4.惑星アーシェス
銀河系のオリオン渦状腕に属する太陽系第3惑星地球に生命を授かった生物が、太陽系外に進出するようになってから、200年の歳月が流れようとしていた。
光速を超えて物質が移動できる〈ドラゴンロード〉と呼ばれる超光速空間の発見により、地球人類は太陽系外に進出することができるようになったが、ドラゴンロードに入るためには、〈ゲート〉と呼ばれる特殊な空域を、光速の1/2以上のスピードで通過する必要があり、地球人類がその条件をクリアできたのは、偶然なのか必然なのか未だに論議の分かれるところである。
しかし一瞬で数百光年を駆け抜けるドラゴンロードの探索は、ゲートを抜け出てみるまではどこに出るかは全く分からない危険なもので、多くの探索隊の犠牲者の上に成り立っていた。
それでも、発見した恒星系は発見者の所有物になるといった政策から、太陽圏に希望を見出すことのできない若者達がこぞって探検隊に志願し未知の宇宙へと旅立って行った。
全ての恒星系にゲートが存在する訳でも無く、ゲートの先に惑星が発見されたとしても、多くの惑星は人間がそのまま居住するのに適するものは無かったが、それまで培ってきた<惑星改造>の技術によって、50を超える惑星が、人間が居住するすることができるようになっていた。
その中でも、〈惑星アーシェス〉は、宇宙空間に浮かぶ青く輝く宝石のような惑星で、人類の故郷である地球を連想させるのところから名前の由来はきているが、広大な海と、温暖な気候の大陸を有している地球によく似た環境であった。
正式には、<トライムアート恒星系>の第3惑星<アーシェス>であるが、すべての惑星がアーシェスのような優良な居住環境である訳では無く、移住を希望する人達に対しての目安となるように、AからFまでの〈惑星居住ランク〉が公式に設定されているが、その内容は概ね以下のようなものである。
ランクA:人間が補助的器具を使用すること無く長期に渡り生存する事を可能とする大気圏と大陸を有し、海洋生物が生存可能な一定以上の広さの海洋を有する。危険生物が駆除または管理されている状態が100年以上継続されている。
ランクB:人間が補助的器具を使用すること無く一定期間以上生存する事を可能とする大気圏と大陸を有し、一定以上の広さの海洋を有する。危険生物が一定以上のレベルで駆除または管理されている状態が一定以上の期間で継続されている。
ランクC:人間が軽度の補助器具を使用することで一定期間以上生存することを可能とする大気圏と岩盤の地表を有する。危険生物に対して有効な駆除を行う体制が確率されている状態が継続されている。
ランクD:人間が補助器具を使用しなければ一定期間以上生存することができない大気圏と、岩盤の地表を一定以上有する。危険生物が存在していることを認識をし、駆除する方法が一定以上確率された状態である。
ランクE:人間が補助器具を使用しなければ生存することができないまたは大気圏が存在はしないが、ある一定以上の活動可能な地表を有する。危険生物の存在が認識できておらず、未知の危険を有している。
ランクF:一定以下しかない岩塊や塵、またはガス状の天体であるが、独自の重力場と恒星を周回する軌道を有する。
惑星アーシェスの居住ランクは現在Bにランク付けされているが、アーシェスに足りていないのは『危険生物が一定以上のレベルで駆除または管理されている状態』が、既定の100年に達していないことだけで、あと数年の後にはAランクに昇格するのは間違いとされていて、そうなると、移住申請の審査が極端に厳しくなるので、移住を考えている人達にすれば、アーシェスは一番先に名の上がる優良物件であった。
ちなみにランクAと公式に認定されている惑星は、<クインスリー><サートランド><ハイゼルン><テラネイア>の4つだけとされていて、現在移民を受け入れているのはそのうち惑星クインスリーのみであるが絶対数は少ないため、アーシェスに対する移住希望者の関心は一応に高いものとなっている。
ちなみに地球は<惑星テラ>、火星は<惑星マルス>、金星は<惑星ウェヌス>と呼ばれ、マルスとウェヌスは惑星改造が施されて300年以上経過していて、テラを含め居住ランクはSとされて、通常とは特別扱いとされている。
