第一章 ミノとアズ 10
「小久保ミノリ」 主人公のミュート。「アズ」 RA2075型AI、ミノリの友人。
「鈴村サトシ」 ミノリの養護施設時代の先輩。「山中タマミ」ミノリの職場のリーダー。
「小堺リョウジ」ミノリの同僚。「稲地アヤメ」ミノリの同僚。「板垣ヨウスケ」ミノリの同僚。
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通常であるならば職場まで、徒歩、片道二十分ていどなのであるが、戒厳令が布かれてから初の出勤となるこの日はなんと一時間二十五分もかかってしまった。広大な敷地を持つ公営団地内で三回、街にでて五回、工場地域に入って三回、そして工場へ入構するときとミノリは、K109により計十二回の検問を受けた。その内の一回はかなりネチネチとした職務尋問までされたのである。そしてそのときに見た、人間ではなくロボットに尋問されることを不服だとして返答を拒否した男が押し問答の末、射殺されるところを。ミノリだけではなく、周囲にいた人々からも悲鳴があがったが抗議の声をあげる者はいなかった。戒厳令発布の放送で語られた命令はいつわりではない、連合警察は本気なのだと誰しもが恐怖を感じたのであろう。
「おはよう小久保くん。あら、髪、切ったのね?」サードアイをかざして、調整部のドアを開くと山中タマミがげんなりした顔で声をかけてきた。彼女も出勤に手間取ったに違いない。そして見ると、稲地アヤメのデスクには花束が手むけられていた。ミノリは心がしめつけられる思いがした。
「おはようございます、山中リーダー」
「ずいぶんとサッパリしたわね? でも似あう、アヤメが見たら喜んだと思うな」
「は?」短い髪をさわりながら苦笑をうかべるミノリは、やはり先にきて、すでに仕事をはじめている板垣ヨウスケにもあいさつした。「おはようございます、板垣さん」
「おはようさん。ただ、のんびりあいさつしてる時間はないよ。夜間外出禁止規制強化のうえに、あの検問所の数だ、就労時間が極端にへる。とっとと仕事をこなさないと給料が半分になってしまうぞ」ヨウスケは、いいながらタマミへとにらみをきかす。
「板垣さん、その件はこれから上と交渉するから。少し待って」
「お願いしますよ、リーダー」ヨウスケはそれだけいうと三面同時に立ちあげた光学モニターにむかいふたたび指先を動かしはじめた。
「給料半分……」ミノリは絶句したが、あながち大袈裟ではない。これまで八時間あった労働時間が六時間ほどに制限されてしまうのである。今朝の感じでは帰宅までの時間は、余裕をもって二時間ほどみておく必要があるだろう。
「そういうことだから小久保くん、さっさと仕事にかかりなさい。稲地アヤメや小堺くんの話は昼休みにでもしましょう」タマミもこういうと、光学モニターにむかう。
「わかりました」ミノリもあわててモニターを立ちあげた。
昼休み。のんびりと昼食をとっている場合ではないのであるが、工場のメインコンピューターにより、正午になると強制的にシステムがダウンする設定に変更されていた。状況が状況なだけに、休憩時間を返上する工員がでてくることを懸念しての措置のようだ。会社は戒厳令も怖いが、ブラック企業認定とその罰則の方が怖いのであろう。
「まったくどうなってんだ? バックアップしそこなったら、午前中のデータが全部、消えてしまうぞ!」プラ容器の弁当箱を開きながらヨウスケが荒ぶる声をあげる。まったくである、そうなったら給料半分どころのさわぎではない。サンドイッチをかじりつつミノリも心の中で彼に同意していた。
「戒厳令下での社内規則なんておそらくないのよ。J州は比較的、平和だったから」パスタをフォークに巻きつけながらタマミがいうとヨウスケが反論。
「だから現行のまま、昼は一時間休めですか? なんとかしてくれ、家族が飢え死ぬぞ」
「本当にそうよね。でも私たちだけじゃない、こんな状況がつづいたらJ州全体の経済活動が立ちいかなくなるかもしれない。冗談じゃないわ」
「リーダー」ヨウスケは声をひそめる。「会社の非難はいいが、政府や警察が関わるような話はしない方がいい」
「あ、そうね。そうだった」タマミはうなずいて、ヨウスケに軽く頭をさげる。ミノリは思った。ふたりとも彼と同じように自宅のRA2075から、『アガサ』がバングルフォンで盗聴している可能性があることを聞かされたのかもしれない。ミュートもしくはその庇護者、または反政府主義者だと判断されれば令状なしで逮捕、または射殺されるだろう。この戒厳令は、同時に言論統制令でもあるのだ。
「とにかくリーダー、本当にお願いしますよ。今朝、いっていた上との交渉の件。最低限、達成ノルマに対する賃金を倍にしてもらわないと」声高にヨウスケが懇願をつづける。
「倍はどうかしら……」タマミとヨウスケのそんな会話を聞きながら、ネットニュースを見ていたミノリは慄然としていた。その日の午前中だけで、検問や尋問中に銃殺された人間の数がJ州三区画で二十三名にのぼっていたのだ。K109の検問に対し、なんらかの抵抗をしてしまったに違いない。彼らはロボットに偏見があって、自分の持つRA2075ともうまくつきあえていなかった人たちなのかもしれない。あくまでもミノリの想像にすぎないのであるが。今朝見た銃殺現場を思い出す、ロボット警官には慈悲もなければ容赦もない。そして今の彼らには人間もミュートも関係ない。あたえられた命令を粛々とこなしているだけなのだ。殺せと指示を受ければ誰かれかまわず殺す機械なのだ。ミノリはその指令をロボットにくだした人間、おそらくは連合警察最高司令長官クラーラ・アインホルン、彼女に嫌悪感をおぼえるばかりではなく、強い怒りを感じた。
「ところでふたりとも!」助けてもらったとはいえ、依然としてしつこくまとわりついてくるヨウスケの賃あげ要求をふりきるようにタマミが声をはった。「明後日の日曜日。公営団地内の五番街葬祭場で夏祭りで亡くなった方々の共同葬儀が急遽、執りおこなわれることになったそうです。これには小堺くんもいくから、同じ部の仲間としておふたりも参列してください。稲地アヤメを皆で送ってあげましょう」
ミノリはもとより、これにはヨウスケにも異論がないらしく、神妙な顔つきで何度も何度もうなずいていた。あとで聞いた話であるが、実はヨウスケとアヤメには将棋という共通の趣味があり、週に二、三度はネット上で対戦していたのだそうだ。実力が拮抗していたそうで、もう一局、もう一局と夢中になり、ときには徹夜になることまであったのだという。アヤメのデスクに花束をおいたのはヨウスケおじさんだったのだ。
(つづく)
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