平穏の崩壊
第一話投稿です。
次回更新は8月8日 午前0時を予定しております。
家から車で30分ほどの所にあるショッピングモールは、今日も人混みで溢れていた。
「沙彩、手を離すなよ? また迷子になるぞ?」
俺は左手をしっかりと握りなおす。
「もう、こー君たら。私はそんなに子供じゃありませんよーだ」
頬を膨らませながらも、彼女は俺の左腕にしがみつく様にくっついてくる。
今日は以前から楽しみにしていた映画を観に来ていた。
「やっぱあれだったなー、第三作目は面白くなくなってたなー」
「ねー、私は前の俳優さんの方が好きだったー」
事前にネットで調べたレビューでは、散々叩かれていた作品である。
そんな作品でも第一作目と第二作目が好きだった為、どうしても自分達の目で観て確認したかったのだが、どうやらレビュー通りの内容だった。
そんな何気ない会話を交わしていた時、沙彩が立ち止まり唐突に聞いてくる。
「あれ? こー君……何か言った?」
「いや? 俺は何も言って無いよ?」
「んー? 確かに呼ばれた気が……」
不思議そうな顔をする沙彩。
キョロキョロと辺りを見回すも、この人混みだと背の低い彼女では少し確認しづらいだろう。
俺も彼女と同じように見回すが、こちらに声をかけてくる様子の人物は見当たらない。
「どっちから呼ばれたか分かるか?」
「うーん、あっちの方かな?」
彼女が指した方向はショッピングモールの隅の方だった。
「おいおい、あんな遠くから聴こえたのか? あっちはトイレのある方だぞ? トイレの花子さんだったりして……」
彼女がホラー嫌いなのを知っていて、俺は脅かすつもりで言う。
「もう、こー君とは口聞かないから」
沙彩の頬がパンパンに膨らむ。
「ごめんって、冗談だから。そんなに気になるなら行ってみる?」
膨らんだ頬を指で押すとプシューと空気が抜け、ニコッと笑いながら沙彩は言う。
「うん、ちょうど化粧直しもしたいしねー」
目の前を絶え間なく通り過ぎる人混みをかき分けて、その声のした方向へ向かった。
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酔ってしまいそうな程の人混みを抜けて、トイレへと続く通路の前にたどり着く。
喫煙室から少し離れたところにあるベンチに俺は腰を下ろす。
「ほら、誰もいないだろ? やっぱ気のせいだったんだよ」
「そうみたいね? 映画館の音が大きかったから耳がおかしくなったのかなー?」
「やっぱトイレの花子さんかもよ?」
「………………」
「沙彩?」
「はいっ! 耳がおかしくなった為、こー君の声はもう聴こえませんー」
どうやら少し調子に乗りすぎたみたいだ。
これは不機嫌のまま放置して拗らせると、いつまでも許してくれなくなるパターンだと俺は瞬時に悟る。
「申し訳ありません! 沙彩様! このお詫びはこの後の食事にて、デザートをつけさせて頂くと言う事でどうか………」
「うむ、良きかな良きかな」
「へへー、有り難きしあわせ」
甘い物に目がない彼女は、満足そうな顔でトイレの中へと入って行った。
俺はほっと胸を撫で下ろした。
俺はしばらくスマホで暇を潰していると、空気を切り裂くような沙彩の悲鳴が唐突に上がった。
「っ!? 沙彩っ!! どうしたっ!?」
女性用のトイレだという事も忘れて、駆け込んでみるとそこには奇妙な光景が広がっていた。
「なんだ? これ……」
そこはお洒落な内装で最新の設備が整ったトイレではなく、まるで時が止まったかのような灰色一色の何もない世界。
「こー君……あそこに変な人が……」
沙彩は震えながら奥を指差す。
その先に居たのは漆黒の装束を纏った道化の様な男だった……。
「やぁ、驚かせてすまないねぇ。現れる場所を間違えたみたいだ。いくら僕でも女性の排泄する場所で興奮を覚えたりはしないよ? ハハハハハ」
「じゃあ、なんでお前はこんな所に居るんだ? 何処から入ったんだ? まぁいい、とりあえず警察を呼ぶから動くなよ?」
俺はスマホを取り出して電話をかけようとするが、スマホがロック画面から動かなくなっていた。
「無駄だよ? 時間を止めてるからね。本当は楼崎 沙彩以外の時間を止めるつもりだったのに……。キミまで入ってくるんだもん。実はキミの方が変態なんじゃない?」
男は今どき厨二病の子供ですら言いそうにない冗談を堂々とした態度で言う。
