第一章 ミノとアズ 7
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「なぜ助かったんだろう?」ミノリは天井に吊られたロボットアームに言葉をかけた。
『監視ドローンにとらえられてはおらず、ダストボックスの爆発で付近のカメラ、もしくはデータが破壊された確率が高いです』アズがこたえた。
「なるほど。紙一重ってやつだな」ミノリは吐息をつきながらアズのいれたコーヒーをすする。K109による検知を無事通過したミノリはしばしの待機を命じられたのち、公営団地の棟別にふり分けられ、非常事態宣言下の無人の街を警察の装甲バスにゆられて部屋へともどってきた。自家用車で夏祭りにきていた一番街や二番街の住民は車輛認証を受け、道草をくわないことを条件に、車での帰宅を許されたようである。
『ミノ、もうこの話はやめましょう。厳戒態勢下です、室内も盗聴されている可能性があります』
「まさか」
『いつもではありません。しかしランダムに、定期的に、いずれかの方法で全州民の情報を収集しているはずです』
「J州民、全部? 団地だけだって何万人といるんだよ。そんなのいちいちやってられないだろ?」
『ヒュペルコンピューター「アガサ」にいちいちやってられないという判断をくだす機能はありません』
「なるほど、いちいち正論だな。ただアズ、ひとつだけいわせろ」
『なんでしょう?』
「なぜアヤメさんを助けるのをとめた?」
『稲地アヤメの死はいずれにせよ、さけられませんでした』
「ボクなら助けられたかもしれない!」
『一度めと違い、二度目は彼女との間に距離がありました』
「そんなのボクには関係ない!」
『…………』アズは話しをつづけるかわりに食器棚から硬質プラスティック製の皿を一枚つかむと、ミノリの前においた。
「なんだよ?」
『ミノの財産ですので心苦しいのですが、私の調理ミスで皿を一枚、ダメにしました』
「はあ?」
『…………』アズは十本ある指の中のひとつを伸ばす。すると先端から糸のようなレーザーが照射され、皿に文字をきざみはじめた。通常、アズが肉や野菜をカットするときに使用している機能である。文章を完成させたアズは、無言でミノリへと手わたした。
〝あのとき上空には監視ドローンの増援部隊が数百機飛んでいました。同じサードアイ、同じID認識を持つ人間がほぼ同時刻、距離のはなれた二点で確認されたら『アガサ』はその人間を瞬間移動能力をもつミュートであると判断します〟
「…………」言葉をうしなうミノリ。本当は彼もどこかでわかっていながら、アズのせいにして、跳ぶのを躊躇したのである。「くそ!」テーブルに拳をたたきつけるミノリ。うつむき、頬を染めていたかわいらしい浴衣姿のアヤメの泣き顔が見えたような気がした。
『ミノ、皿一枚でそこまで激昂されなくとも。心拍数、体温、呼吸数、血圧が約四十%上昇しています』
「そうかい」ミノリはアズの三文芝居につきあう気にはなれなかった。
『では、私の調理ミスで焦がした皿を処分いたします』
「そうしてくれ」
『ミノ、申し訳ございませんでした』
「いや……」アズの謝罪が皿をダメにしたことについてなのか、アヤメの死に関してのことなのか、ミノリには判断がつかなかった。そして、あやまらねばならないのはアズじゃない、自分の方だ、そう思った。そのとき、ミノリのバングルフォンに着信があった。手首の上に光学ディスプレイを立ちあげると、相手は小堺リョウジであった。「小堺さん!」あわててに通話モードに切りかえるミノリ。「無事だったんですか、よかった!」
「ああ、なんとかな。小久保も無事でよかったよ」
「はい、こちらもなんとか」
「それで、その、アヤメちゃんなんだけどさ。彼女はどうなんだ? 何度電話してもつながらないんだよ」
「それが、その……」ミノリは何度も言葉につまりながら、アヤメの死をリョウジに伝えた。「遺体を見たわけじゃないので、まだはっきりとはわからないんですけど」
「お前、小久保! お前がついていてなにやってんだ!」どなった光学ディスプレイ上のリョウジは涙を流していた。「いや、すまない。お前が悪いわけじゃないもんな」
「あ、はぁ」思わず消え入りそうになるミノリの声。
「ミュートの野郎! 絶対、許さない!」
「ミュート……」
「いや、待て! まだアヤメちゃん、死んだとはかぎらないんだよな?」
「は、はい」嘘である。見てはいないがミノリは彼女の千切れ飛んだ肉塊を感じたのだ。
「俺、山中リーダーに連絡とってみる! 小久保もRAでもなんでも使って情報を集めてくれ!」
「わかりました」
「たのむ、小久保! じゃ、また工場でな」
「はい」リョウジが電話を切り、ディスプレイが消えた。
『ミノ、稲地アヤメのRA2075にアクセスしますか?』
「いい。無駄だ」ボクがアヤメさんを見殺しにしたんだ……。
午前零時を少しまわったころ。窓を開けていると、ときおり大型装甲バスが停車、そして発車しているらしいエンジン音が聞こえてくる。いまだに中央公園からのピストン輸送がつづいているらしい。さらには断続的にけたたましいサイレン音や銃の発砲音までもが響いている。警察が逃亡したミュートを追跡しているのであろうか?