惑星上に降り立つためには、衛星軌道上に浮かぶ<軌道ステーション>から<軌道エレベーター>を利用することが一般的であるが、4基の軌道衛星を常時正常稼働させていることも、居住ランクAの他の惑星にアーシェスが匹敵するところであるが、その第一軌道衛星の宇宙戦闘艦船専用ドックに、黒い外装色の優美なフォルムをした小型の艦が入港していた。
艦のハッチが開くと飛び出してきたのは、全身を艶消しの黒いマントで全身を覆い隠したイレイザーの姿であった。
「じゃ、行ってくるよ」
買い物にでも行ってくるような口調の少年の声が聞こえると、0.3Gに設定されているドッグ内を慣れた様子で危なげなく、宙を飛ぶように艦を離れて行く。
『行ってらっしゃい、お土産忘れないでね』
彼の頭の中にハートマークが飛び出してきそうな少女の声が響いてくると、はいはいとおざなりな返事を返して、誘導マーカーに導かれながら黒いマントがドック奥の通路に消えて行く。
惑星ゼノーラでの任務を終えたセミルは、次の任務のために惑星アーシェスに来ていたが、彼の搭乗するする宇宙戦闘艦スターライトの人工知能スターライトは、それならたまにはゆっくりしたい、いやゆっくりさせろとアーシェスの第一軌道衛星の宇宙戦闘艦船専用ドックに無断で予約を入れ、強制的に入港してしまった。
そのためセミルはアーシェスの惑星地上に降りるのに、他の一般人と同様軌道エレベーターを使うしか普通の方法が無くなってしまい、宇宙戦闘艦船専用ドックを離れて軌道エレベーターへと向かったのだった。
軌道ステーションは、ステーションの運行や宇宙港に出入りするための艦船の制御を行う<指令塔エリア>、ステーションで働く人々や家族の、住まいや生活するのに必要な施設のある<居住区エリア>、入国管理や検閲、搭乗手続き等を行う<宇宙港エリア>、地上世界との往来を管理する<軌道エレベーターエリア>、動力や重力制御などの重要な機械、装置が集中している<機関部エリア>の5つのブロックに分かれていて、スターライトが入港した宇宙戦闘艦専用ドックは機関部エリアにあった。
常に多く人々が出入りしている軌道ステーションであったが、宇宙戦闘艦専用ドックを出たセミルは誘導マーカーに導かれるまま軌道エレベーターエリアにたどり着くまで、誰一人として人間に会うことが無かったのは軌道ステーション側の配慮であったが、どちらに対しての配慮かと言えば、一般客を怯えさせない為の配慮であることは言わずもがなである。
軌道ステーションエリアでは、重力は地上世界と同様に1Gに設定されているので、アナウンスに従いステーションの床に降り立ったセミルは誘導されるまま、軌道エレベーターの射出準備ルームへと進んで行った。
本来は軌道エレベーターで下降する前に入国管理の手続きを済ませる必要があるが、イレイザーはマフィア等の広域組織の重犯罪者を追っている事が多く、手続きで時間を取られている間に逃げ遂せてしまうことができるから、イレイザーには入国管理に関わる面倒な手続きをパスすることができるという特権が与えられているため、軌道エレベーターの<射出準備ルーム>にセミルは入ると、全身に泡のようなものをを吹きつけられ、椅子に座ったような姿勢で固定された。
軌道エレベーターという名前なので誤解されがちだが、ワイヤーで引っ張られた箱の中に入って空間を上下移動するようなものではなく、 耐熱、耐衝撃、耐摩擦、耐重力の効果のある<泡>で全身を包み、それを送り側のステーションから射出し、受け取り側のステーションは重力制御でブレーキをかけて回収するもので、泡で包まれた中の人間は解除されるまで一切の熱や衝撃、重力すらも感じることなく、固定された快適な状態が継続される。
準備ができたところで移動する床で射出ルーム移されると、セミルを包んだ泡は地上ステーションに向け射出された。
時間的にして30分程度であるが、泡の外側では大気圏の突入のシーンがリアルタイムで繰り広げられるため、慣れてない人には耐えらなく、多くの人々は外部の景色を遮断して過ごし、その間にニュースや惑星のインフォーメーションが流れるようになっているが、好みに合わせて音楽やゲーム、映像サービスなどに変更することができるが、セミルは外部の景色を映したままにして、惑星アーシェスのインフォーメーションも流れるままにしていた。
