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「てわけで、つれてきた」

 駅前のファミレス、という名のさびれた店の、色あせたソファ。座り心地は硬くて平たい。

 しかし、ヒイロが現れた途端、「古臭く寂れた」という言葉が「レトロでクラシカルな」と置き変わる。モノクロフィルムの主演女優のように、彼女は俺の隣に腰を下ろした。

「イル」

「あ?」

「いい子いい子」

「はったおすぞ」

 真面目に返事した俺がバカだった。

 ヒイロは罵倒をコンビニのチャイムさながらに聞き流し、向かい側の男へ視線を移す。

 老若男女問わず、ヒイロと顔を合わせた人間はその美貌に目を見張り、浮世離れした美しいものへの感動を浮かべる――が、俺とつるんでいた連中は、どういうわけかヒイロを見ると微妙な雰囲気になる。

 他人の前では動揺が表に出ないタイプのササさえ例外ではない。その様子を無理やり例えるなら、檻の向こうから臨戦態勢のライオンに礼儀正しく挨拶されて、鍵がかかっているか横目で確かめつつ油断なく頭を下げてるような……うーん、うまくいえない。

「あー、なんだ。そろって顔を合わせるのは久しぶりだな、嬢ちゃん」

「お久しぶりです、ササメさん。早速ですが、話を聞かせてもらえますか」

 クッションどころかハンカチ一枚はさまねェなこいつ。情緒が死んでるのか。

 当人はドン引きした俺の目には一片の関心もない。ご指名されたササは苦笑いだ。

「常識で判断すると、夢でも見ていたんじゃないかと笑われそうな内容だが」

「聞いてから決めますのでお構い無く」

「いや、めっちゃ構うだろ。なんなのお前。天上天下唯我独尊か」

「お前ら、本当に昔と変わらないんだな――わかった嬢ちゃん、俺が覚えているまま話すから聞いてくれ。イル、卒業してすぐに、俺の父親が亡くなったのは覚えてるか」

「当たり前だろ」

 8月の猛暑日に自宅の畑で倒れ、退院できずに亡くなったと聞いた覚えがある。

 焼香と通夜には行った。何を手伝えるわけでもない、故人に手を合わせ、しけた面を見て一言言葉を交わして終わった。ほぼヒイロに連行される格好だったが、行ってよかったのだと思う。ずっと後に、めずらしく礼をいわれたから。

 しばらくして、アリサと結婚する頃には活力が戻っていた。いわゆるデキ婚だったが、亡夫の写真を抱いたササの母親はとても嬉しそうだった。アリサのにぎやかな空気がいい方向に働いたらしい。

 とまあ、一連の流れはインパクトがあったので忘れようがない。

 当然、ヒイロも一部始終を覚えているはず。目をやると、こくりとうなずいた。

「ああ、お前らほとんどニコイチだったな。説明が省けて助かる。今から話すのは、上の子どもが生まれて、アリサが実家から戻ってきた頃に俺が体験した話だ」



 夜7時の少し前、俺は駅まで客を送り届けた。

 相手は、県外から出産祝いにきてくれたアリサの祖母だ。アリサに似た朗らかな人だった。連絡通路を渡った側のホームで見送った後、家に戻る前にタバコを吸おうと思った。あの頃は禁煙してなかったからな。

 喫煙所はホームの一番端だろ? 人けがなくて、日暮前でも薄暗い。でも、あの日は明るかった。

 喫煙所の前に売店があったんだ。

 車に乗り始めてから駅に足を運んでいなかった俺は、いつの間にかこんな店ができたんだなと驚いた。違和感はあったが、わからなかった。本当だ。

 だから俺は店に入った。奥行きはあるが普通の売店みたいだった。腹の足しになるものがあればと思って、弁当ありますか、って聞いたんだ。

 店長か店員か、よく覚えてない。男だった気がする。

 そいつは、弁当よりもおすすめの品があります、といった。

 変な店に入ったなって後悔した。見せられたのが、中古のスマートフォンだったから余計にだ。

 俺は断った。当たり前だろ? でも、無料ですから一度手に取ってご覧ください、ってしつこかった。詐欺か押し売りだったらぶん殴るつもりで渋々うなずいた。

 手に取って驚いた。

 俺のスマホだったんだ。最初は、見覚えのある機種だなとか、昔もってたストラップだ懐かしいなって程度だった。でも、起動させた待ち受け画面に見覚えあるってのは、おかしいだろ?

