渚の難破船と、悪霊と、冒険と・2-2
羽のような一気跳躍を見せたセラフィの一方、ティアドラの手を借りて慎重に歩を進めたビビが船の残骸から降り立ったその頃、リプカもまた、砂浜に残されたそれらを発見していた。
「…………確かに、これは、なんらかの板のような履物の跡……? 隠匿された痕跡が、いくつも見られる……」
砂浜に近づけていた顔を上げて、真剣な表情を皆のほうへ向ける。
「皆様、集まって――傾聴してください。この砂浜に、まだ一日と経っていない隠蔽された足跡が、いくつも発見できました。なぜ痕跡を隠匿したのか不明である以上、予想にない危険が傍にある可能性も否めません。そのことを意識して、ここからは、注意警戒をお願いいたします」
「何者か……何者でしょうか……?」
クララの疑念に、ティアドラはただ肩を竦めて、セラフィも何も答えなかった。「分かりません……」というリプカの声だけが上がる。
そして話の切り口を挙げたのは、ビビだった。
「……隠蔽された足跡は、どこに続いている?」
「えっ。まさか、調査に踏み切るおつもりですか……!?」
「調べないわけには、いかないだろう……」
「まあ、国からの依頼だしなァ」
ティアドラのぼやきに、リプカは難しい表情を浮かべた。
「私と、ティアドラ様とセラ様。そして、ビビ様クララ様、クイン様アズ様の、4対3……」
「問題ないかと存じます」
考えるリプカへ、セラが柔らかい声を向けた。
「ティアドラ様の警戒と、私の《眼》。有事にはリプカ様の瞬発力もあり、突発的な有事にも対応できる揃い構えでありましょう」
セラが「大丈夫」を声にすることは頼もしい、リプカは頷いて、ビビへ遂行するつもりである調査内容の仔細を訪ねた。
もちろん、この場に残っていてもよい、ということであったが、ぽつねんと残されることは心細いし、痕跡の隠匿を試みた何者かと鉢合わせる可能性だって無くはない。結局、王子皆で調査へ出ることとなった。
先頭にリプカ、最後尾にティアドラとセラフィという布陣で、リプカには見えているらしい足跡を辿る冒険が始まった。
「足跡……本当に、そこにあるの……? ムム……、いや、まったく見えない……」
「ほら、ここは特に分かりやすいです。砂浜の自然模様が、不自然でしょう?」
「本当、だ? いや、微妙だなぁ……」
アズに限らず、それはクララ、ビビはもちろん、セラフィと、そしてクインですら、いまいち判別曖昧であるようだった。――そのことが、皆の警戒心を引き上げた。
一行は進む。亀よりは早いペースでの行進であったが、そうしているうちに……いつの間にか。
「ま、また……、段々と周囲が暗くなってきていませんか……!?」
クララの声に、焦りの色が含まれているのにも無理はない。
真上からは見えない、険しく切り立った崖を背にした砂浜である、その急勾配が影を作って暗色を落とす領域はあるものの、急斜角自体に変化はなく日の光は砂浜に注いでいる――のに、どうしてか、砂浜を進むほどに辺りが暗くなっていくかのような錯覚に、一行は襲われていた。
「岩肌の、色合いのせいだな……」
急勾配の岩肌を指さして、ビビが指摘した。
「地質自体が変わってきているのだろう、光を吸い込むような、濡れた暗色……奇妙な粘土岩だな……」
岩肌の暗色は……痕跡の続く方向へ進むほどに、尚も明度を落として、質変わりしていく。やがて崖も見上げた方向にせり上がり始めたため、日のある時間だというのに本格的に、周囲が薄暗くなり始めた。そんな中で、目に見えず隠秘された人の痕跡を辿ることは……じわりと染み出るような不穏を掻き立てられた。
主にアズナメルトゥ、ビビ、クララの三人は自然と身を寄せ合うようにして、リプカのあとを、自身の警戒心に怯えるようにしながら付いていた。
「ん……?」
そして、リプカは足が止まった。
「足跡が……崖のほうに向いた……?」
言って、足跡の向かったという、そちらの方向へ向いて――――それを目にした王子連中と一緒に、その場で飛び上がった。
「あれは――……!?」
ティアドラとセラフィも、飛び上がりこそはしなかったが目を見開いて、それに刮目した。そこから一歩引くようにしながら、クインが、声漏らす。
「洞窟……か……?」
岩肌は、その一帯だけ、夜闇のような暗色だった。
だから気付かなかった。ティアドラとリプカでさえも。
その岩肌に、ひもじく生い茂った唐草で隠された、ポッカリと闇の口を開いた洞が開いていることに――……。
辿った足跡はそこへ向かっているという。
