第一章 ミノとアズ 4
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午後六時ジャスト、いつも通りに終業時刻のブザーが鳴った。残業は法律で禁じられているので、三十分以内に工場をでなければならない。これが一秒でも遅れると給金が減額されてしまうのだ。それだけに業務は個々の集中力と効率のよさが求められる。これがうまくできない作業員は適性検査を受けさせられ、別の職場へと移動させられる。連合政府によって州民の就労は保障されているので失
業することは決してないのであるが。ミノリの仕事は開発部からまわってきた制御基板の調整業務である。とはいっても現物に直接ふれることほとんどはない。すべて、デスク上にたちあがった光学モニター内での作業となる。小さな町工場なので彼の所属する調整部の工員は男性三人と女性ふたりのみである。
「小久保、たまにはいこうぜ」モニターの電源を落としつつ、うしろの席の小堺リョウジが話しかけてきた。
「小堺さん、どこへいくんです?」公定予防接種のせいで出社が遅れたせいもあったが、目の前で射殺された母子の姿がちらついて、本日のノルマをまったくこなせなかったミノリの口調には、普段ならば先輩社員には見せないぶしつけさがあった。
「どこって、ポトコンだよ、決まってるだろ?」ポトコンとはポトラックコンパの略で、早い話が若い男女の出会いの場である。かつてPEウィルスのまん延で、なにもかも、生きる希望すらうしなった人々に、各州が公式の集団見合いパーティーを開催したことがはじまりだといわれている。その当時は極端な食料難であったため、それぞれが手作り料理や食材を持ちよって集まったことがポトコンの名称の由来である。
「ああ、ポトコンですか……すみません、パスします」ミノリはやり残した仕事にうしろ髪を引かれながらモニターを落とす。
「またかよ。いこうぜ、小久保。どうせ外出禁止時間までの短い間だ、つきあえよ」午後十時以後の外出は急病や事件、事故などの特例をのぞき禁止されている。これもミュート対策の一環であると連合政府は説明していた。この禁を破った者は逮捕、勾留、罰金を科せられる。夜間外出禁止令のせいで子供の出生率があがったとも、さがったともいわれている。
「いえ、ボク、人の多い場所は苦手なんです」ミノリは申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「知ってる。いいだろ? 小堺に小久保、ラストネームに小さいって字が入ってるよしみでさ。その名の通り、小さいじゃん、小市民じゃん俺たち。なんだよ? それともお前、一生ひとりでいたいのか?」労働層の彼らには他業種との交流機会も、夜の社交場といえる場所もほとんどない。せいぜい、政府公認で監視、管理がいきとどいた風俗店があるくらいである。高級住宅街に住めるような人々は、彼らとはまた違うのであろうけれど。
『ミノ、いったらどうです?』耳の中でアズがささやく。
「うるさい」
「なんだと!」リョウジの顔つきが変わった。
「あ、違います、違うんです! RAです! RAが余計なこといったもんで! すみません! 小堺さん!」あわててバングルフォンを指さし、ひらあやまりするミノリ。
「なんか今日、落ち着きがないわね? 小久保くん」調整部リーダーの山中タマミが心もちメガネを持ちあげ、いぶかしげにミノリの顔をのぞきこんできた。ちなみに彼女は既婚女性で子供もひとりいる。「なにかあったの?」
「いえ、別になにも」
「小久保さん、昼食もとってなかったじゃないですか?」もうひとりの女性、稲地アヤメまで話にわりこんできた。彼女は今年十八歳で、ミノリの初めての後輩工員である。
「本当なの? 小久保くん。適切なカロリーを摂取しなけりゃ、いい仕事できないわよ。私の管理責任が問われるでしょ?」タマミはミノリの尻をバチンとたたいた。
「はあ、すいません」
「なんかあるんなら話せよ、小久保」リョウジがわざとらしく、やわらかくミノリの肩に手をおく。
「あの……予防接種会場で人が殺されるのを見て、それで、食欲わかなくて」
「あ、それお昼のニュースで中継してました」アヤメが元気いっぱいにいった。
「中継してたの?」──ふたりの人間がこなごなの肉片にされていくさまを?
「はい。ミュートが死ぬところ、中継ドローンがバッチリとらえてました」
「あ、そう。あれを見ながら昼ごはん食べたんだ?」
「はい」悪びれることなく笑顔でこたえるアヤメ。「だってミュートですから」
「そうだけど。ただ、ひとりは人間で、ミュートにしたって四歳児だった。よく平気だよな?」
「あ……」怒気をふくんだようなミノリの言葉にのどをつまらせるアヤメ。
「小久保くん」タマミの口調はきびしく、そしてメガネの奥の目もけわしかった。
「はい」
「今のは聞かなかったことにしておきます。いいわね?」
「──はい。すいません」
「おい、みんな、そろそろ退社した方がいいよ。じゃ、お先に」あきらかにタマミよりも年配の男性工員、板垣ヨウスケが室外にでていった。
「はい! 解散!」両手をパンパンとたたきながらタマミがいった。
『ミノ、先ほどは申し訳ありませんでした』結局、ポトコン参加を断って帰宅する道すがら、リョウジとの会話に口をはさんだことをアズがあやまってきた。
「いいよ、別に」朝食に焼き魚を三本食べたきりであったため、小腹のすいてきたミノリは屋台風自販機にサードアイをかざして三角おむすびを買い、かじりながら夕暮れの街をてくてくと歩いていた。
『しかし、稲地アヤメへのあの発言はよくありませんでしたね』
「そうだね。ボクにもおごりみたいなものがあるんだな。彼女が後輩だからいいやすかったんだろうね」悲しげに首をふるミノリ。
『明日以降、工場の方々のミノへの対応が変わるかもしれません』
「覚悟しておくよ」確かにそうなのである。本来であるならば在宅ワークでもこなせるミノリのしている仕事でも、わざわざ職場に通わせる理由はひとつ、互いが互いを監視するためである。少しでもミュート側に加担、もしくは擁護するような兆候が見られる者を目視した場合、六十分以内に連合警察へ通報しなくてはならない。それが法律であり、社則でもあった。これをおこたったとみなされた者までが逮捕、勾留、罰金を科せられる。さまざまな諸条件においては比較的ゆるやかな民主主義社会だともいえるわけだが、ことミュートに関しては容赦のない戦時下体制がとられている。連合政府や警察が、これまでどれだけ彼らミュートに煮え湯を飲まされてきたのかの証しといえるのかもしれない。
『私はいいましたよね、ミノ』
「なに?」
『慎重にと』
「ボクもいったよな、アズ」
『なにをです?』
「今日、雨はふらないってさ……」
何万本とある天柱、そしてはるか遠くにならんでつっ立っている高層ビル群が、かたむきはじめた夕日に照らされて、強化ガラスの天蓋ごしに輝いていた。コロニー外部の渓流で見る朝日も悪くないが、ここで見る夕日もこれはこれで美しいとミノリはあらためて思った。明日もまたこの夕景が見られるのであれば、それはそれでしあわせでなことであると。
(つづく)
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