 ……お前らのいいたいことはわかる。

 でも悪い、最後までしゃべらせてくれ。

 店ですすめられたのは、俺が高校に入学した頃なくしたスマホだった。今更だった。困惑もあった。だが、写真をみたら元気な親父の姿とか、中学の連中とか、まあ感慨深かった。子どもが生まれたばかりだったから余計にだろうな。

 店員が写真から推測してサプライズを仕掛けたくらいに理解して、礼をいい、スマホをもらって店を出た。空腹は完全にどこかに行ってたな。

 駅の出口に向かいながら、履歴を見てみた。当時はアリサともつきあってなかったし、懐かしい名前ばかり並んでた。あ、イルもあったぞ。それで一気に新鮮味が薄れた。それから、親父の名前もあった。あの頃、説教やら、なんやら、向こうからよく着信があったんだよ。それを思い出して懐かしんでたら、スマホが鳴り出したんだ。

 親父のアドレスからだった。

 腹が立った。

 故人のアドレスを取得した赤の他人が、祖母になりすまして孫娘にメールを送り訴えられた事件があったから、悪意のいたずらだと思った。冷静じゃなかったんだ。解約したスマホに着信があった時点で異常だってのにな。

 一言いってやろうと電話に出たんだ。でも、俺より先に相手がこういった。「おい、ササメ、母さんが晩飯つくって待ってるぞ。いつまでも遊んでないで早く帰れ」って。

 息をのんだ。親父が生きてる時に、よくいわれた言葉だった。「親父か?」って聞き返さずにいられなかった。「誰だと思ったんだ。いい年した男を心配もしとらんが、母さんの作った食事を無駄にするなよ、わかったな?」いいたいことだけいって、切れた。生前の親父そのものだった。

 俺はしばらく放心してた。手の込んだいたずらだと思った。思ったのに、すぐ動けなかった。はっとした時には周囲も暗く、完全に日が暮れていた。

 客を送りに出てからずいぶん経つ。小言を言われる前に母親に連絡をいれようとスマホ、今使ってるほうを出そうと鞄を開けた。ところが、スマホは入ってなかった。忘れてきたなら仕方ない、古いスマホで母親に電話をした。

 帰りが遅くなったがもうすぐ駅を出る、そう伝え、母親もわかったといった。でも、変なんだ。通話口の向こうから、母親以外の話し声がする。懐かしい笑い声。少し前まで、当たり前に聞こえていた応酬の会話。

 自分の口から出てるとは思えない、絞りカスみたいな声で聞いた。


 「今、誰と話してるんだ?」

 「何いってるの、お父さんしかいないでしょ」


 運転気をつけて帰ってくるのよ、というしめくくりで通話は終わった。

 母親がぼけたのか、壮大な詐欺にかかってるんじゃないか。

 幸い、鞄の中に最近必要だった連絡先一覧のメモが残っていた。俺はアリサの番号を探して電話した。母親の様子を見てもらおうと思ってな。

 なんていわれたと思う?


 「お客様のおかけになった番号は、現在つかわれておりません」


 血の気が引いた。

 アリサに何かあったんじゃないかと不安になりながら、念のためにアリサの実家に電話した。

 「どちらさまですか?」

 「夜分にすみません、ササメです。アリサはそちらにお邪魔していませんか」

 「どういう意味ですか? アリサはうちの娘ですが」

 何処か話がかみ合わない。それに、義母の声から警戒心を感じる。何か義母の怒りを買うことをしただろうか。相手を刺激しないよう遠回しに、俺たちの家に帰る時に、アリサから連絡がほしいことを伝えた。途端、アリサの母親は剣呑に怒鳴りつけた。


 「アリサは未婚です。いたずら電話はやめてください! 警察を呼びますよ!」


 一連の流れは、いたずらで許される範疇を飛び越えている。俺は、自分がどういう状況に置かれているのかわからず、恐ろしくなってきた。

 いや、わかっていることはある。

 ひとつ、死んだはずの親父が生きていること。しかも、母親が車の運転を案じたということは、日常的に運転する年齢だと認識されている。卒業の年、免許はとった。しかし、親父の車を使わせてもらえるようになったのは、親父が亡くなったあとだ。

 ふたつ、俺とアリサが結婚していないこと。アリサの母親の態度から、アリサとは知り合いですらないのかもしれない。

 ふと思いついた。まるで高校に入学した時の状況じゃないか。そうだ、このスマホを使っていた時の。

 俺は、今きた道を引き返した。



 喫煙所はいまだ明るかった。

 店には、例の店員だか、店長だかがいて、いらっしゃいませ、といった。

 最初にこの男が、商品としてこのスマホをすすめてきたことを思い出す。返品したい、そう俺は告げた。店員は、営業スマイルというやつで、一度返品された場合、再購入はできません、よろしいでしょうか、そう答えた。