「アズ、窓を閉めて冷房を入れてくれ」
『ミノ、冷房は電気代がかさみますよ』
「わかってる。でもうるさくてイライラするんだ!」夜間外出禁止令のおかげで、普段であれば、この時間がさわがしいことなどなかったのだ。
『了解』アズの指令で自動的に窓が閉じると、室内は嘘のように静寂につつまれた。もともとPEウィルス対策、放射線対策で建造された密閉空間なのだ。換気外風を遮断すると夏は冷房なしではとてもすごせない環境なのである。ゴウという小気味のいい音とともに室内が冷気で満たされていく。『クーラーは私にはありがたいです』アズがいう。それはそうだろう、極端な冷気にも、熱にも弱い精密機器なのだから。
「アズ、テレビはつけなくていい」突然チャイムが鳴り、テーブル上に光学モニターがうかんだのだ。
『ミノ、私ではありません。政府公報です』
「そうか」夜間であろうと、早朝であろうと、政府公報を視聴することは、あのカエサルの処刑中継のころから根づきはじめた州民の義務のひとつであった。「まあ、いいや。明日、工場へいけるのかどうかも知りたいし」ミノリはドサリとくずれるようにしてモニター前のイスに腰をおろす。鳴りつづけるチャイムとともに【しばらくお待ちください】との文言がうかぶ画面を見ていると、約一分後に切りかわり、J州総督、坂東トウジの姿がうつった。坂東は緊張のおももちでひとつせき払いをして、声明を発表した。
『J州民のみなさま、総督の坂東です。今、みなさんはさぞ、ご家族の安否を気づかう不安な気持ちでいっぱいでございましょう。さらには感染爆発後、世界初となる平和祝典、夏祭りイベントをこなごなにうち壊し、みなさまの生命財産をおびやかし、いわんや尊い命を落とされた方まで大勢だした、今回の三州同時多発テロ事件の犯人であるミュートたちへの怒りが相当なものであること、察するにあまりあります』
「やはり犯人はミュートなのか……」光学モニターを見つめながらつぶやくミノリ。
『しかしみなさま、ご安心ください。現在、連合警察が総力をあげてミュート逮捕にあたっており、すでに逮捕数は三州において五十頭以上にのぼっているとの報告を受けております。そして、コロニー都市内部に巣食うミュートをしらみつぶしに狩りだす掃討作戦の準備も整いました。街が戦場になりかねない事態なのです。したがって州民のみなさまには、しばしのご不自由と忍従を強いる形とはなりますが引きつづき最低限、明後日までは非常事態宣言を続行いたします。この間は夜間だけでなく、昼間におきましてもすべての外出を禁止します。これは連合政府からの通達であり、命令です。この命令を破り、外出した者はたとえ良き州民であったとしても、理由のいかんを問わず攻撃ドローンの標的となります。むろんですが、ご自宅がミュートからの襲撃をうけた、警察の砲撃等で焼けだされたなどの場合におきましては考慮、配慮いたしますので、現場の連合警察官の指示に従ってください。私からは以上です』ここで坂東トウジ総督が頭をさげると、ふたたび画面が切りかわり、女性アナウンサーが登場した。
『これでJ州総督によります非常事態宣言にともなう緊急政府公報をおわります。つづきまして、現在、サードアイにより認証確認のとれております同時多発テロ事件でお亡くなりになられた方、重篤者の方のお名前を発表いたします。どうぞ──』彼女がそういうと、ヤタ区画から順次、死傷被害者たちの名前がテロップで流れ、合成音声がその名前をゆっくりとした明瞭な口調で読みあげていく。
「これ小堺さんも見てるよな?」クサナギ区画の死傷者名簿に移ると、ミノリは苦しそうにうめく。当然のことであるが、死亡者リストに稲地アヤメの名があった。
「ボクが死にたくなってきた」
『ミノ、抗うつ剤の処方を要請しますか?』通常時であっても夜間外出は禁止だが、その分、医療ドローンシステムが発達した。バングルフォンの生命データを転送し、コンピューターによるオンライン診断を受けることで、夜でも薬剤や医療品の購入が可能なのである。
「いらないよ。でもありがと、アズ」
『どういたしまして』
「ただ、思うんだ。アヤメさんにはやさしくて昔かたぎのお父さんがいる。お母さんだっているだろう。あかるい子だった、小堺さんだけじゃない、彼女が死んだら悲しむ友達だってたくさんいるに違いない」いつの間にかミノリの両目からは涙があふれでていた。「……ボクがかわりに死ぬべきだった」
『ミノ、ごく客観的な発言をお許しください。繰りかえしになりますが』
「なんだ?」光学モニターごしに濡れた瞳をあげるミノリ。
『私の計算では、あの爆発の位置座標とタイミングのもとでは、なにがどうあろうと稲地アヤメの生存確率は0%でした。たとえミノがなにをしたところでです。そのうえでミノまでが爆死したことでしょう。それはJ州の言語でいうところの犬死にというものにあたると私は──』
「黙れ! 黙ってくれ、アズ」ミノリは白色の樹脂製床に両手をついて己の無力さを呪い、そのまま泣きつづけた。
(つづく)
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