「イヤアアアアアアアアアッ!」
表情を歪めたアズナメルトゥの思わずの絶叫は、幾人の同感を乗せて辺りへ響いた。クララなどは、気付いていないのだろう、加減のない力で、ガッチリとクインの肩を掴んでいた。
その手を払って、クララへ「ハッ」と正気付かせながら、クインが言う。
「で、この中まで、追跡するのか?」
「……皆はここで待っていてくれ。リプカ、悪いが、付き合ってほしい。力を貸してくれ」
「了解です。……でも、大丈夫なのでしょうか? あの……こういった空洞は……たびたび……ガスが、中に溜まっていて、どうとか……、その、聞いたことがあります」
「少し調べる。待っててくれ」
「しかし、どうして……こんなところに、ポッカリと空洞が?」
「それは今ある機器では、調べがつかないな……。断層だろうか? 地下水で浸食が進んでも、おかしくない地形ではあるが……」
ビビの手による調査が行われ、そして彼女から「入っても大丈夫なようだ」という報告が出ると、幾人かが呻いた。
リプカとティアドラの守護、そしてセラフィの眼がある。天変地異の類いでも起こらない限りは、安全については約束されていると言っていい。
そんな中で。
待っていてくれとは言われたが、ここまで付いてきてそれは臆病者だと思われる、なんて、そんな心理も働いて。それにティアドラと、そして意外な声であったセラフィからの「問題はないのではないか」という一意見の後押しもあって、――結局、皆で行こうかという話で纏まりそうになった。
「でも、なんでしょう……? この光景も、なんだか……どうしてだか、既視感が……?」
首を傾げたリプカの隣で、クインが低い声を漏らした。
「言うタイミングがなかったが……実は、私も……、なぜか……既視感に近い何かを、ずっと感じていた……」
「クイン様も……?」
リプカが呟いた、その時。
洞窟に注目していなければ、それがどこから響いた音であったのか、分からなかっただろう。
『オ゛ォ――……ォォオオオ…………』
という、低く恐ろしい――洞窟を通した風の唸り声、それが辺りに、木霊すようにぼんやりと、声を響かせた。
「…………風の唸り声の、はずなのに……。入り口を塞ぐ唐草が、少しも動かなかったんだけど……」
それを指摘したアズの隣では、クララが腰を抜かして、気の飛んだ表情で砂地に崩れ落ちていた。
ビビが頬を掻いて洞窟を見つめる。
「いやまあ、内部構造によってはあり得なくもないだろう」
「――――分かった!」
そして、リプカが大きな声を上げた。
「わ、分かりました……! なぜ既視感があったのか。これは……この場所は。噂話で聞く――【悪霊の洞窟】の怪異譚と、特徴が一致しているんです――!」
クイン、アズナメルトゥ、クララ、そしてセラフィの四名が、「あ」という泡が浮いて弾けたような顔を浮かべた。
「――砂浜の小さな、とある海岸沿い。迷わなければ辿り着かないその場所に、【悪霊の洞窟】はある。浜辺の道沿いを行き、特に岩肌の暗い場所を見れば、隠されたように、ポッカリと闇のような口を開いた洞窟があって……そこには悪霊が淀み溜まっている。周囲は不思議と船が多く難破する、そして生きた乗船員は滅多に現れない、悪霊の手に引かれて黄泉へ落ちてしまうから――」
リプカの諳んじたその奇憚を聞いて、ビビは微妙な表情で「いや、それは……」と煮え切らない声を上げたが、ティアドラを除く、他の王子連中は顔を青白くした。
「そ――そうじゃん! そうだ、言われてみれば、ココ……【悪霊の洞窟】の、そっ、そのまんまの場所みたいなところじゃんッ!」
「確かに、言われてみれば……」
「――……その奇憚は、オルエヴィアにも存在する逸話である。しかし何故……大陸中にそのような詳細まで合致した奇譚が伝聞されているのだ? ……不気味だ」
「ヒュっ――……」
「ウヮアア! クララちゃんが、死んだっ!」
そんな皆の戦々恐々を傍から見て、ビビは「ウム……」と小さく声をこもらせて、口を閉じた。また、ほぼ隔絶された地であるイグニュスには件の異聞は広まっていなかったのだろう、ティアドラは特に何の感慨も含まない声を上げた。
「んで、どうすんだよー」
「ああ……。それで……やっぱり、皆で来てくれるのか……?」
「ひと固まりになって進みましょう……!」
クララの威勢の良い空元気の声を皮切りに、皆でソロリと、洞窟へ近寄った。
中は闇だ。
アズは息を飲み、クララの足が、生まれたての小鹿のように震えた。




