第一章 ミノとアズ 8
「小久保ミノリ」 主人公のミュート。「アズ」 RA2075型AI、ミノリの友人。「鈴村サトシ」 ミノリの養護施設時代の先輩。「山中タマミ」ミノリの職場のリーダー。「小堺リョウジ」ミノリの同僚。
「稲地アヤメ」ミノリの同僚。「板垣ヨウスケ」ミノリの同僚。
8
翌日、翌々日と外出禁止規制がつづき、ネットニュースは変らず同時多発テロ被害者の情報を流し、または市街地で超能力をあやつるミュートと攻撃ドローン、ロボット警官の血なまぐさい戦闘を嬉々として配信していた。わりあいに平和的であったJ州においては、積極的なミュート狩りの実施は初のできごとであったかもしれない。射殺、または拘束したミュートの氏名は日に二度の政府公報で発表され、彼らに人権がなくなったということを強くしめした。また逃亡したミュートは指名手配され、ほぼ一日中、光学モニターのすみに顔写真が貼られつづけた。目撃情報を求めつつ、擁護、隠蔽した一般州民も同罪とみなすとのテロップがおどっている。
『ミュートは突然変異体であり遺伝要素は認められないので、その家族、親戚等に対し誹謗中傷をした者は後日、厳罰に処す』坂東トウジ総督のその声明だけはこの惨禍の中でまだ、ミノリに救いを感じさせた。そして思った、アヤメが生きていたらこの殺戮の光景をどうとらえただろうかと。
『ミノ、野菜や肉のストックがありません。発注いたしますか?』アズが聞いてきた。
「いらない。いいよ、カップめんで」
『栄養がかたよります』
「じゃカロリーキューブでいい、食欲ないんだ」カロリーキューブとは感染爆発後、まだ食料事情がきびしいころに政府の研究機関が開発した、いわゆる非常食である。栄養価の高い完全食品であるが、味はひどいものなので平時には食べられたものではない。
『まだ、稲地アヤメのことで悩んでいますね?』
「あたり前だろ?」
『ミノ、では散髪をしましょう』
「はあ?」
『明朝、非常事態宣言解除の予定ですが、それまではどうせ部屋からでられません』
「だからなに?」
『外出禁止がとかれれば、テロ被害者の合同葬になるか個人葬になるかは不明ですが、稲地アヤメの葬儀が執りおこなわれるでしょう。その髪でいくつもりですか?』
「…………」ミノリはニュースがうつっている光学モニターを部分的に鏡面へと変更した。普段、容姿に気をつかう習慣がないせいか、ボサボサに伸びきっている。確かに弔いの場にはふさわしくないかもしれない。しかも、この真夏にそぐわない暑苦しさである。
『いかがです?』
「たのむ、アズ」
『了解しました。ではミノ、シャワー室へと移動してください』
「はいはい。お前、本当よく気がつくよな? たまにAIとは思えなくなるよ」
『ミノを守るのが私の役割ですので。この役割の中には他者からの中傷や非難を事前に予測、未然に防ぐこともふくまれております』
「なるほどね。じゃあ、シャワー室のモニターにニュースを切りかえてくれ」
『了解』
そう広くないシャワー室の中央でイスにすわり、カットケープをかけられたミノリは防水光学モニターのニュースを見ながら濡らした髪をアズに切られている。別に殺戮場面など見たいわけではないが、やはり情報はほしい。非常事態宣言下である以上、いつなんどき状況に変化がおこるかわかったものではないのだ。
『ミノ、いつも通り短めにしますか?』アズが聞いてくる。
「ああ」ミノリは散髪の際は短髪にすると決めている。そうしておけば約半年間は切らずにいられるからである。
『了解』アズは指先の中の二本をハサミにして器用に髪をカットしていく。洗髪のときにはウレタンキャップがでてきて頭皮マッサージまでしてくれるのである。
「なあアズ、J州も今後、U州やF州みたいになっていくのかな?」ミュートによるテロが多発している海外の多くの州では年がら年中、戒厳令が発令されている。現在、軍隊と呼ばれるものは存在しないが、緊急時、一時的に州議会の権限が連合警察に移されることを戒厳令という。今回、J州での非常事態宣言は、議会主導で執行されているので、まだ戒厳令にはいたっていないといえる。
