小さくても、こいつらは大きくなって魔王城の兵士として人間に牙を剥く。そうなる前に殺せば人間世界の未来は安泰だ。それに小さなうちなら、俺達でも簡単に倒せる!」
爽やかに力説する姿に、確かに言っていることは間違っていないが、なんか釈然としない一同だった。
「おい、見ろ」
戦士が隠れながら指さす先、魔王がゴールデンスケルトンのキンさんに呼ばれ一緒に託児所を出て行くところだった。
「ようし、チャンスだ」
魔王達が離れた頃を見計らって、勇者一行が託児所に躍り込む。
「勇者だーっ! 勇者が襲ってきたーっ!」
たまらず野菜人、果実人達が赤子を抱えて逃げだそうとするが、容赦なく勇者の、戦士達の一撃が襲い、魔法使いと賢者の攻撃魔法が炸裂する。野菜人達は魔物とは言え、戦いに長けた種族ではない。警備班ならともかく、非戦闘員の彼らは勇者達の攻撃にはひとたまりもない。
「この子だけは、どうかこの子だけは見逃してください」
ブドウの果実人が、泣き叫ぶみかんの赤ちゃんを抱えて懇願するが
「人間に危害を加える凶悪な魔物は見逃すわけには行かん」
勇者が剣を手に迫る。そこへ
「待て待て。乱暴狼藉は許さん」
と駆けつけてきたのはキンさんだ。
「魔王じゃないのか、だったら勝てる!」
相手が金色で目立つもののただのスケルトンとみた勇者が容赦ない一撃を見舞う。頭を剣ではたかれ、キンさんの頭が体から外れ床を転がる。
「骨など墓穴に入っていろ」
にやりと笑う勇者の前で、キンさんの頭が床を転がり戻ってきてはもとの首にくっつく。
「なんだ?!」
今度は戦士が斧でキンさんの体を横に払って骨をバラバラにする。が、まるでフィルムを逆回しにするような動きで元の形に戻ってしまう。
「スケルトンだと思って甘く見ないでくださいよ。これでも私は魔王城の総務責任者・ゴールデンスケルトンのキンさんです!」
「総務責任者といえばここの幹部か。こいつを倒せば実績になる!」
意気込む勇者達に向けて両腕を前に突き出すと、キンさんの肘から先が体を離れ、猛烈な勢いで飛んでは勇者と戦士を殴り倒す。
飛んだ両腕が何事もなかったようにもとの肘にくっつくのを見て果実人達が感嘆の声を上げた。
「すごい、キンさんロケットパンチ出来るの!?」
「キンさんパンチと呼んでください。続いてキンさんブーメラン!」
自分の肋骨を外し投げつけた。投げられた肋骨はキンさんの魔力によって操られ、ブーメランのように弧を描くように飛んでは戦士2と魔法使いを打ち倒す。
「やるわね。金ピカ骸骨」
最後に残った賢者がキンさんと対峙し
「しかし、あいにくとあたしはアンデットに効果抜群の技を持っているのよ。くらいなさい、邪な魂を浄化するその名も『キレイソール』! 邪悪な魂は浄化されてなくなりなさい!」
賢者を中心に虹色の光が放射状に広がり、キンさんや野菜人、果実人達を包み込み
「キンさん、今の何?」
野菜人も果実人も何事もなく、きょとんとしてキンさんを見た。
「さぁ?」
キンさんも何の変化もない。だが……
「ひぇぇぇん。あたしったら何てことを?!」
賢者が泣き伏せた。倒れていた勇者達も皆起き上がり
「まだ何もしていない赤子を、魔物だからと殺そうとするなんて」
「俺達こそ名誉欲に目がくらんだ悪党だーった!」
そろって号泣すると金さん達に駆け寄っては抱きしめ、手を取り「ごめんなさい。私たちを許して」と懺悔を始めた。
この様子に戸惑ったのは魔物達の方で
「キンさん。どうなっちゃったの?」
「どうやら、この人達の『邪な魂』が浄化されてしまったようですね」
「僕たちは平気だけど」
「賢者さんのレベルが低くて効果がなかったのか、それとも私たちは浄化されるほど邪ではないと言うことか?」
その後、罪の意識に捕らわれた勇者達は「これぐらいはしなければ」とお詫びとして身ぐるみ脱いで帰っていった。
「これどうします?」」
魔王城を去る下着姿の勇者達を見送る魔物達の足下には勇者達の装備が一式そろっている。
「明日には効果が切れて元に戻るでしょうから、次来たときに返してあげましょう」
ホッとしたように息をつくと、キンさんは振り返って魔王城を見上げた。
「でもよかった。魔王様のお手を煩わすことなく終えて。今日だけは魔王様には穏やかに過ごしていただきたい」
キンさんの静かな笑みの理由を知る野菜人や果実人はいなかった。
今回の騒ぎを知ることなく魔王は業務を終え、自室に戻った。魔王の自室は翼を広げて横になれるだけの大きなベッドのある寝室と客室の二間続き。シャワー室と個室トイレもある。装飾品は少なく、パッと見た感じ地味な印象を受ける。
せいぜい壁に1枚の写真が飾られているぐらいだ。その写真にはただ「めし屋」とだけ書かれた看板が掲げられた日本の下町風の平屋の前に店の主人夫婦と常連客らしき人たちが並んで写っている。中央に立つ主人夫婦のおかみさんは紛れもない、今より少し若いボンキュボンだ。
魔王はシャワーで体を洗うと箪笥から古びた、無地の服とズボンに着替えた。写真の彼女と同じ胸に猫のワンポイントの入ったエプロンをつけると、部屋の隅の小さなドアを開ける。そこは小さいながらも必要なものはそろっているキッチンだった。
米をとぎ土鍋で炊き始める。炊ける間に様々な食材を取り出すと調理に取りかかる。棚からぬか床を取り出すのも忘れない。
ごはんが炊き上がる頃には、豆腐と油揚げの味噌汁、ぬか漬けの小鉢、豚の生姜焼きができあがる。肉を千切りキャベツと一緒に盛り付け、ごはんと味噌汁、小鉢を添えると立派な「生姜焼き定食」の完成だ。
二人前の生姜焼き定食を部屋に運ぶと、テープルに向かい合うように並べる。
窓辺の机に飾られた写真立てを取り、向かいの生姜焼き定食の前に置いた。写真立てには、壁の写真で彼女の隣に写っている、いかにも気難しそうな四角い顔の男が気難しそうに腕を組んでいる。正に昭和のガンコ親父そのものだ。
生姜焼き定食を挟んで写真と向かい合うようにして魔王が座る。
「あなたが初めてOKを出してくれた料理がこの生姜焼きだったな」
嬉しさと寂しさが混じり合った表情を写真に向け
「私が朽ちるまで、もう少し待っていてくれ」
手を合わせて「いただきます」と一礼し、箸を取り肉を挟んでは口に運ぶ。
今日は二人の結婚記念日なのだ。
(第2話 おわり)