閑話:リプカ・エルゴールの””破滅的””、音痴
「リプカ様はすっかり、この道に、ご執心ににゃられ……なられえましたねぇ」
オーレリアがふと、日のように柔らかく微笑みながら話題に上げたことに、リプカは「ええ、素敵な趣味が増えました!」と喜色を表した。
「今、ちょっとゾッコンなんです!」
「心を豊かにする素敵なものに出逢えたようで、素晴らしい幸運でしたね」
リプカの部屋に据えられた棚の一角、ビビから借りたアイドルソングのCDやら雑誌、パンフレットが仮置きされたスペースを眺めながら、オーレリア自身も熱心に、好きなアイドルソングなどを語った。
ベッドの上に立ち、知った歌を唄い始めたサキュラの独演ショーに一区切りがつくと、ふと歌い終えたサキュラがマイク代わりのティースプーンを持ったまま、そのことを話題にした。
「そういえば……リプカ自身は、あんまり……お歌は歌わないんだっけ……」
「ええ……。壊滅的ならまだしも、なにしろ、破滅的な音痴でして……」
「破滅的……。…………どんな歌なのか、ちょっと……、気になる……」
ぽつりと声漏らされたことに、アンが顔を険しくした。
「やぁですよ、お試しとかの流れにならないでしょうね」
「でも……アンも、破滅的……、気にはなるでしょ……?」
「まあ……。しかし私も聴いたことはありませんが、絶望的に嫌な予感はします。何故なら、『あのフランシス様でさえ主様の歌声からは逃げる』と屋敷内で評判になっていたから」
「うぅ……」
「リプカ、ごめんね……。…………でも。…………気にはなる――」
「んん……。べつに、大声とかではないのですが……前にも言った通り、私の歌を聴いた者は三日内に、聴覚や視覚、神経系に異常が現れると、エルゴール家では評判ですよ?」
「……不得手に不躾をぶつけるようですが、確かに、気になりまして……」
「まあ……」
「じゃあ……十分な準備を整えてから、ちょっと歌ってみせましょうか……?」
というわけで。
フランシスでさえ逃げ出すという、リプカの独演ステージが、ささやかながらに開かれた。
いつかのように、簡素なステージ台を部屋の一角に用意して、これまた簡素な観客席にはサキュラ、オーレリア、アンヴァーテイラ、そして音響装置もろもろを用意、設置したビビの四人が、団扇を持ちながら待機している。
そして、アンヴァーテイラの手には、赤いボタンが一つ付いた機械装置が握られていた。
「それを押せば曲がストップして、緊急ベルが鳴り響くようになっているということですので、ヤバいと思ったら迷わず押してください」
「了解でーす」
「おおよそアイドルのステージに使う単語群ではないな。しかし……リプカの歌か、確かに少し、気にはなっていたんだよな……」
「リプカー……、こっち向いてー……」
「歌は不得手とのことでしたが、踊りはきっと、とても上手に違いありません。楽しみでして」
そんな、適度な剣呑と呑気が混在する空気感の中、「では、いきますっ!」とリプカが手で合図して、ビビがリモコンの『再生ボタン』を音響装置へ向けて押した。
アップテンポなサウンドが、空間に広がる立体音響で流れ出す。
そして――。
破滅的。
壊滅的ではなく、破滅的。
それは本当に、上手く言ったものだった。
サウンドビートに乗って、リプカは――――【傷一つ無い珠のように完璧なリズム感】で、歌声奏でて、世界を彩り始めた。
『秀でた』なんていう【十全】の程度からは隔絶、超越した、まさに【完全】で無欠なリズム感をして、歌声は声高く、奏でられた。
完全的に外れた音程をもってして。
生物本能を呼び覚ます、至高のリズム感で意識を【完全誘拐】しながら、生物本能が忌避を叫び上げる、無秩序と混沌の歌唱で脳を破壊的に揺らし続ける――。
鷲掴みにしながら、絶対不可避のところに、地獄的音階。
残酷。
酷を超越して、残酷。
前評判に嘘はなく――壊滅的な歌唱なのではなく、冗談でなく、人を破滅させる程度の歌唱であった。
「スタッ――ストァーーーップッッ!!!!」
身を捩り金切り声を上げながら、アンヴァーテイラが早々にボタンをブッ叩いた。
非常ベルが鳴り響いて――曲が止んでステージ下を見れば、そこには、椅子から転げた人間が四体。
リプカは暗く肩を落として言った。
「皆様――これが、聴いた者は三日内に異常が現れると謳われた、私の歌唱です」
「――……わかった。よく、分かりました……」
アンの虫の息だけが返事して。
目を回し椅子を支えに身を起こすオーレリアは「大変なお手前でした」と明後日の方向に手を叩き、ビビは椅子の座席部分に突っ伏し、サキュラはペチャリと、床に溶けて、力を失ってしまっていた。
破滅的な音痴とはどういったものか?
それは、よく考えられた拷問装置と、性能が変わりないということでしょう。
「どうにかならないものでしょうか……」
皆を介抱しながらリプカは独り言ちたが、「これはこれで才能である」と、皆、秘して思い抱いていたという――そんな、奥付を探しても内容はない、とある日の、剣呑で呑気な一幕であった。
『リプカ・エルゴールの””破滅的””、音痴』――了。




