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第一章 ミノとアズ 12

       12

「いやあ、出勤がこんなに大変だとは知りませんでした」共同葬儀の翌日、工場に遅刻してきたリョウジが頭をさげさげ、調整部へと入ってきた。アヤメの死のショックでずっと家に引きこもっていたため、検問や尋問がどれほどのものなのかを理解していなかったのだ。昨日の葬儀は彼の住んでいる公営団地内での外出にすぎなかったし、参列者以外の人間の大半はあの時間帯、自宅で中継を見ていたので、検問を受ける人数が極端に少なかったのである。

「だから早めに家をでなさいっていったでしょ?」タマミは彼をねめつけるが、すぐに笑顔を見せた。実はこないかもしれないと心配していたのだ。

「すいません」すごすごと自分のデスクにむかうリョウジはヨウスケに声をかけた。「板垣さん、今度、俺にも将棋、教えてくださいよ」

「遅刻のうえに、バカな話してると給料半額以下になるぞ。さっさと仕事にかかんなよ」

「半額……」あわてふためき光学モニターを立ちあげるリョウジ。

「ありえますよ、小堺さん」ミノリも追随する。板垣さん、金にうるさいだけの人だとばかり思っていたけど、ちゃんと仲間のことを考えてくれてるんだな。先日同じことをいわれたミノリはなんだか嬉しかった。

 午後四時になった。同じ公営団地の住人ではあるが、工場からの距離が一番遠く、検問所の数がひとつ多いミノリが重い腰をあげた。どれほど集中しても、本日もノルマ達成にはいたらなかった。この日の給金は二割減といったところだろう。だからといって無理をして、外出許可時間内に家にたどり着けなければ即、射殺である。

「じゃ、みなさん、お先に失礼します」モニターを落としたミノリがいうと、いつも最後までねばるヨウスケが珍しく一緒に帰ろうといってきた。もちろん断る理由もないので、ふたりはともに帰宅することになった。

「毎日思うんだが、日の高いうちに仕事をおえるってのは気が引けるものだな」はるか遠くに見えている一番街ビル群をながめながらヨウスケがいった。

「そうですね。在宅ワークができればいいのに」

「そりゃ賃あげ交渉よりむずかしいな。仕事がてら互いが互いを監視せにゃならんのだから。ミュートが入りこんでいないかってね」

「はい、そうですね」もちろん機密漏洩をふせぐというのがたてまえであるが。

「夜が長くてかなわん」

「あ、じゃあ、小堺さんと将棋をさされては?」

「バカいうな。ありゃ、おまえ、相手が稲地くんだったからよかったんだ」

「はぁ?」

「あの子がモニターごしに、わあ、きゃあいいながら、その手待った!とか。それに勝ったときの得意そうな顔。あの顔、見せてやりたかったよ」

「…………」

「小堺くんのそんな顔、小久保くん、見たいか?」

「いえ、まあ……」見たくはない。

「お、そろそろ五回目の検問所だな。面倒だねぇ」ヨウスケが吐息をつく。ここでも、銃をかまえ、ずらりとならんだK109がバリケードをつくり、列をなす人々ひとりひとりのサードアイを確認している。

「でも、このところ検問スピード、アップしましたよね? ロボット警官も作業になれたってことですかね?」ミノリが聞くとヨウスケは笑った。

「なれるって、相手は人間じゃないんだからなれたりはしないね。初めから同じ作業を繰りかえしているだけだ。ならされたんだよ、人間側が」

「そうかも。なんかいやですね」

「J州民は昔から空気読みすぎるし、同調圧力に弱いからな。自分がごねて他人にまで迷惑がかかるのはごめんこうむりたいってね。まあ、尋問で射殺される人数もだいぶへったらしいから──」パパン!と銃声がとどろき、まだ若い女性が血を流しながらK109の足もとに倒れふした。列にならびかけていたヨウスケは、あっと声をあげた。「ミュートか?」

「違うと思います」つぶやいたミノリは、驚きはしても、たいして感情が動かない自分に恐怖した。確かにならされているらしい。

「なぜミュートじゃないと思うんだい?」

「は? なんとなくです。あっ!」

「なんだ?」列から飛びだして、撃ち殺された若い女に取りすがる白髪の老女がいた。すでに検問を通過していた彼女はすぐにロボット警官により、死体から引きはなされたが、手足をばたつかせ抵抗したのち、やはり射殺されてしまった。