「時を止めてる? 冗談は格好だけにしてくれ。あと、俺は変態じゃない。沙彩、俺はここでコイツを見張ってるから警備員を呼んできてくれ」
「うん、分かった!」
そう頷いた沙彩は走り出すが……
トイレの入り口の辺りで、とても鈍く低い音が鳴った。
何かにぶつかった様な素振りで、おでこの辺りをさする沙彩。
「いったーい! 何よーこれー? こー君、なんか見えない壁があって出れないよー?」
「はぁ? 沙彩まで冗談はヨシコさんだぜ?」
俺は沙彩まで厨二病になってしまったのかと思ってしまった。
「本当だって、ほら? この辺だよ?」
沙彩は何もない空中を、パントマイムのように手のひらを当てている。
俺は半信半疑でノックしてみると、確かに先ほどよりは軽いが低い音が鳴る。
「マジか? おいっ! 変態野郎! どうなってる?」
「アッハッハ! 変態に変態と呼ばれるとは大変だい! それはね? キミの大切なお嫁さんを逃がさない様にする為の結界だよ?」
「さっきも言ってたが、沙彩が何をした? なんで沙彩を狙うんだ?」
すると途端に男は無表情になる。
「ん? あー、キミには関係ないから引っ込んでて」
男はスッと左から右へ横に腕を振り抜く。
その直後、俺は見えない何かに弾き飛ばされた。
勢いよく背中から壁に激突し、凄く大きな音がする。
「かはっ……!!」
「こー君っ!! 大丈夫っ!?」
手に持っていた鞄を放り投げて、沙彩が駆け寄ってくる。
「ほらほらー、あんまり僕の邪魔をすると冗談じゃ済まなくなるよー? さぁ!! 楼崎沙彩、一緒に来てもらうよ?」
それは一瞬だった……。
男は沙彩の隣りへ移動し、腕を掴んで元の場所へと戻ってみせた。
「痛い……。痛いってば!! 離して!! こー君、助けてっ!!」
必死に抵抗して男の拘束を振り解こうとする沙彩。
俺は背中を強打した為、呼吸も上手くできない状態だった。
「くっ、沙彩っ………。おい……沙彩を離……せ……」
すると男は見飽きたように肩を竦めながら言う。
「はいはい、愛情ごっこもここまでくると胃もたれするからさ。そろそろ消えてくれて良いよ?」
男は俺に手のひらをむけて、何やら不気味な光を放った。
きっと背中を強打していなければ余裕で避けれたであろう、ゆっくりな速度で迫ってくる。
(やばいっ……これ……当たったらダメなヤツだろ?)
目の前まで迫る不気味な光、俺は思わず死を予感した。
腹の底から一気に喉もとへ突き上げてくる、この世のものとは思えない絶叫が。
……
…………
………………
……………………
…………………………
ぎゅっと目を閉じていた俺は、違和感に気づく。
(………………あれ? まだ当たらない?)
閉じていた目を開くとそこには、眩い程の光を放つ白い装束を纏った誰かが俺に背を向けて立っていた……。
「間に合いましたね、良かった……。大丈夫ですか? 楼崎 琥珀さん」
笑顔で振り返った人物は、眩しいほど輝きを放つ不思議な雰囲気の女性だった。
「大丈夫じゃありませんよ……。アンタ、どうやってここへ入った? それにアンタといい、そこの変態といい一体誰なんですか?」
俺は痛む背中をさすりながら立ち上がる。
女性は男の方を向き、腹を抱えてうずくまり床をバンバンと叩きながら言う。
「ぷふっ! 変態ですって、テヌス! 貴方、やっぱり変態だったんですね?」
「あぁ? ほらぁー、邪魔をするから面倒な奴が来てしまったじゃないか。さっさと回収して姿を消そうと思っていたのに……」
どうやら変態の名前は「テヌス」と言うらしい。
奴は先ほどとは別人のように顔をしかめて女性を睨みつけている。
「楼崎さん、要点だけをかいつまんで説明しますね? 私は絶世の美貌を持つ、異世界最高の女神レアルと申します。で、あの変態……クスッ……が異世界最低の悪神テヌスと呼ばれる者です」
「相変わらず人をバカにするのが好きなようだね? 性悪女神のレアルさん?」
「あら? 心外だわ、事実を述べているだけよ? 私って、性悪女神だから変態と遊んでる暇は無いの。さぁ、彼女を離しなさい」
「嫌だと言ったら?」
「そうね、実力行使かしら?」
テヌスがボクサーの様な構えを取り、戦闘態勢を取る。
レアルと呼ばれた女性はベ○ータのような構えで、少し笑える。
「はっ! 望むところ!」
次の瞬間、テヌスとレアルが消えたり現れたりして物凄い衝撃と破壊音が鳴り響く。
時間にして3分程だろうか、衝撃音が突如鳴りやむ。
