第三十四話:レクチャー・社交術
『千里の道も歩を踏み出さねば道と成り得ない。
己の足のみ踏み出せる一歩目。』
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せめて自分にできることを尽力したい。
リプカはまず、客人に宛がわれた部屋のある、東棟に足を運んでいた。
(まずは、そのための準備を整えなければ……)
急がば回れ。そんな格言が思い浮かぶが、あまり時間はない。
ある一つの扉の前に立つと、リプカは胸に手を当てて、大きく深呼吸してから扉をノックした。
「はぁい!」
「――アズ様、少しお時間よろしいでしょうか?」
「お、リプカちゃん? オー、尋ねに来てくれて嬉しいよ! どぞどぞー」
扉が開き、輝く太陽のような笑顔がリプカを迎え入れてくれた。
「お邪魔します」
多少緊張しつつ、アズの快い招待を嬉しく思いながら、部屋にお邪魔する。
部屋は特に模様替えされた様子もなく、ベッド脇には、少量の荷物が荷造りされた状態で置かれていた。
彼女が一旦パレミアヴァルカ連合に発つのは、本日の夕方であるはずだ。
「お忙しいところにすみません」
「いいよん。――それで、どんなご用かな? どうやら急ぎの様子みたいだけど」
椅子を勧めながらリプカの表情を窺って、アズは察し良く、話の切り口を差し向けてくれた。
リプカは座りながら頷き、遠回りもなく単刀直入に頼み事を伝えた。
「アズ様、私に初歩のところである、社交の術を教えていただけませんか?」
「社交の術?」
きょとんと目を丸くするアズ。
リプカは頷いた。
「はい。クイン様がこのお屋敷に留まることを、各々の王子方に納得していただくために、少し、交渉が必要になってくる事情があるのです。あるお方とは、クイン様滞在の了承を超えた重要を約束する必要もあって――そのために、社交の術の要点を、少しでも教わりたく思い、お願いに参りました次第です」
「なるほど……。目的のために、一旦手法の獲得を踏まえることは良いことだね。――ただ……」
アズはどうしてか、眉を下げて、言葉にできないコトを表すような、微妙な表情になった。
「それ、――必要かな……?」
「と、いうと……?」
「ん、前にも言った通り、リプカちゃんの決定に否を唱える王子なんていないと思うし……ただ全員を集めて、普通にそこで、それを伝えるだけでもいいような……」
「……私の選択で、屋敷内に在る者の安全面が損なわれる側面は否定できません」
リプカのその声色に、アズは心内の姿勢を正した。
それは、これまで何度か聞く機会のあった、普段の彼女からは想像つかない、揺れのない真剣な声色であったから。
「これから私がやろうとしていることは、少しでもそれに対策を打つための交渉です。暴力の禍は暴力を覚悟している者にしか対策できない。その交渉は、ひいてはクイン様のみならず、皆様の安全確保にも繋がる事ですから――私はそれを、物事が良い方向へ向くように……やろうと思います」
視線を下げたリプカの瞳には、確かな意思の輝きが宿っていた。
その光を見つめて――それでもアズは悩ましい表情で尚考えていたが、やがてそれも飲み下し、リプカの断固に対する答えとして相応しい、迷いを捨てた顔で頷きを返した。
「――そかっ! よし、わかった!」
言って、アズは勢い良く立ち上がった。
「リプカちゃん、スタンダップ! レクチャーの時間ですっ!」
「は、はいっ!」
アズは立ち上がったリプカの横隣に移動すると、リプカの体を真っ直ぐに立たせながら講義を始めた。
「いい? 前回は逢瀬のためのレクチャーだったけど、今回は社交の場でのお話し。今度も、最も大切になってくるのは姿勢ですっ! はい、胸を張る!」
「はい――!」
リプカは朝方に習ったことを活かし、クララと対面したときのことを思い出しながら、凛と胸を張った。
「うん、よろしい! ――胸を張る意識。それに加えて、社交のステージである今回大切になってくるのは、顎を引く意識です」
「顎……ですか?」
「そう。それは胸を張る姿勢を取るときに、絶対に必要な重要! ――愛しい人と会うときは、胸を張って相手の顔を真っ直ぐに見つめても、柔和になった雰囲気のおかげで自然と顎が下がるものなの。だけど今回のような社交の場では、それを常々意識しなきゃいけない。もちろん胸を張ることは大事だけれど――ちょっと胸を張ってみて。そう。そしてその姿勢で、顎を引くことを意識する。下を向くのではなく、気持ちで顎を引くカンジ。――そーそ! そうすることで、あからさまに胸を張っても妙には見えない。逆にそれができていないと、珍妙な威勢を誇示するような、無駄に気合いの入った妙な人みたいに見られちゃうから注意!」
「な、なるほど……」
「そいで、歩くときもそれを忘れないで、でも下は向かないようにする。主張を抑えた淑やかさを演出したいときはそれもアリだけど、今回のように自身が主導を握るべき場合では、むしろ主張を示すように前を向いてないといけない。そう、で、歩いて――。リプカちゃん体幹が優れてるから、足の運びはそのままで大丈夫。――うしっ、完璧!」
リプカの姿勢を見つめながら、アズは笑顔を浮かべた。
「ちゃ、ちゃんとできてますか……?」
「様になってます! あ、鏡は見なくていいよ。それやっちゃうと、習いたての場合、動きがギクシャク固くなっちゃうから」
「そ、そうですか。難しい……」
「ちゃんとできてるよっ。――いま私から即興で教えられることはこのくらい。人の姿勢っていうのはね、実は印象値の話において一番大切なことだから、これができていれば今は十分だと思う。あとは気後れせずに堂々とね! ガンバレ、リプカちゃんっ!」
「アズ様……ありがとう」
リプカはアズを振り返り、感謝を表して微笑みを浮かべた。
――と、そのときだった。
ギュイーンギルルルルルガキッ! ガッ、ガガガガガガガガガガッ!
上階から突然、天井を僅かに揺らす、けたたましい機械音が響き渡ってきた。
リプカは飛び上がったが、アズは特に驚いた様子もなく、悠々《ゆうゆう》と天井を見上げた。
「お、始まった」
「え――。い、いったい何が起こっているのでしょう……?」
「ビビちゃんがお部屋を模様替えしてるの。煩くなるかもって、さっき伝えに来てくれたんだ!」
「も、模様替え……?」
模様替えとは、室内の装飾や家具の配置などを変えることである。
しかし響いてくるのは、破壊工作が行われているような轟きであった。模様替えという言葉からかけ離れたその大音量に、リプカは戸惑いを浮かべた。