「あの人……」目を見開くミノリ。

「知りあいか?」

「いえ。ただ予防接種のときのミュートさわぎで気分が悪くなったボクに声をかけてくれたおばあさんです」

「そうか。まあ、知らん顔しとけ。いいな、小久保くん」

「…………」

『列を乱してはいけません。ひとりずつ順番にサードアイをかざしお通りください。ランダム尋問があった場合はすみやかに応じるようお願いいたします』何事もなかったようなロボット警官の合成音声が響いた。人々は引きずられていくふたりの女性に手をあわせつつ、黙って従うしかなかった。

 十五分ほど列にならび、検問所をあとにしたミノリたちは、言葉少くなに五番街公営団地へとむかって歩く。このとき、区内全域でサイレンが鳴りわたった。ちょうど午後五時、外出禁止時刻まで、一時間の合図だ。それを聞きながら団地内に入りふたたび検問。これも無事、通過した。ミノリはもうあと二回、検問所を通らなければならないが、ヨウスケの方はもう帰宅するだけである。

「小久保くん、ちょっとウチによらないか?」

「は?」

「ここじゃちょっとできないが、きみに確認したいことがある」

「でも、もう五時ニ十分ですよ! 外出禁止時間に間にあわなくなります」

「だったら泊まっていけ」

「しかし」

「安心しろ。徹夜で将棋の相手はさせないから」

「はあ……」

「同じ調整部のチームメンバーだろ? それともなにかい? 俺が山中リーダーよりも年よりなのに平工員だからってばかにしてるのか? さげすんでいるのか?」

「そんなことありません!」

 結局、ミノリはヨウスケの部屋へいくことになった。



「あら、珍しい。あなたにお客さんだなんて」靴をぬいだミノリが室内に足をふみ入れるなり、ヨウスケの妻、ワカコが嬉しそうに立ちあがった。

「こんにちは。小久保ミノリといいます」現在、公営団地の大半をしめているのがヨウスケの所のようなファミリータイプの部屋である。ワンルームであるのはミノリの住むシングルタイプと変らないのだが、広さが三・五倍はある。トイレ以外、シャワールームにも間仕切りがないのは、天井に吊られたRA2075の動きに支障があるからだ。一番街、二番街の住居では、家族間におけるプライベート空間を確保できないという問題はすでに解決ずみで、ロボットアームは間仕切り上部の天井裏をわたるか、天井に接する壁の一部が自動開閉するなどのシステムが導入されている。

「こんにちは」ワカコのかげにかくれるようにして、遠慮がちにミノリにあいさつをしてきたふたりの子ども、男の子と女の子がいた。バングルフォンを腕に着けていないので、まだ満十歳にはいたっていないのだろう。

「こんにちは。板垣さん、もしかして双子のお子さんですか?」子どもらに頭をさげたミノリは、ヨウスケに目をやる。

「ああ、ユウスケにケイだ。ふたりとも、このお兄ちゃんに握手してもらえ」

「は?」

「いいから小久保くん、握手してやれ」

「はあ」ためらいながらミノリが右手をさしだすと、ユウスケとケイも照れたようにその手を握った。「よろしくね。ユウスケくん、ケイちゃん」

「よろしくお願いします!」ふたりは息もぴったりで、目を輝かせながら同時に声をはった。

「かわいい!」思わずミノリは思いを口にだしてしまう。ニコニコとしているワカコ。

「よし、あいさつはすんだ。母さん、俺、今日はあっちに泊まるから」

「え? また()ですか? せっかくお客様が見えたんだから、一緒にお食事でも」

「だからって、このせまい部屋には泊められないだろ。じきに外出禁止時間だぞ」

「ああ、まあ」

「メシはあっちで食べるから心配するな。あ、これ」カバンから空の弁当箱をだしてワカコにわたすヨウスケ。「今日もうまかったよ、母さん。さあ、いくぞ、小久保くん」

「いくってどこにですか?」

「いいから、ついてこい」

 部屋をでたヨウスケはバングルフォンで時刻を確認し、いきなり走りだす。

「なんなんですか!?」あわててあとを追うミノリ。

「急げ、小久保くん! あまり時間がない」

 林立する集合住宅をいくつもすぎて、ようやくたどり着いたのは彼らなどよりもさらに低所得者、いわゆる貧困者むけの賃貸公営団地区画であった。エレベーターなど当然設置されていない。息せききって階段をかけのぼるヨウスケ、そしてミノリ。ここでまたサイレンが聞こえてくる、あと五分で外出禁止時間である。

