ビビ・アルメアルゥの焦燥・5(了)
ビビ・アルメアルゥ嬢の印象を一言でいうなら、――本当に正直に言うなら……『変な人』、だった。
社会性における常識が根本から異なるからか、ものすごく奇妙な印象を受ける。行為の一つが「え」と不意を突かれる予想外だったり、「えええええ」と声が漏れそうになる奇天烈もしばしば。今だって、若輩にしても幼すぎる私なんかに、先生役を頼み込むという突飛を迎えている。
でも、そんな彼女から、ふとした瞬間に大人の知を感じて、恐れ入る。
やはり、文化ゆえに常識が異なっているという、純粋な事情なのだろう。
(でも、印象的なのは、それゆえの奇妙ばかりではなくて)
(むしろ……)
彼女は、アルファミーナ連合における、どんな人なのだろうか?
そのことが、まず、第一に気になる。
その見姿を瞳に映すたびに、考えてしまう。あなたは何者なんですか?
国を代表する貴族令嬢の集まり、その中においても。
紛れて輝きの褪せることのない、特異に目を引く見姿。令嬢たちの、燦爛の美とはまた違う、どこか謎めいた? 異質な……? 蠱惑というわけでもない、それも奇妙な、魅力の力。
ビビ・アルメアルゥ嬢は、遠目でも彼女だと分かる。
どんな遠目からでも。群衆に紛れない――。
どうしてだろう……? 容姿の特徴では説明のつかない、摩訶不思議な力を感じていた。
同性が羨む理想的な背丈で、細くも筋肉質な腰は、異質な魅惑を備えていた。なにより――恐ろしくスラリと伸びた顎から首筋にかけてのラインは、それだけで、とても目を引かれる。黄色の瞳は奥底の知れない温度を宿して、ミステリアスな魅力に、引き込まれそうになる。
でも、その容姿的特徴は、摩訶不思議な力の前には付属のように思える。
大勢の中に紛れていたとき、「あ、ビビ様だ」と、――どんな雑多な中でも、己の処理能力とは信じられない一瞬で、視界の焦点が、彼女の表情へアップでアジャストされる。超常現象か何かであるとしか、思えない。
アルファミーナ連合で、どのような立場にある人なのだろうか、と考えてしまうのだが……自己紹介である『研究者』という立場が、隠し立ての嘘であるとも思えなかった。
それを今、その熱を交わし合って、疑いようのない信用に及んでいた。
(――――初めて知った)
勉学に懸命になるって、ああ、こういうことだったんだ……!
そのような感動を覚えながら、――私は今、熱に浮かされていた。
おそらく、生まれて初めて。
私は何かの事に、熱中をしている……!
私の勉歴を語るに、私のお兄様は、先生としてまさに理想的だった。
理解を言葉にすることに誰より長けて、ゆえに私の学びにおいては、吸収率の効率性において随一、私は同世代の誰よりも迅速に多くのことを学び得たと認識している。物事を吸収することにかけて、お兄様の授業はこの上なかっただろう。
けれど――ビビ様と共に行う、この勉学は――……。
泥臭く、確実に前進するようにしながらも、隙を見ては効率をも見出し求めるような、貪欲という巨大な熱を原動力にひた進む学習方法。私の肩を掴んで、大声量を上げて共に走り出すような、洗練とは真逆の粗野的な試み――。
知恵を轟轟とした速度で交わし合う。熱が絶えない。これに意味があるかなんて考えない、ただその熱と向かい合っている――しかし、言葉を交わし合いながらも、私たちのそれらは整然としていて、熱量は衰えず、疲れを知らず、知らずのうちにどこまでも前進しているかのような感覚を覚えていた。
あるいは、それらが錯覚だったとしても、私たちは気にしないだろう。
作り出された熱を原動力に、目的地へ向かっているかも気にせず、胸奥の表情に、理由のない口元の笑みを形作りながら、私たちはひた走っていた。結果が間違っていたのなら――ならば、それは、それだけのこと――……。
(熱に浮かされることが……とても、楽しい――!)