『J州のミュート防御策は他州と比較すると緩慢でありすぎたと連合政府は判断するかもしれません』耳もとにハサミを入れながらアズがこたえた。
「こんなことがあっちゃ、仕方ないか……ああ!」大声をあげてモニターへと身をのりだすミノリ。
『ミノ、動いては危険です!』素早く彼の頭から指先をはなすアズ。
「アズ、今の画面、リウィンドしてくれ!」リウィンドとはひと昔前でいう早もどしのことである。
『了解、どこまでですか?』アズの操作でモニターが二分割になり、一方がライブ中継をそのままうつし、一方がなめらかな動きで逆再生されはじめる。
「ストップだ」ミノリが停止させたシーンには、射殺されたミュートの氏名が羅列されていた。「まさか、嘘だろ……」
『鈴村サトシの名前がありますね』アズがいった。ミノリとサトシは先月、道端で偶然であったばかりである。
「同姓同名か? アズ、調べられる?」
『警察のサーバーに問いあわせてみます』
「たのむ」イライラとカットケープの中で腕組みするミノリ。サトシとは決してそりがあっていたわけではないが、最初に勤めた農作業場では少なからず世話にもなった。なによりも養護施設時代の先輩である。
『──わかりました』
「どうだ?」
『鈴村サトシ、二十歳。職業、農業労働者。「クサナギ区立第四中学校」卒業と同時に児童養護施設「ヤング・グラス」を十五歳で退所。本人に間違いないようです』
「そうだな……しかし、どういうことだ?」ミノリが頭をふると切られた髪がバサリと落ちた。そして彼は愕然とした、アヤメの死ほどのショックは受けていない自分自身に。彼女よりもつきあいは長いはずであるのにサトシの死を冷静に受けとめ、なおかつその死に疑問をもつことまでしているミノリは、ボクは冷たい人間なのだろうなと思った。
『なにがでしょう?』
「いや、なんでもない」盗聴の恐れがあるので口にはださないが、ミノリは鈴村サトシに超能力者のはなつ独特の気、または圧を感じたことがない。彼は断言できた、サトシは決してミュートではないと。
翌朝、午前五時三十分。チャイムとともに光学モニターが立ちあがった。政府公報である。いずれにしても一睡もできなかったミノリはベッドから飛びおり、テーブル上のモニターにかじりつく。非常事態宣言が解除されるか否かがいよいよ発表されるのだ。状況によっては延長される可能性、そして戒厳令に移行する可能性もゼロではないのである。
ややあって、画面にJ州総督、坂東トウジが登場した。
『J州民のみなさま、総督の坂東です。非常事態宣言を発令し、みなさまの外出を規制させていただいておりますこと、それにともないます経済活動の完全停止、本当にご不自由をおかしております。この坂東、州民のみなさまに心より謝罪申しあげます。そしてまた、外出禁止令を遵守し、ご協力をいただいておりますこと、重ねて御礼申しあげます』画面の中の坂東は深々と首を垂れる。
「いいからどうなんだ? 結果からいえばいいのに」じれるミノリ。
『じらしたうえで、富める者も貧する者も元の生活があたり前のことではなく、現在の政府があたえてくれるしあわせなのだとアピールする作戦なのでしょう』アズの分析はこうであった。
「姑息だな」
『しかしながら先日、我がJ州としては初となる未曾有の大災厄、三区画同時多発テロがミュートたちによって引きおこされるという事態が発生、多くの州民のみなさまの命がうしなわれました。そして我々は事件の首謀者たるミュートとの対決を余儀なくされたのです。そのことはみなさま、亡くなられた方々のためにもご理解ください。そうです、今、この州に巣食うミュートの完全排斥、完全撲滅こそがJ州民、最大、最高の願い。そしてその達成が我々、議会、そして警察機関の使命──』熱のこもった演説をしていた坂東トウジ総督のワイシャツの胸もとが、突然、吹きとんだ。まさに吹きとんだとしか形容のしようがない。肉片や内臓が一瞬にしてはじけ、鮮血の赤が画面いっぱいに四散した。
