第一章 ミノとアズ 2
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室外にでたミノリはドア脇のセンサーに額をむけた。サードアイの信号を読みとると自動的にドアがロックされるのだ。つまり、この部屋に唯一登録されている彼の退出を感知すると錠がかかるようになっているのである。彼以外の人間がこの錠を破ることは絶対にできないといわれている。すべてのマンション、アパート、一軒家もこのシステムに守られている。爆弾でドアを吹きとばすような荒っぽいまねはさておいて、一般州民による空き巣や強盗などの犯罪は不可能となったのである。瞬間移動能力をあやつるミュートと、緊急時の連合警察官およびロボット警官は別であるが。ミノリはふと思った。これほど警戒を厳重にしていても一部のミュートならば、どこへだって侵入可能だ。恐れられ、忌みきらわれても仕方がないのかもしれないと。
『どうかしましたか? ミノ』ミノリの鼓膜が振動した。
「いや、なんでもないよ、アズ」
まだ資本主義社会が復活する以前、食料も衣服も配給制だったころに防菌、防放射線機能が最優先で建造された無機質で、味気のない白色の五番街公営団地の四階から階段をおりていく。エレベーターが故障中で使用できないからだ。修理は順番待ちで来週末になるらしい。上層階ほど家賃が高額だったはずだが、最上階、十五階の住人は大変だろうな? ミノリはふふっと笑みをこぼした。
全部で一五〇万棟ある集合団地エリアの中をブラブラと歩いていく。天空の強化ガラスごしにポカポカ陽気であることが伝わってくる。ドーム型のコロニーを支えているのは区画内各所に数万本も建てられている天柱と呼ばれる柱である。この団地内の天柱は現在、補強工事中で、作業員と作業ロボットが仮囲いの中で忙しく動きまわっている。会社へむかうサラリーマンやOL、犬の散歩をしている老人、子供を州営公園で遊ばせている若い主婦たち。ときおり吹いてくるドーム内のフィルター換気をかねた人工の風にゆったりとゆられる背の高い立木たち。なんとものどかな風景である。先ほど見たA州のミュート虐殺が嘘のようだ。
「アズ、本当に雨になるのか?」
『予報ではそうなっています。ミノが三番街の工場から帰宅するころに夕立がくると』
「アズ、賭けるか? ボクの予言では雨はふらない」
『予言……ミノ、警告します。そのような言葉は室外では使用してはなりません』
「わかったよ」
『しかし、それでしたら傘は必要なかったのでしょう。そもそも賭けになりません。それに私は賭ける物品や金、名誉などを持ちあわせておりません』
「冗談だよ」クソまじめなAIに苦笑するミノル。
「よう、小久保じゃねぇか!」背後から声をかけられた。「久しぶりだな」
「やあ、サトシさん。本当、久しぶり」ふりかえったミノリは、一輪スクーターにまたがった鈴村サトシに笑顔をむけた。「元気そうですね」
「力仕事だからな、元気じゃなきゃやってらんないよ」サトシは真っ黒に日焼けした腕を威かく的にふりあげ、力こぶをつくってみせる。「小久保の仕事は、元気がなくてもできそうだけどな」
「まあ。サトシさんはこれから仕事?」
「バカいえ。ひと仕事おえて、朝飯食いにもどってきたところだ。搾乳作業、忘れちまったのか? エリートさんよ」
「そうでした。でもエリートではないですよ、単なる工場作業員だし」
「俺らからすればデスクに腰かけてコンピュター相手にしてるだけで金になる方々はみな、エリートさ。くさい家畜や土を相手にしてる俺らから見ればな」
「コロニーの人々の食をささえているんです。牛乳や野菜をつくる人だってボクはエリートだと思うけど」
「ささえてねぇよ。俺らの作物、食ってるのは一番街の金持ち連中だけだろうが。俺たちが食えるのは安い輸入品ばっかだろ?」
「でもサトシさん、ボクなんかより稼いでるでしょ? 住まいだって十二階じゃないですか」
「よくいうよ。半年で農作業から逃げたくせして」
「それは……」口ごもってしまうミノリ。
「ほらみろ。腹ん中じゃ、どうせ俺らの仕事を見くだしてやがるんだ」
「そんなことないです」
「いいよ。朝は早いし、きついし、くさいし、女にはもてないし! そりゃ逃げたくもなるわな……ところで小久保、今、誰かと話してたろ、女か? 職をかえてもう女ができたのか?」
「違います。アズ、いえ、RA2075です」
「なんだAIか、お前、連れて歩いてるのか?」
「たまたまです。今日、予防接種なので、順番待ちの退屈しのぎに」
「はーん。アズって名前つけてるんだ? 女の設定か? くだらねぇな、機械相手によ」
「そうかもしれませんね」
「くだらねぇよ! 牛や豚を相手にしてる方がなんぼかマシだ、ああ、くだらねぇ!」鈴村サトシはかたわらの自動販売機のスキャナーに額のサードアイをむけた。ミュートによる強奪犯罪の横行より連合政府紙幣は廃止となり、今や各州共通の電子マネーしか使用できない。労働対価としての報酬金額がおのおのの口座に加算れるシステムである。カネは物質ではなくなり、ネット上での数字にすぎ
なくなっていた。当然ながら脱税や裏金工作などの犯罪も基本的には不可能となったのである。サトシはいらついた。通常であれば自販機に預金残高が表示され、ドリンクのランプが点灯するはずであるのに、何度サードアイを読ませてもエラーがでた。「なんなんだよ! 故障か?」