熱を介したある種の意思疎通が交わされる中で、彼女の勉学に対する姿勢こそが、彼女の偽らざる姿であることを知れた。
研究者の貪欲。
私の世界に存在しなかった、この世界にある鮮やかな実在と隣接できた、素晴らしい奇縁……。とにかく、私は夢中になっていた。
(…………もし、私が、貴族家の娘ではなかったら)
(こういった生き方も、素敵だったかも……)
そうするうち――熱はまだ籠ったままに……、エンジンのほうに極限が訪れて、議を交わすまま自然とヒートダウンが訪れる。
奇妙な高揚感を内包したまま、休息の暇となった。
ビビ様は気を緩ませるように息をつくと、机について初めての伸びをして、緊張の抜けた声を漏らした。
「まあ……初回はこんなものとして、理解度は、だいたい3%くらいか。――リプカ、アイツすごいな、よくもまあ、これだけの学習をあの短期間に詰め込めたものだ……」
聞き及んでいたリプカ様の武勇伝を思い出し、私も笑った。
そして――――。
次いでビビ様が口にしたことは、私の意識へ、不可思議に、深く響き渡った。
「ミスティア、ありがとうな」
たった、それだけの言葉だった。
それなのに。
私の中に湧き上がった、その情緒は――……。
満ち潮の水位のようにどっと押し寄せた、未知の情感。彼女からその声をかけてもらった自分が――まるで凄い人になったかのような気がして。そんな自己肯定感の浮つきに若干戸惑いながら、内面の熱とは裏腹である、あたりさわりのない言葉を返していた。
しばらく、ぼぅっと、その奇妙な情緒を持て余していた。
そして、あれだけの熱の後、なんでもなさそうにお兄様と会話しているビビ様を見つめるうち、僅か冷静を取り戻した頃、――ふと思っていた。
(このお方は……もしかしたら、このエルゴール邸という場所に居ることに、いつか遠くないうち、――――飽きてしまわれることも、あるかもしれない)
それは予感ではなく、理解だったのかもしれない。
だからだろう。
(それも、決定的に。あるいは……致命的に……)
私は悲しい気持ちに浸かった。
どうして悲しい気持ちに襲われたのかに気付いて、きゅっとこぶしを握り込んだ。
この場所には。彼女の求める熱は、もしかしたら、……なかなか無くて。
そして熱が冷め切ってしまう事態は、もしかしたら、彼女の在り様にとっての、彼女の損なわれる、深刻であるのかもしれない。
熱を交わし合った者として、理解から、そんなことを思う。
一時でも、あの熱を交わし合えた仲の人なら、思う……。彼女はここを居場所には、できない人なのかもしれない。別れの予感が、悲しい……。
「……――そういった理由で、大陸から無制限に物品を収集できる、なんて好待遇を突然、言われてな。どこまで額面通りの権限なんだかは分からないが、まあ、せっかくだし存分に使わせてもらうことにした。少なくとも退屈はしなさそうだよな」
――だから、そんな会話が聞こえてきたとき私は、思わず騒音を立てて席から立ち上がりそうになってしまった。
「お前も言えば、なんらか、特別な待遇を迎えられるかもしれんぞ」
「貴族を相手には、そういうわけにもいかないのでしょう。いえ、しかし、国を代表する貴族の集まりであることを考えるに、バランスの欠如というほどの配慮でもありません。器量の話ということもありますから。――ええ、存分に使うことが、私も良いように思えます」
そんな雑談を交わす二人の中に、声を割り込ませた。
「あの、ビビ様。――もしよろしければ、私も、時々でいいので……ビビ様の研究に、携わらせていただけませんか?」
驚いた顔を浮かべるビビ様と、小さな『意外』を表情に浮かべたお兄様。
頼むに、迷いはなかった。
だって私は、あんなに、嬉しかったのだから。
この人と“熱”を交わし合うことに、関われることを知って。
「ああ、もちろん、それが面白そうと心が動いたなら、私は構わないよ。――セラフィ、構わないか? ――そうか。――後出しだが、お互いの対価的な意味でも、私としては歓迎だよ。私もまたこうして、勉強をお願いしたいんだ」
生まれて初めて感じるワクワクを覚える。
この縁は、私をどのようなところに連れていくのだろう。
(なんだか、とても、明日がとても楽しみ――)
お兄様と、リプカ様が関わり合えたことをして思った事から、二度目。
このエルゴール邸に来て良かったと、今度は私自身のために、そのように思えていた。
…………と。