「着いた、ここだ」ゼイゼイと肩で息をしながら、ヨウスケは四〇六号室のセンサーにサードアイをかざす。するとうかびあがった光学モニターが赤から緑に変り、ドアが開錠された。「まあ、入れ。ギリギリだったな、検問所があったらアウトだった」

「本当ですよ」ミノリもサードアイをかざす。ヨウスケの自宅でもそうであったが、どこの家に入るにもID認証が必要なのだ。これはIDを剥奪されたミュートが他者の住宅へ入りこまないようにするための防護策である。むろん瞬間移動能力をもつミュートには効力を発揮することはないが、それでもないよりはましである。「板垣さん、ここは?」

「俺のセカンドハウスだ。母さんや子どもらは城と呼んでるがね」

「城?」城と呼ぶにはあまりにも窮屈(きゅうくつ)な空間であった。広さはミノリの住むワンルームの半分以下であろう。しかも、ごちゃごちゃとした配線や配管が室内中を埋めつくしている。そして目につくのは今では見かけることがまずない液晶やブラウン管のディスプレイである。どうやら愛人宅ではなさそうだ。

「そこらの部品をどけてすわってくれ。ただいま、ハナコ。コーヒーをたのむ」

『おかえりなさい。すぐに用意いたします』ハナコと呼ばれた女性の声のRA2075がインスタントコーヒーをいれはじめた。ミノリはごちゃごちゃしたメモ用紙やジャンク品にしか見えないルーターやチューナー、外づけドライブ、大昔の将棋盤などを脇によせて膝をかかえるようにして腰をおろす。今日、ここに泊まるのボク?と思いながら。

「そう陰気な顔をするなよ。住めば都だ」

「住んでるんですか?」

「週の半分くらいはこっちかな。自分の時間がどうしてもほしくてね。もちろん土日は家族サービス、いや死語か、母さんや子どもらとすごしているよ」

「板垣さん、お金持ちなんですね。二軒も部屋をかりられるなんて」

「小久保くん、俺はキミの倍は仕事をこなしているよ。それに小堺くんの場合は三倍以上だね」

「そうなんですか!」職場は同じでも、光学モニター上での他者の仕事の進行具合は把握できない。とくにヨウスケは工場では無駄口を一切たたかないのでわかりようもなかった。