「あの、サトシさん」
「なんだよ!」
「サードアイに、泥水がついているみたいですが」
「!」あわてて額に付着しているらしい汚れをぬぐうサトシ。「だからいやなんだよ! あんな仕事、やってらんねぇよ!」顔を真っ赤にしたサトシは、バングルフォンにタッチし一輪スクーターを起動、ウネウネとジグザグ走行をしながら去っていった。
「…………」
『ミノ』アズが鼓膜を震わせた。
「なんだ?」
『今の方、鈴村サトシは以前の職場にいた人ですよね?』
「うん。児童養護施設にいたころの先輩でもある」
『あの方の部屋のRA2075型にアクセスしましたが、あの方こそ自室のAI、ロボットアームに女性の名をつけて、さまざまな用途で使用しているようです』
「──あ、そう。でもアズ、それは個人情報だろ? ボクが知らなくてもいいことだ」
『我々はネットワーク上で情報を共有していますので。しかし、さしでたマネでした』
「うん。他人の私生活なんて知らなくていいし、興味もない」
『矛盾を感じますが』
「なにが?」
『好奇心が人間の人間たるゆえんだとプログラミングにありますし、事実、ミノは古い書物を読みふけって知識を広げ、農民の暮らしから自動車チップ開発工場へと移動した。好奇心がなければ毛バリで魚を釣ることもなかったはず』
「そういう好奇心と個人情報は別物だろ? それにボクはただ、なるべくひとりでいたかっただけだよ。酪農や稲作、畑は楽しいけど、どうしたって声をかけあったり、一緒に食べたり飲んだりの機会が多いから。その点、プログラマーは環境さえととのえばテレコミューティングだって可能だし」
『なぜ孤独を求めるのです? ミノの年齢でしたら、他者、特に女性との接触を求めることが通常だと考えますが?』
「ボクは通常じゃないだろ?」
『しかしながら、子孫を残すという人類に最も重要な責務をはたす機能はお持ちだと』
「ボクはできるだけ生きなければならない。ボクを生かすために死んだ母さんのためにもね。でも、まあ、今の状況じゃ長生きは無理だと思うんだ。母さんが亡くなってボクは悲しかった。誰かを愛して、ボクが死んで、愛したその人が悲しむことだってあるかもしれないだろ? そんなマネはしたくない。ひとりの方がいい」
『私に感情はありませんが、ミノがあの部屋からいなくなったら、私は悲しいと感じるのかもしれません』
「アズ、お前がそういってくれるだけでボクは満足だ。仕事も住む部屋もあって、服にも食べ物にもこまらない。十分だよ」
鈴村サトシのようにスクーターや車を持っていないミノリは地下鉄に乗って、公定予防接種会場である一番街クサナギ区庁舎前広場にむかっていた。今日、会場に集められる州民は約八〇〇名ほどの予定である。時間はまだあるがあまり待たされると、工場への出勤が遅くなる。退所時間が決められているので、遅くなればなるほど給金がへらされる。ミノリの職場は日給月給プラス能力給なのであるが、まだ三年目の彼に新規製品開発をまかされることはないので能力給はのぞめないのである。ミノリはカネに執着をもっていないが、給料は少ないよりも多い方がもちろんいい。
連合政府規定でサードアイは満三歳になった時点で額に埋めこまれ、バングルフォンは十歳になった時点で全州民の腕に装填されることが決まっている。両方とも一度取りつけたら二度とはずすことはできない。約半年ほどで皮膚の一部と同化、人工生体組織が骨髄にまで達するといわれている。故障のさいは連合政府が無償でパーツ交換をしてくれるが、故意に破壊した場合はRA2075型の場合と同様、巨額の罰金を徴収されることになる。そしてペアともいえる双方のもっとも大きな特徴は、永久機関であることである。人体に微弱に流れる電気信号を備蓄することで稼働するので、装着者が死なないかぎり、永遠に動きつづけるのである。そして公定ワクチン接種は、五年に一度の周期で受けることが義務づけられている。生まれ年に接種され、次は四歳、次に九歳、十四歳という具合である。十九歳のミノリは、今回が五回目の予防接種となる。同じJ州の中でも彼の居住する元和歌山エリアのクサナギ区画、そして元北海道エリアのヤタ区画、元沖縄エリアのヤサカニ区画、それぞれの区画で接種日やスケジュールがことなる。これは人口数が違うせいであり、各区画の管理に一任されているからだ。ちなみにヤタ区画、一五〇〇万。クサナギ区画、一二〇〇万。ヤサカニ区画、三〇〇万。J州総人口、約三〇〇〇万人。この数字はここ二十年ほど大きな変動もなく安定している。そして、この数字には当然、ミュートはふくまれていない。J州においては、この三ドーム区画以外
のすべての場所が立ち入り禁止区域であり、許可のないコロニードーム間の移動は禁止され、スペースシャトルなみの完全気密航空便のみが交通手段として機能している。しかしながら当然、航空券は高額で庶民には高嶺の花である。同じJ州の中でさえそんなありさまなのだ、他州への旅行が一般労働者の一生の夢でもあった。
(つづく)
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