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第一章 ミノとアズ 1

       1

 西暦二一〇二年、七月上旬、早朝。小久保(こくぼ)ミノリは国名がJ州と改称される以前、池郷川と呼ばれていた渓流でアユ釣りを楽しんでいた。朝マズメ時といわれる釣りには絶好の時間帯で釣果(ちょうか)もなかなかいい調子である。廃墟の中から見つけた古本で毛バリの作り方を学び、本日、初めて実践してみたのである。そのうちに山陰から白んだ空に太陽がのぼりはじめ、荒々しく流れる渓水にざわめく光が乱舞する。そして遠くに見えている数千万基におよぶソーラーパネル群と巨大ドーム型コロニー都市クサナギ区画(ブロック)も朝日を受けてきらめいている。彼はコロニー内では見ることのできないこの光景を見るのが好きであった。釣りあげたアユを玉網で受けとめたミノリは、左腕に埋められたブレスレット型携帯電話、バングルフォンが点滅していることに気がついた。そろそろ釣りはおえて、調理に入る時刻である。調理といってもアユをステンレス串に刺して焼くだけであるが。区画の中では素人が生魚をあつかうことが禁じられている、ここで食べていかなければならないのである。ミノリはバッグからバッテリー式オーブンレンジをだした。火をおこすのは危険だと思われるからだ。立ちのぼる煙を見られたら面倒なことになりかねない。連合警察に対しても、コロニー外に潜伏しているといわれているミュートたちに対しても。


『ミノ、おかえりなさい。また、外出禁止時間内に出歩きましたね? 今日はなにをしてきたのです?』ミノリが自室にもどるなり低音の合成音声がたずねてきた。

「ただいま、アズ。今日は釣りをしてきた」やはり廃墟でひろった古い釣り竿と肩かけのバッグを、白一色の樹脂製床におきながらこたえるミノリ。

『そうですか。釣った魚を食べたのですか?』

「もちろん。だからアズ、今朝は朝食いらないよ」

『ミノ、感心しません。無認可の魚を食べることは──』

「はいはい、外出禁止時間もふくめて法律違反だってんだろ? アズ、ボクを通報するのかい?」ミノリはせまい室内の天井に網目のように敷かれているレールに沿って縦横無尽に動きまわれるロボットアームに笑顔をむけた。

『通報はしません。私の役目はこの部屋の(あるじ)であるミノの生命を維持することにありますので。ですから無認可の魚を食したミノの体調が気になります』

「大丈夫だよ。それとも調べてみる?」

『できれば、そうさせてください』アズと呼ばれる十本指のロボットアームは、ミノリの額に埋めこまれている小型レンズ状のサードアイ、ID認証用やさまざまな機能を持つⅠCチップに腕をのばした。

「アズは心配性だな」ミノリは仕方なくアズの十本指に顔をつきだした。彼のサードアイが光り、アズは指先のセンサーでこれを読みとった。

『どうやら胃や腸、内臓疾患の兆候は見られないようです』

「だからいったろ?」

『しかし、根本的にミノの行動は容認しがたいです。防護服もなしでコロニー外にでるなど自殺行為です。そして法律違反。当局に見つかれば──』

「射殺だろ? アズ、それ今までに何回いった?」

『六十四回です』

「そんなにか。だったらわかるだろ? ボクがいうことをきかないのは」

『私はミノのために何回でも同じ言葉を繰りかえしいいます』

「お前、時々、ぶっ壊してやりたくなるな」

『そのような破壊例は世界全州で、これまでに三千八百四十一件報告されています。口うるさくて我慢できなかった、というのがおもな理由のようです。ミノも私を壊しますか?』