「俺が給金にこだわる理由がわかったかい? あ、山中リーダーたちにはいうなよ」

「はい」家族四人が食べていくだけではない、こんな趣味部屋まで持っているのでは金がかかって仕方がないだろう。それに今の話、小堺リョウジには絶対にいえない。

「なにせここは工場に無許可でかりてるから」

「そんなことできるんですか?」サードアイの基本情報はすべて工場のサーバーに登録されるはずである。

「うん、まあ、いろいろとな。その話はあとにしよう。稲地くんだけは、ここを知っていたんだけどね。もちろんモニターごしにだよ」

「そうですか……」

『コーヒーをお持ちしました。夕食はどうされますか?』ハナコがプラスチックコップをふたりにわたしながらたずねた。

「小久保くん、カップめんとキューブライスでいいか?」

「はあ、なんでも」

「ここ貧困者用の部屋だろ? 家賃が安いぶん、RA2075の機能も安いんだよ。ハナコは学習能力が低くてね、掃除、洗濯はできるが料理ができない」

「へえ、RAってみんな同じだと思ってました!」驚くミノリ。そんな話はアズからも聞いたことがない。

「一番街のRAは寿司まで握るそうだぜ」

「本当ですか!?」

「アームの関節の数や素材に違いがあるんだよ。RA格差だな、これは」

「知らなかった……」読書だけではわからない現実があることをミノリは思い知った気がした。

「そんなわけでハナコ、カップめん──いや、たまにはピザでも取るか?」

「いいですよ、カップめんで。ピザ、高いし」

「まあ、いいやな。たまには贅沢もしないとな。メニューDのピザ、Mサイズを四枚、ドローン配送にたのめハナコ」

『了解しました』

「三十分以内にとどかなきゃ金は払わないとちゃんと伝えろよ」

『了解しました』

「なんか、すいません」メニューDとはいえピザはピザ、ミノリも久しく食べていない。メニューAともなれば見たこともない贅沢品である。

「俺が誘ったんだから、しょうがないだろ」

「あの、板垣さん、ちょっと聞いていいですか?」

「なんだろう?」

「どうして今日、ボクをここに呼んだんですか?」

「うん、そうだな、確認しておきたかったんだ。キミはあれだろ?」

「あれ?」

「──エムだろ?」ヨウスケの唇の端が心もちもちあがり、目には好色な光が宿った、ような気がした。

「はぁあ!?」ガシャガシャとジャンク機材をかき分けながらあとずさるミノリ。

「外出禁止時間だものなぁ、もうどこにも逃げられないね、小久保くん」

「…………」

「ジョークだよ」ニコリともせずにいいはなつヨウスケ。

「へ?」声が裏がえってしまうミノリ。

「驚いた?」

「驚きましたよ!」恐怖でミノリは泣きそうであった。この人の感情だけは本当に読めない、感じない。彼は焦りを感じた、こんな人間もいるのだと初めて知ったのである。

「ピザがくるまで将棋でもしようか? できる? 将棋」

「ああ、はあ、ルールくらいなら」

「じゃ、一局」いいながら先ほどミノリがどけた将棋盤をドスンとおいて、箱からザラザラと駒を落とすヨウスケ。「さ、ならべて、ならべて」

「はあ」結局、将棋の相手をさせられるはめになったミノリが盤上に駒をおいているとアズが話しかけてきた。

『ミノ、飛車と角の位置が逆です』

「あ、本当だ」ヨウスケの駒の配置と見くらべてみると確かに間違っている。

「うん? 小久保くん、RAを連れてきているのか?」

「はい。ボクのはアズといいます」

「アズか。音声、俺にも聞こえるようにしてくれ」

「はあ。でもなんでです?」いいながらバングルフォンを操作するミノリ。

「キミがズルしてアズに指し手を教わっていても、俺にはわからないだろ?」

「なるほど、いわれてみれば。アズ、板垣さんにあいさつしろよ」

『板垣ヨウスケさん、私はRA2075です。ミノからはアズと呼ばれています。職場ではミノがいつもお世話になっております。ミノともども今後ともよろしくお願いいたします』アズの低い音声がバングルフォンのスピーカーから流れてくる。

「はは、よくできたRAだな。持ち主に似たのかな」

『そのような現象はおこりえません』

「ジョークだよ。ところで小久保くん、キミはRAに呼びすてにされているのか?」

「させてるんです。ミノリさんよりミノの方がやり取りが早くすみますから」

「合理的だな。しかしミノってのは滅んだK州の食材の名前だな。牛の胃じゃないか」

「普段、アズとの会話はほかの人に聞かせないからいいんです」聞いているとすれば、ヒュペルコンピューター『アガサ』くらいであろう。

「まあいい。アズ、ご主人様が妙な手を指したら口だししていいぞ」笑いながらヨウスケがいった。

『了解しました。板垣ヨウスケさん』

 序盤は互いに歩駒を進めるなり、玉将をかこい陣形を整えるなりの静かな立ちあがりであったが、じょじょにアズのアドバイスがふえはじめ、ミノリはただ駒を動かすだけの人になりさがりかけていた。ところがそこへ宅配ドローンのピザがとどき、一時休戦となった。

「戒厳令下でも三十分以内にとどきましたか、つまらんな。ハナコ、コーヒーおかわりたのむ。小久保くん、さあ食べよう」ヨウスケは液晶ディスプレイにうつるピザ屋の受け取り画面にサードアイをあてた。これで支払い完了である。

「はい、いただきます」プラスチック容器を開けると、まだ熱々のピザが。久々の贅沢品に緊張気味のミノリ。アズの料理はどれもみなうまいのであるが、栄養バランス重視の品が多く、たまにはこうしたジャンクな食べ物も恋しくなるのだ。