テヌスが動きを止めて首をゴキゴキと鳴らしながら笑う。
「んー? レアルさー、少し動きが遅くなったんじゃないかい? ダイエットした方が良いかもね?」
「余計なお世話よっ!!」
どうやら気にしていたらしく、レアルの動きが大ぶりになった様に見えた。
またもや鼓膜に響くほどの大きな衝撃音と振動が俺を襲う。
より一層激しくなる闘い、心なしかレアルの方が劣勢のように見える。
そんな事は気にもとめず、この隙に連れて逃げようと俺は沙彩へと駆け寄り手を繋ぐ。
「沙彩、今のうちに逃げるぞ?」
「うん、ありがとう! こー君。」
するとそれに気づいた瞬間、テヌスが俺の背後に姿を現す。
「ちょろちょろと目障りだよ、キミ」
「危ないわっ!! 避けてっ!! 楼崎さんっ!!」
劣勢を強いられ床に膝をついていたレアルが叫ぶも、気づいた時には俺の右胸からテヌスの腕が天に向かって突き抜けていた……。
「こー君っ!!!!」
口の中から大量の血液が溢れ出してくる。
呼吸も上手くできない。
「さ……あ……や……にげ……ろ」
「くっ!! テヌスっ!! この世界の人間を巻き込むのは神界規定違反よっ!!」
「んー? だってさー、あまりにも目障りだったからさー? 僕の邪魔さえしなければ殺す事もなかったんだけどねー? 自業自得だよ?」
レアルに咎められるも、テヌスはどこ吹く風と肩を竦める。
「こー君っ!! こー君っ!! アンタっ!! 私の旦那さんになんて事してくれるのよっ!! ふざけんじゃないわよっ!!」
(はは……沙彩……えらくおこってるな……おれが……まもってやらねーと……)
俺は覆いかぶさる様にして沙彩の身を守る。
沙彩もまた、血塗れの俺を抱きしめて包んでくれる。
彼女の流した大粒の涙が、俺のズボンに染みを作る。
「こー君が……私達が……ひぐっ……アンタ達に何をしたって言うのよ……えっぐ……」
そんな俺たちを気にもせずに、今度は沙彩の背後に一瞬にして現れて、腕を掴むとテヌスは淡々と答える。
「んー? いや、まだ何もしてないよ? 楼崎沙彩、キミにはこれから僕の手足となって動いてもらうからね?」
「待ちなさいっ!!テヌスッ!!!!」
レアルは叫ぶ。
「レアルさー、悪いけどそろそろお暇するね? 彼女は連れて行くから」
テヌスはまたもや沙彩だけを連れて、離れた場所に移動した。
「っ!! 楼崎琥珀さん、まだ意識はありますね? 今から貴方を私達の世界へと転生させます。拒否権はありません。私は残った力を使うのでしばらくは眠りにつく為、テヌスを追いかける事ができません。貴方は強い魂をお持ちのようなので、転生して力をつけてテヌスから沙彩さんを取り返して下さい!」
レアルが光る手のひらを俺の左胸にかざして言う。
「おっと? 何やら面倒な事をしてるね? ダメじゃないかレアル、キミこそ神界規定違反だよ? 彼にはキミと同じ、面倒な臭いがプンプンしてるからね。というわけで念には念をっと……」
テヌスの人差し指から高速で放たれた小さな光が、俺の身体に直撃する。
「そんな!? 貴方、これは呪い!?」
「あぁ、彼には僕の邪魔をしてもらいたく無いからね。足止めする為の贈り物さ」
呪いを解こうとしてくれたのだろう、レアルは申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんなさい、楼崎さん。私にもう少し力が残っていればテヌスの呪いも解けたんですけど、無理みたいです。代わりに私からはテヌスの呪いに対抗する為の祝福を授けます」
「んー? 祝福だって? まぁ、いいや。それじゃあ僕はこの辺で。ほら行くよ楼崎沙彩!」
テヌスは一瞬だが怪訝な顔をするも、レアルが俺に付きっきりになっている今しか無いと思ったのだろう。
「いやっ!! 離してっ!! こー君っ!! こー君っ!!」
2人が消えたのであろう、辺りが静寂に包まれる。
「ごめんなさい、逃してしまいました。私もそろそろ力が尽きそうです。ですが安心して下さい、貴方は新しい世界へと転生する事ができます。テヌスから受けた呪いに対抗する力もあります。沙彩さんを救う為にも必ずテヌスの元へ辿りついて下さい。期待しています」
(駄目だ……何を言っているのかわからない……耳が聞こえない……意識も遠くなってきた……俺……死ぬのか……?)
「…………………………ぬ……………………たわ。私……………………さい…………」
俺は意識を手放した……