イレイザーという存在は何処に行っても忌み嫌われ恐れられているが、その原因を作っているのも彼等自身であるため仕方がなかったが、反面彼等自身の命も常に狙われ続けている事をセミルはよく理解していたので、このような無防備な時間が一番危険であることを熟知していたし、実際過去に何度か襲撃を受けたこともあったので、いつでも泡を突き破り脱出する準備と心構えはできていた。
イレイザーのマントは、真空の宇宙空間から惑星の大気圏突入にも耐えられるように作られた優れもので、腕に埋められたポータブル重力制御装置によって軌道エレベータと同様に地上に着地することも可能であるが、あくまでも緊急手段として使うもので、軌道エレベーターが普通に使えるのであればそれにこしたことは無い。
今回は無事に何事もなく軌道エレベーターの地上ステーションに到着すると、<解除ルーム>へとセミルを包む泡は移動床で運ばれて、解除の<光>を浴びせられ、全身を包んでいた泡は跡形もなく消え去った。
ガイド音声に従って解除ルームを出ると、地上ステーションのターミナルロビーへと出た。
第1軌道衛星は<惑星首都>の静止衛星軌道上に常に浮かんでいるのが普通とされていて、惑星アーシェスもそれに倣って惑星首都<アーシェスシティ>であった。
惑星アーシェスの地上ステーションの施設は軌道エレベーターだけではなく、<高速道路>や<高速鉄道><空港>等、惑星上を移動するための拠点として整備された巨大ターミナルとなっているため、常に多くの人々でごった返していていた。
そこへ突如黒マントに全身を包んだ存在が現れると、それまで喧噪で溢れかえっていたロビーが一瞬で息を潜めるように静まり返り、人々の動きが凍り付いたように止まった。
普段は足音ひとつたてずに走り回るセミルだったが、わざとらしく『カツーン………』と足音を高らかに響き渡らせて歩み始めると、彼の進行方向上にいた人々が逃げるようにして道を開けていき、事情を知らない子供たちが燥ぐのを大人は必死に押さえつけている光景があちこちに見えた。
さしたる抵抗もなくセミルは地上ステーションの外に出ると、春の柔らかい日差しに包まれた穏やかな気候だった。
惑星アーシェスの首都アーシェスシティは、街造りのコンセプトとして地球の中世のヨーロッパの街並みを模しており、低いレンガ造りに見える建物がどこまでも続いている。
地上ステーションの出口から続くエスカレーターを降りると、ステーションの外周に沿ってロータリーになっていたが、そこを走っているのは自動車では無く馬車であった。これも本物の馬では無くロボットの馬で、市内であれば誰もが好きな時に好きなだけ利用することが可能となっている代わりに、市内の地上は他の乗り物は禁止されていた。
セミルは馬車には乗らずに、ロータリーから放射線状に広がる道に向けて歩き出す。
道をの傍らにはオープンカフェで談笑しながら寛いでいた人々が、黒マントの彼の姿をを見るなり、先程のロービーにいた人々と同じような反応をみせ、談笑を中断して固まっていたが、セミルは何も気にならないのか、お構いなしに進んで行くと正方形をした石畳の広場へと辿り着いた。
<アーシェス・セントラル広場>と名付けられたその広場は、惑星大統領府、惑星議会、連邦裁判所等々の惑星アーシェスの主要な決定機関の建物が並ぶ一辺が1000メートルもある広大な広場で、この星の心臓部ともいえる場所であった。
広場の中心部分には巨大な噴水の塔があり、更にサイズは小さくはなるが同じ塔が広場中に規則的に立ち並んでいたが、今は音楽に合わせて水が高々と吹き上がったり収まったり、更に様々な色に着色された水を噴きだしたりしたりと美麗な噴水のショーが行われていて、人々はそれに目を奪われていたのか、広場を横切りの中央の噴水の塔に近づいて行く黒マントの姿を誰も見咎める者はいなかった。
噴水ショーが終わり見物客からは喝采の拍手が送られていたが、中央の一番高い噴水の塔の上に突如現れた黒マントに全身を包んだ姿に人々は一瞬凍り付いたように動きが止まった。
「やあ諸君、盛大なお出迎えご苦労」
満足そうな男の声が広場に響き渡った。
「だがセミル・ラウサート君、遅刻は困るね」
噴水の塔の上にいた黒マントが下にいたセミルを指し示すと、見守っていた人々は広場の端にいた者達から離脱をはじめ、やがて我を先にと争うようにと蜘蛛の子を散らすようにして広場から逃げ去っていった。