「たまに食べるとうまいなあ。メニューDだから具は少ないけど」ゴムのように伸びるチーズを舌先ですくいあげながらヨウスケが笑う。「たまにだからいいんだろうけどな」

「はい、本当にうまいです。でもなんで四枚、取ったんですか? ご家族へのおみやげですか?」

「あとでもうひとり客がな」

「はあ? でも外出禁止時間ですよ。あ、となりの部屋の人ですか?」そのていどであれば監視ドローンに引っかからないのかもしれない。

「まあ、そんなもんだ」

「どんな人なんです?」

「意外と聞きたがりだな?」

「すいません。ちょっと気になることがあって」

「なんだ?」

「将棋盤、駒も木製ですよね? 超高級品じゃないですか。それにメモ用紙や液晶モニター。この部屋は博物館級の骨董品だらけだ」

「なにがいいたい?」それまでほとんど感情を読ませなかったヨウスケの中に警戒の色を見た。だからミノリはわざと無邪気さをよそおう声でこたえる。

「闇で手に入るんですか? 実はボクも古い物が好きなんです、紙の本とか。それで、そのあとからくる人が業者なのかなって思いまして。外出禁止時間にくるくらいなんだし」

『ミノ、そのくらいにしておきましょう』アズがミノリをとめた。確かにそうだ。外出禁止時間に人がくる、『アガサ』に聞かれていたら、あらぬ疑いをかけられかねない。

「将棋に関してもだが、アズは本当に優秀だな。ウチのタロウより高性能なんじゃないか?」ヨウスケがうらやむようにいう。

「タロウ?」

「あっちの家のRAだよ」

『労働層州民が使用するRA2075に差異はありません』

「ふーん、そうかね?」

 二枚のピザを残し、食べおえたヨウスケは将棋を再開するものだと思っていたが、サビのでている事務机の前にすわり、これもミノリが初めて見るノート型パソコンという物と脇におかれたさまざまな機器を起動し、なにやら操作をはじめた。

「板垣さん、なにしてるんです?」

「ちょっと待っててくれ、調整がむずかしいんだ」モニターから目をはなさず、指先を動かしつづけるヨウスケ。ミノリは首をひねる。この人はなにをはじめるつもりなのだ?と思いながら。「よーし、どうだ? ハナコ、こっちにこい」ヨウスケがハナコに話しかけるが、一・五メートルほどはなれた場所に吊られているハナコは反応しない。「よしと。小久保くん、アズを呼んでみな」

「はい……アズ、板垣さんが呼んでるぞ。アズ? おいアズ! アズ!」こたえないアズに驚き、バングルフォンにむかい声をはるミノリ。

「大丈夫だよ、壊れたわけじゃない」笑顔のヨウスケ。

「だけど!」

「コンピューター、あらゆる電子機器の聴音機能を一時的に混乱させる音波を流した」

「はい?」

「これでしばらくは世界最大のヒュペルコンピュータ『アガサ』様の盗聴を怖がらずに話ができる」

「そんなマネできるんですか?」

「現にアズが返事しないだろ? 俺が何年コンピューターを相手にしてきていると思ってるんだ? 『アガサ』の開発にだってたずさわっているんだぞ」

「本当ですか!」

「下請けの下請けでだがな」

「はあ。アズ、壊れたりしませんよね?」

「問題ない。それにニ十分が限度だ。世界中にはりめぐらされたネットワーク機器に支障がおきるのは珍しいことではないが、あまり長く不具合がつづくと目をつけられるかもしれないからな」

「すごいですね! 政府のコンピューターをだませるなんて!」

「テロの多い州じゃやっているヤツがいくらでもいるさ、J州がおとなしすぎるんだ。そんなことより大事な話がある」

「はい」

「小久保くんはエムか?」

「はぁ!?」

「いや、すまん。ミュートか?」

「え?」すぅっと血の気が引くのを感じるミノリ。

「前から疑っていたんだ。予防接種の件じゃミュートをかばったりしてな」

「あ、あれは、単にボクが血を見るの、怖いだけです」

「あの件じゃ稲地くんについ説教してしまったよ。将棋を指しながらね」

「え?」──それでか、アヤメさん。

「彼女、キミが好きだったみたいだよ。だから、すぐに自分が悪かったっていってた」

「…………」

「ああ、それからキミは仕事ができすぎる。それも気になっていたんだ。勘がいいといえばいいのかな? 小堺くんの能力が低いわけじゃない、キミが異常なんだ」

「それなんですけど、ボクらの仕事ぶりなんて板垣さんにわかるんですか?」

「『アガサ』にくらべたら工場のコンピューターをハッキングするなんて簡単だ。だからこのセカンドハウスの存在も消去できたし、小久保くん、キミの本日の給料明細、そこのブラウン管にだしてみせようか?」

「…………」

「先日の葬儀のときな、キミは稲地くんを助けられなかった、そういったな?」

「それがなんです? その通りじゃないですか」

「違うな、普通の人間が爆発に巻きこまれた彼女を助けられるはずがない。小堺くんは彼女のお父さんに守れなかったといってたよ。この違いは普通の人間と異常な人間の違いなんじゃないか? 稲地くんを助けようと思えば、助けられる可能性があったのにそれをしなかった。だから後悔しているんじゃないのか? 小久保くん」