「やめとくよ、アズ」

『それが賢明です。RA2075型を故意に破壊した者は理由のいかんを問わず罰金、修理費、新設工事費の負担が義務づけられています』

「ボクには一生かかっても払えないな」RA2075型コンピューターは連合政府により世界各州の全世帯に一機設置されている多用途ロボットアームである。富裕層の中にはこれを家族用に自腹で追加購入し、ひとりに一機をあてがっている家庭もあるという。政府の無料支給品でなければ、一般労働者であるミノリにはとても持つことなどかなわないほど高額な機体なのだ。

『ミノ、私には理解できないのですが』

「なにが?」

『なぜ、逮捕および射殺、あるいはPEウィルス感染、被ばくの危険をおかしてまでコロニー外にでるのですか?』

「ボクにはなにもないからだよ。アズ、友達もキミしかいないしね。この街で楽しいことなんてひとつもない。廃墟の中で古い本をひろってきて読むのが唯一の楽しみなんだ。白骨死体がゴロゴロ転がってるのにはうんざりするけど」

『ごらんなさい。それはウィルスと放射能による遺体です』

「昔の話だろ? それに法にはふれるけど、実質、誰にも迷惑かけてないし、これからもかけない。問題あるか?」

『健康問題があります』

「外で線量計が仕込まれているバングルフォンが大きく反応したことはないし、ワクチン接種は万全だ。なんで今でもコロニー外が立ち入り禁止なのかが理解できない。アズ、どうしてだかわかるかい?」

『わかりません。私にわかるのはコロニー外には放射能とPEウィルスの危険があるということだけです。いくら定期的にワクチン接種を受けていても、ウィルスは変異します』

「はいはい──あ、今日、予防注射の日じゃなかったっけ?」

『はい、午前九時三十分からの予定です』

「九時半!」ミノリは素早く左腕のバングルフォンを確認する。午前八時二十分を少しまわったところであった。「アズ、工場に連絡してくれ。公定予防接種日だから出勤が遅れるって」

『すでに連絡ずみです』

「そっか。ありがと」

『ミノ、お話はいったん理解しました。ならば警戒をおこたってはなりません。監視カメラやドローン、K109型ロボット警官に発見されれば、ミノの生命活動は一瞬で停止させられてしまいます』

「わかった。心配かけるね、アズ」

『私にはミノの生命維持が最優先事項ですから』

「そうかい。アズ、作業着に着がえる、だしてくれ」

『了解』八畳ほどの室内にはりめぐらされた機器がアズの指令で音もなく作動し、ベッドと朝食用にでていたテーブルが壁面に収納され、代わりにクローゼットと全自動クリーナーがゆっくりとせりだしてくる。

「テレビニュースもたのむ」

『了解』ミノリの前に光学モニターが投影され、ニュース番組がうつる。ジーパンにヤッケといった釣り人スタイルから勤め先である工場の制服に着替えるミノリ。彼の工場はソーラー自動車で世界的シェアを誇るジパング・モービル社の下請け会社で、自動運転用制御チップの開発をしている。