そのような穏やかをもって、さて、今回のお話の締めは結ばれたのだが。
後日。
それは、今回のオチみたいなお話。
「――……ビビ、様……。…………これ、は……、この設備群は、いったい……――」
ワクワクを胸に、ビビ様の研究室へ訪れた、その日。
なんの変哲もない一室の扉を開けて、私が目にしたものは、素朴だけれど設備の充実した研究室ではなくて――言い難い不気味な光を発する、《異次元世界》であった。
薄暗がりの中で、それ自体が過ぎた鮮明で輝く、本当に言い難い……不気味すぎる機器類が、部屋のインテリアの主役みたいに、あちこちに鎮座している。門外の場所ではあるけれど、素朴に人心地のついた研究室は、面影もなく模様替えされていた。
「これは……? その――、……これだけの機器類を……、どうやって……??」
「ああ、フランシスから貰った権限を、私の持つ常識も無視でフル活用してな。そしたら、こんなになった。いや、私も意想外すぎて驚いている」
なんと、まあ……。あのフランシス・エルゴール様から手渡された権限を、躊躇もなく、ここまで行使するとは……。
(すごい……)
(私には真似できない――)
……ただ、それも、そうなのだけれど。
他にも一つ、どうしても、気になるところがあった。
「あの……、ビビ様。物を知らない質問すぎて、失礼なところがあったら、ごめんなさい。その……」
「ん、なんだろう?」
「――なぜ、こんなに部屋が、薄暗いのでしょうか……?」
筆記を行うときなんかに、不便なような気がするけれど……。
部屋は意図して薄暗くされていた。まるで不気味な光の鮮明を、際立たせるみたいに。
するとビビ様は、まるで軽くどこかを「うっ」と突かれたような様子を見せて……、研究所の景観へ視線を向けられた。
「いや、一人部屋の研究室なんて、まず持てないからな、せっかくだし、内装は好き勝手にカスタマイズしたのだが……。――あまり、好かなかったか……?」
「い、いえっ、ただ、手元が見えづらくなるかもと、考えて……」
「そっ、それはまあ、その時々で、手元のライトをつけるから……」
「…………? あの、では、なぜ部屋を薄暗くするのでしょう? 機器の性能や状態維持に、関係があるのでしょうか?」
「……ない。それらには、うん、ない――」
「…………? ……っ! ――でっ、でも確かに、そうっ、……アンニュイな雰囲気で、うん、雰囲気が、あります……っ!」
「よし電気つけよう」
ある種の熱を交わし合える仲であろうと、“ある種の熱”は交わし合えないこともある。私はそれを学んだ。
「い、いえっ、あの、ええと……――! ……す、すみません……」
こんな対人の失態を犯したのは初めてだったけれど、重要な学びを得たように思う。分かり合えないこともある。――すみません、お頼みして部屋に招かれた身ではありますが、正直に吐露すれば、気をおかしくしそうで、どうにも居づらかったんです……。
ちゃんと電気の付けられた部屋には、正直……ホッとするものがあって、太陽の光まで取り込まれると人心地がついた。――でも、もしかしたら。ビビ様の研究に関わるうちに、私もあの薄暗い異世界のデザインが気に入ることもあるのかもしれない。
変化する。
私がそのことを意識すると――私の胸の奥あたりに、動揺にどこか似た、小さな情感の動きが訪れた。
ふと、気付く。
考えてみれば……もしかすれば今回のことは、己の病を克服すると、あの日、真に覚悟抱いた、その一歩目たる契機でもあるのかもしれないことに。
その思いに至ると、また胸に、情動の動きが訪れる。――重要な契機であることは確かかもしれない。
けれど、まずは、――楽しむことから考えたいと思う。
『それが面白そう』と心が動いて、声を上げたのが始まりなのだから。
私自身を確かに変化させる道路を、今、私のために歩みたい。その人のための、一つの道を歩んでほしい――密かにお兄様へ寄せる思いを、自分の胸にも寄せ抱いて……。
巡り巡って、何かの力となる一つの道を。
まあ、この軌跡を私が辿っていくにおいては、そこに何者かの運命を変えうる、何かがあるわけでもないだろう。でも、むしろ気楽に歩いて行けることが、今は嬉しかった。――それとも、そんな気構えの心情にも、変化が訪れる日が来るのだろうか?
「」
…………?
なぜだろう……。
私の名前を呼ばれた気がした。
『ビビ・アルメアルゥの焦燥』――了。