「…………」

「さっきも検問所で撃たれた女がミュートじゃないとすぐに見ぬいたね? どうしてだろう?」

「…………」

「無回答だと、認めたと取られても仕方がないと思うがな」

「つ──」ミノリがなにかいいかけたとき、ビュッ!と風を切るような音がして、一七〇センチはありそうな男の子、いや極端なショートカットゆえに少年に見えるが、顔だちからすると少女が、ふたりの間に立っていた。頭からすっぽりとかぶるタイプのマントというか、生地の粗いカーキ色のポンチョをはためかせつつ。

「え!」目をみはるミノリは大きくのけぞってしまう。

「ショウ、今日は遅かったじゃないか。ピザが冷えるぞ」ヨウスケの対応には戸惑いも淀みもない。

「ミュート……」ショウと呼ばれた少女とヨウスケを交互に見ながらつぶやくミノリ。

「誰? こいつ」手にしていた古めのボストンバッグをポンチョの中からドスンと落として身がまえるショウ。

「ショウ、大丈夫だ。前に俺が話した小久保ミノリくんだ」

「小久保? あ!」突然、ショウはミノリを指さした。「こいつか!」そして彼の胸ぐらをつかんだ。

「へ?」そのままゆさぶられ、なすがままのミノリ。

「あんた、予防接種の会場で仲間の男の子を見殺しにした野郎だな!」

「は?」そういえば、あのときミノリは誰かに見られていたような気がした。

「この人でなし!」

「ショウ、待て!」わって入ろうとしたヨウスケが手をふれられることなく、いきなり吹きとんだ! 瞬間移動能力にくわえ、彼女は観念動力まで使うらしい。

「ごめん、ヨウスケさん。大丈夫?」ショウは自分の頭をげんこつでポカポカとなぐりながらヨウスケに頭をさげた。

「大丈夫じゃないよ!」ヨウスケは、音声を聴きとれないながらも飛んでくる主人を受けとめたハナコのアームに抱きかかえられていた。「ったく!」

「だから、ごめんって!」目の前でパチンと音をたてて手をあわせるショウ。

「板垣さん、この人は……」なにがなんだかさっぱりのミノリがたずねる。

「あんたと同じエム、ミュートだよ」ヨウスケのかわりにショウがこたえた。

「え? あ、ボクは、その、違う。ミュートじゃない」

「なにとぼけてんの? 私にはわかる、感じるもの。あんたも感じるでしょ? 私がエムだっての」

「エム……なんか別の意味にもとれるぞ」冗談でちゃかして、ごまかしたかった。ミノリはこの場をやりすごしたかった。

「バカか! くだらないこといってんな!」ショウが射るような目でにらむと、休戦中であった将棋盤上の駒が弾丸のようにミノリへと襲いかかった!

「うわ!」叫んだミノリは思わず、空中でその駒の動きを停止させ、そして床へとたたき落とした。舌うちするミノリ。ついにミュートであることを認めてしまったのだ。

「やるじゃん! こんなに力があるのに、あんた! やっぱり卑怯者だ!」

「卑怯者……」ミノリの瞳がふるえた。一瞬、稲地アヤメが心をよぎる。

「なんだ? その女……アヤメ?」

「あ!? 人の頭をのぞくな!」

「あんたが無防備すぎるんだよ。ヨウスケさんですら心を読ませない(すべ)くらい心得てるのに」

「ヨウスケさんが?」ミノリはヨウスケを見る。彼は薄く笑みをうかべながら、やれやれといったように両手を左右に広げた。「じゃ、ヨウスケさんもミュートなんですか?」

「まさか。昔、命を救ってくれたミュートから教えたもらったんだよ。精神攻撃を受けにくい、心に壁を築く方法をね」

「え? そんなことができるんですか? 今度ぜひ教えてください」

「おい!」ショウがミノリの肩口をバシンとたたいた。

「痛っ!」

「どうも調子くるうヤツだな! こっちの話が先だろ!」

「キミとはもう話したくない。ボクはミュートで、卑怯者だ。これでいいだろ?」

「小久保くん、女性の言葉は聞いておくもんだ。マナーだよ、マナー。もてないぞ」工場では必要最低限の会話しかしないヨウスケがしたり顔でいった。

「はあ……」当然、納得できないミノリ。

「ショウ、小久保くんは卑怯者ではないと俺は思うけどな。だからキミに紹介しようと思ったんだし」

「卑怯だよ! 私はあのとき、コロニーの外から予防接種を受けにいくこいつを見てた。ヨウスケさんが話してくれた男がどれほどの者か見きわめたくてね。それがどうだい? こいつなんにもしなかった! 動いた結果がだめだったんなら私だってなにもいわないよ! だけどこいつ、なんにもしなかった!」ここでショウはまたミノリを見すえた。「あんた、最低だよ」