「なんで、除菌クリーナーをだした?」テレビモニターに目をむけながらミノリがたずねた。

『ミノがはいて帰ってきた長靴が泥だらけです。室内に菌をもちこむことはできません』

「靴はぬいでるだろ? J州民なんだから」

『そちらの服にも泥や魚の血液が付着しています』

「あ、そ。悪かったね」ウェブニュースでは、世界各州での昨日のミュート射殺人数と一般州民による犯罪件数が流されていた。むろん世界的にみれば0件という日はないが、一般人による殺人や略奪、性犯罪、虐待などの事件は劇的に減少している。各ブロックには数千もの監視ドローンと攻撃ドローンが飛びまわり、カメラもいたる所に設置されている。そのうえK109、三本足のロボット警官がコロニー内であれば、どんな場所でも十分以内でかけつけてくるシステムが確立されているのである。そしてとにかくまじめに働いていれば最低限の暮らしは連合政府が保障してくれる。人口の大半を占める労働者層の者たちは、一生を棒にふるようなイチかバチかの凶悪犯罪など犯さなくなっていた。ところがミュートたちは違った。二十五年前、リーダーであるカエサルをうしなった彼らの統制は乱れ、暴行、略奪、破壊、テロ行為に走る者が続出しはじめた。ときには白昼堂々、ミュート同士の内紛がおきる場合もあった。十一年前にはたった五、六名の超能力者の戦闘の最中、観念動力に巻きこまれ、一般州民が百二十八名も死亡する事件が発生したこともあった。また最近では、U州の強化ガラスドームの一部が観念動力によって破壊されるという大事件までがニュースで報道されたばかりである。着がえをおえたミノリの見ている光学モニターはJ州ではなくA州のミュート狩りの光景がうつしだされていた。A州は原発こそもってはいなかったが、かつて大量のウラン輸出国であったため、多数の被ばく者がでたことで有名な州である。K109のマシンガンアームを観念動力でネジ切った(ひげ)づらのミュートを中心としたテロリストの一団が、攻撃ドローンにより次々と撃ち殺されてゆく。鮮血がとび散る凄惨なシーンにもかかわらず男性コメンテーターはロボット警官とドローンの連携をほめたたえていた。もちろん彼はネットニュースに生出演してはいない。そんな真似をすればいつかの連合警察技官のように頭をわられるかもしれないからである。

「なあ、アズ……」

『なんでしょう?』

「どうなんだろうな。なんでミュートが殺されるところなんかテレビで流すのかな?」

『今の連中は連合政府の転覆をはかろうとするテロリストでした。そしてなにより、彼らには人権がないからです』

「飼育されている牛や豚を肉にするシーンはうつさないよ」

『そのシーンには需要がありません』

「ミュートの虐殺には需要があるってこと?」

『虐殺ではありません、お間違えのないように。あれは殺処分です』

「はいはい、で? 殺処分を見たい人がいるわけ?」

『世界州民の約八割がミュートを恐れ、()みきらうという統計がでています。これは長年にわたり初等、中等、高等教育において反ミュート教育が一貫してなされてきた成果といえます。そして神のごとく君臨していたカエサルの処刑後、彼らが一般州民を傷つけすぎた結果ともいえます』

「約八割か、なるほどね。出生率だけでいえば世界州民の一割がミュートだからな。全部が全部、反ミュートでもないってわけだ。ボクみたいのもほかにいるってことなんだな」

『ミノ、警告します。そんな話は室内からでたら絶対にしてはなりません』

「わかってるよ。こんなことを話せるのはアズだけだ」

『光栄です。そろそろ予防接種にでられた方がいいのでは?』

「そうだな。今日はアズもきてくれ、注射の列にならぶ間、はなし相手がほしい」

『了解しました』アズはアームの指先の一本から端子をのばし、ミノリのバングルフォンに接続、アズのメモリーがバングルフォンに転送された。このデータがミノリのサードアイとリンクして彼の鼓膜を振動させ、会話を楽しむことができるようになる。なにかにつけて口うるさいので普段、工場へ連れていくことはないのだが。

「アズ、おわったか?」

『はい、完了しました』ミノリの耳の中だけにアズの言葉が響いた。

「じゃ、でかけよう」

『お待ちください』

「なんだよ?」

『午後からは天気がくずれる予報になっております。傘をお持ちください』

「ドームの中でなんで雨をふらすかね?」

『予報がはずれる確率も高いのですが、仕方がありません。外部の天気予報とのシンクロが重要なのです。台風などの災害は別ですが、雨がふらなければコロニー内の野菜も草花も育ちません』

「知ってるよ。それにJ州は昔から四季の移りかわりを大事にしてるからね」ミノリが右の手を開くと、オープンラックにあった小型の折りたたみ傘がスゥと飛んできて、彼の手のひらにおさまった。

『ミノ、警告します。そのようなまねは室内からでたら絶対に──』

「しないよ、アズ」ミノリは、心配性のAIにむけて苦笑いをうかべて見せた。

『慎重に願います』


                         (つづく)


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