「な、なんだぁ!」思わず、イスから転げ落ちるミノリ。おそらく、この政府公報を見ていたJ州全土の人々が同じように腰が引け、戦慄していることであろう。そして画面の中ではあきらかに死んだと思われる坂東トウジ総督の周辺で、顔をだすわけにもいかず、右往左往しているらしい議会関係者や政府公報スタッフの大声や怒声だけが聞こえている、が、すぐに中継用のネット回線が切りかえられたようで、白の画面には定番の「しばらくお待ちください」という文字だけが貼りつけられていた。
『ミノ、大変なことになりましたね』アズがいった。
「ああ……やっぱり犯人はミュートかな?」
『手口からいって、その確率が高いでしょう』
「だよな。けど、変じゃないか?」
『ミノ、なにがでしょう?』
「昔、同じような殺され方をした警察官がいたんだろ? 頭を吹っとばされて」
『はい、二〇七四年の連合警察技官公開暗殺事件ですね。よく知っていましたね、ミノが生まれるよりずっと以前のできごとなのに』
「誰だって中学で習うよ。その事件以来、政府や議会は安全のため、声明や演説をおこなう場所をそのときどきでランダムに選定しているはずだろ? ミュートたちにどうしてバレたんだ? あの事件以後、どの州でも政府関係者の公開暗殺事件はおきていないのに」
『考えられる要因としては州議会にミュート側のスパイが入りこんでいるということでしょうか。平和になれすぎていたJ州ならばおこりえます』
「その可能性が高いね。ただ……」
『どうしました?』
「ミュートの暗殺に見せかけた人間の犯行ということは考えられないか?」
『ミノ、少し飛躍がすぎます。根拠はあるのですか?』
「根拠?」根拠は、あきらかにミュートではない者をミュートとして処分したのが人間であるからだ。しかしミノリは「根拠はないよ。ただの妄言だ」そうアズにこたえた。ヒュペルコンピューター『アガサ』は、こんなときでも休まず、せっせとバングルフォンからの諜報活動をつづけているかもしれない。ミュートをかばい、人間に疑問をもつような発言はひかえるべきであろう。
『ミノが妄言をいうのは珍しいことです』
「そうかい? アヤメさんのことでも随分といってたじゃないか」
『あのときのミノは、ある意味では当事者でしたので仕方がありません』
「今回だって当事者だ。ボクだってJ州民なんだ、平然としていられる方がおかしいだろ? 州議会長の坂東総督がミュートに公開暗殺されたんだぜ。この先、J州はどうなるのか……」ミノリは、アズにではなく『アガサ』にむけて話していた。
『ミノ』
「うん?」
『この先、J州でなにがおきましても、ミノがこの部屋の主であるかぎり、私はミノの生存確率上昇をなにより最優先とします』
「アズ、ボクはいいかげんで、薄情なやつだよ。今回のことで思い知った」
『私は、どんなミノであろうとミノを守ります』
「アズ……」ミノリはピカピカした光沢につつまれたロボットアームの指をキュッと握った。
「しばらくお待ちください」というテロップのみであった光学モニターの画面に変化があり、ふたたびけたたましいチャイムが鳴る。そして今度は音声のみが流された。内容は非常事態宣言の延長と、引きつづき昼夜を問わず外出禁止令を遵守するように、との連合政府よりのJ州民への命令通達であった。ミノリは肩を落としたが、これはいた仕方のないことであろう。一州の総督が全州民の視聴するライブ配信中に殺害されたのだから。
電気料金のかさむ冷房を切って、ときおり窓を開くと、銃声や爆発音、鳴り響くサイレンが間断なく聞こえてきた。これがミュートにむけられたものなのか、一般州民にむけられたものなのか、ミノリには判断がつかなかった。
(つづく)
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