「お前だって……」しぼりだすような声でミノリがいう。

「なんだよ?」

「お前だって見ていたんならあの親子、助けられたんじゃないのか?」

「こいつ! コロニーの外にいたといったろ!」

「距離なんてボクたちには関係ない! お前だってミュートだろうが!」

「エムは万能じゃない! 千里眼使いながら瞬間移動、そのうえ、あれだけの数のロボット相手に観念動力? あんた、できんのか? やれるもんならやってみせろ! 私だって助けたかったよ!」 

「く──」確かに超能力者は万能ではない。そうとうの手だれでもなければ、ひとつの力を使うだけでも神経や体力がいちじるしく削られる。

「それに私、あんたが助けてくれると、どっかで信じてたからね。これはヨウスケさんのせいだからな!」ここでため息をつくショウ。「ま、期待した私がバカだった」

「…………」歯ぎしりしながらこぶしをかたく握りしめるミノリ。腹が立っていたが、それはショウに対してだけのものではない気がした。なにに対する怒りなのかがわからず、彼は心が爆発しそうであった。

「お? やる気かい? きなよ卑怯者」ミノリから、なにかしらの大きな感情のうねりを見てとったショウは、一瞬、ひるみながらも人さし指と中指を立て、ひょいひょいと内側へ折ってみせる。

「いったんわかったショウ、やめろ! 戒厳令下だぞ! さわぎをおこしたら全員、射殺されてしまうぞ!」ヨウスケが叫んだ。ふりあげかけた(ほこ)(さや)におさめるしかないミノリとショウ。

「ショウさん、ひとつ聞いていいか?」憮然(ぶぜん)としながらミノリがいった。

「なによ?」

「夏祭りでテロをおこしたのは、なぜだ? お前らこそ何人、殺したんだ!」

「あれは……少なくとも私らじゃない」

「じゃ、誰なんだ?」アヤメさんを殺したのは!

「今、調査してる。J州の立入禁止地区には私らのほかにもエムの街や集落がいくつかあるから」

「わかったら教えてくれ」

「教えたらどうするつもりなのよ? 小久保ミノリさん」

「わからない」

「おい、そろそろニ十分になる。ショウ、ピザとこれ持って帰れ!」ヨウスケが大ぶりのビニール袋を手に、ふたりへとかけよる。「子ども用の着がえ、それに粉ミルクと胃腸薬だ」ショウは袋を受けとり、ピザの入ったプラスチック容器二枚を水平に持って、先ほど床に落としたボストンバッグを足でしめした。

「交換成立な、ヨウスケさん」

「ああ。うまいぞ、ピザ」

「そりゃ楽しみだ。小久保ミノリさん、あんたとの決着はまたいつかな」ミノリをにらむショウ。

「できれば二度と会いたくないけどね」

「ならテロの犯人、わかっても教えない!」

「本当はお前らなんだろ!?」

「違うっつってんだろが!」

「たのむよ。いいから消えろ、ショウ」ヨウスケは頭をかかえながらショウの肩をつかむ。

「はいはい。じゃ、ヨウスケさん、またさ来週ね」

「あ……」と、ミノリがいう間もなくショウの姿が消えた。現れたときと同じくポンチョをひるがえし、風切り音を残して。

「やれやれ、会わせるのは少し早かったみたいだな」こまりはてたような顔をして事務机にむかうヨウスケ。「にしても小久保くん、案外、年相応なんだな。あんなに感情をむきだしにするキミを初めて見たよ」

「はあ。なんなんです? あの子。よりにもよってミュート! あり得ない!」

「少なくとも、あの子やあの子の仲間が稲地くんたちを殺したわけじゃない。それだけは確かだ」

「どうしてわかるんです?」

「彼女の持ってきたバッグ、開けてみな。爆弾なんか入ってないから」

「はい」ミノリはバッグのファスナーを開いてみる。中には大昔のパソコンの基盤らしきジャンクパーツや新品の紙製ノートに古書が数冊、木製の(はし)や鉛筆、仏像や能面が入っていた。「どうだ? 貴重品ばかりだろ?」

「ええ」闇の古物商に売ればかなり高額になるものばかりである。ヨウスケは、これらの一部を売りさばいて二件分の家賃と生活費にあてているのかもしれない。ミノリはとくにノートと鉛筆、古書に目を奪われてしまう。

「ショウがここに出入りするようになってから三年になる。将棋盤は彼女のみやげだ」

「はあ」

「骨董品のかわりにあの子がほしがるのはいつも老人や妊婦、子供の生活用品や医薬品ばかりでね。彼女の仲間たちはコロニーの外で小さな街をつくり、農業や漁業をしながら静かに暮らしていると聞いた。テロなんか考える連中じゃないと俺は見てる」

「でも、アヤメさんを殺したミュートの同類ですよ!」

「小久保くんもだろ?」

「…………」一言(いちごん)もないミノリはしかし、するどい目をヨウスケにむけた。「ボクを通報すれば金になりますよ」その方が楽かもしれない。力をかくしてコソコソとする生活に疲れを感じていたミノリは、心のどこかでそう思っていた。

「そうだな、金はほしい。ただ逮捕されたキミが、ミュートがここにきていることを密告する可能性もある。リスクが高すぎるな」

「しませんよ、そんなこと」

「なら、俺も通報しない。ウィンウィンだろ?」

「なぜ、ボクにショウを会わせたんです?」それこそリスクが高すぎる。

「彼女、ボーイフレンドがいないみたいだからさ」

「はぁ!?」

「ジョークだよ。さ、この話は、これでしまい。防聴音波を切るぞ」

「でも……はい」聞きたいことが山ほどあるのに! ミノリは身もだえする気持ちを必死におさえこんだ。

 そしてふたたびヨウスケの趣味部屋は、日常の言論統制空間へと移行した。


「アズ、アズ。大丈夫か? 問題ないか?」

『ブブ──はいミノ、機能は正常値に復帰しました』

「小久保くん、だから平気だといったろ? それよりアズに妙な話をさせないでくれよ」ヨウスケがいった。音波がでていた間のことを質問責めにされてはかなわない。

『板垣ヨウスケさん、ご心配にはおよびません。一部聴覚機能不全の発覚後、音声認識モードの回復を進めつつ、視覚拡大モードに特化いたしましたから』

「アズ、どういうこと?」ミノリがたずねる。

『みなさんの唇の動きを読みました。ですので状況は把握しております』

「なんてこった!」ヨウスケが自分の(ひたい)をパンとたたいた。

『みなさんの唇の動きが見えていたのは私と、この部屋のRA2075だけです』

「そうか……」ヒュペルコンピューター『アガサ』には見えていなかった! ほっと胸をなでおろしたヨウスケだったが、「ハナコも!?」と叫んだ。

『自動的に視覚拡大モードへと切りかわりました』ハナコがこたえた。

「ハナコにそんな機能があったのか。今まで何度も実験したのになんでいわなかった?」ハナコを責めるようになじるヨウスケ。この安物が! そういいたかったのだろう。

『実験内容にはふれない方がいいと判断しました。そしてこの会話も中止するべきかと』

「……そ、そうだな、ハナコ。キミのいう通りだ」会話を傍受されている可能性がある以上、この話はつづけるべきではない。ヨウスケは、どこかハナコを見くだしていたところのあった自分を恥じた。そういえばショウにはじきとばされた彼を受けとめてくれたのもロボットアーム、ハナコである。

「板垣さん、RA2075の存在意義は部屋の(あるじ)の生命活動維持にあるらしいですよ」ミノリがいうと──。

『そのために私たちは製造されたのです』アズとハナコが同時にこたえた。


 その夜。床に寝転び、いびきをかいて眠るヨウスケの隣で横になっていたミノリの耳の中で、アズが話しかけてきた。

『ミノ、眠れませんか?』

「そりゃあね」ヨウスケをおこさぬよう小声でこたえるミノリ。

『ミノは以前、それぞれの役割が違うから男女は平等ではなくて、対等がいいといっていましたね?』

「それが?」

『今日のあの子とは対等な関係を構築していたのでは?』

「今日のあの子? ああ」アズはぼかしたいい方をしているがショウのことであろう。

『それだけに危険性が高いです。深入りは禁物です』

「よせよアズ、相手はエムだぜ」ククク、と笑うミノリ。「心配ない、ボクにその()はないから」しかし、ともミノリは思う。できればまたショウと会い、稲地アヤメを殺した連中の情報を聞きたいと。

『それからミノ、もうひとつ』

「うん?」

『危険です。板垣ヨウスケという人物も』

「そうだな……」十九年間、かくしつづけてきた秘密を見ぬかれたのである。うなずいたミノリは高ぶった気持ちをおさめられず、一睡もできずに朝をむかえた。

                             (つづく)


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