 たたき返そうと思っていたスマホを握ったまま、店の入り口を出た。

 後ろで、そろそろ閉店なので、お早くお戻りください、と間延びした声がするが知ったことか。閉店していようが開けさせるだけだ。

 履歴をたどって、電話をかけた。


 「遅いぞバカ息子! 早く来ないとおまえの分もなくなるぞ、はっはっは!」


 親父は酔いが回っているのか上機嫌だった。

 想像する。

 今、家に帰ると、親父がいて、母親と晩酌している。

 酒好きらしいラインナップが並び、母親も日本酒につきあっているかもしれない。昔と違い、今なら、快く俺にも酒を飲ませるだろう。

 親父が元気なころは聞き流していた仕事のイロハを母親から再教育されているが、今なら、親父と取り組んでいくことになるのだろう。また怒鳴りあい、説教がとび、他愛もない笑い話があるに違いない。


 だが、アリサはいない。生まれたての、娘もいない。

 やっと実感が生まれたところの、ちいさい家族はいないのだ。


 「親父。子どもが生まれたんだ。俺はアリサと生きたい………ごめん…ごめんな…っ」


 もう一度、棺桶に蓋をしている気分だった――中にいる親父は生きているのに!

 罪悪感に打ちのめされそうだ。

 力なく腕を下ろす。これ以上親父の声を聴く勇気がなかった。なのに、切ろうとしたスマホから、声が。


 「がんばれよササメ」


 はっと見た画面で通話はすでに途絶えていた。

 ガキのようにわめきたかった。待ってくれ親父、そんな泣き言をかみ殺した。

 そして、すぐにもかけなおしそうになる指を握りこんで店に戻ると、あとは淡々と返品をした。

 ではこちら、今、お客様におすすめの商品です、そういって出されたのは、間違いなく、俺が店に来るまで使用していたスマホだった。

 店員をにらんでも、びくともしない笑顔で、無料ですよ、と白々しいことをいう。

 奪い去るように、俺は店を飛び出した。

 電話をかけた。

 つながった通話口から、赤子の鳴き声がする。

 失ったものと取り戻したもので喉がつかえ、言葉にならない。心臓がきつくしめつけられるみたいだった。


「なあに? どしたの、ササメ」

「…今から帰る」

「遅いよばーか」


 気をつけてね、お土産よろしく、明るい声で電話は切れた。

 座りこみそうになる自分に活を入れ、後ろを振り返って、ぎょっとした。

 喫煙所は真っ暗だった。

 店はない。

 店など、ない。

 喫煙所からは、昔ながらの駐輪場がホームの向こうに見えるだけだ。

 閉店、といっていた。聞いた時は取り合わなかったが、もし、もしも、返品が間に合っていなかったら――?



「今でもぞっとする。なんで今頃、お前たちの耳に入ったのかわからないが……同じ目にあったやつがいたのかもしれない」

 眉間に苦悶のしわをよせるササ。

 しかし、俺は話を聞きながら、もうひとつの選択肢の先を想像していた。

 ササと同じ体験をした人間がいたとして、はたしてそいつは、旧いスマホと新しいスマホ、どちらを選んだ? 死人が黄泉がえる誘惑に勝てる人間が何人いた?

 この平穏な田舎町で、善き隣人が死者と暮らしているかもしれない。それはそれは――――なんと残酷(しあわせ)な話じゃないか。

 さっと口元を手で覆った。口角が上がるのを止められない。

 あァ、日常にマスキングされた善良な人々の営みが、偽造シールかもしれないなんて!

 とても楽しい気分だが、浮かれて先走らないよう戒める。俺みたいな奴は、そういうのを見つけるとぐちゃぐちゃにしたくなるのでいけない。実際にそんな悪い(たのしい)コトをするには役者不足だ。なんてったって俺、ただの一般人なんで。ここはヴィランかヒールかモンスターにお楽しみいただくしかない……くっっそうらやましい。

 ぐいっと腕を引っ張られて空想から覚めた。

「ヒイロ、なんだこの手?」

「ササメさん、貴重なお話をありがとうございます。必要な情報は集まりました。――行こう、イル」

「おい」

 ヒイロはお構いなしで腕を引く。

 逆らってもいいことはない。げんなりしながらリードをひかれる。

 斜めに振り返ると、カルガモの行列でも見送るような顔したササが、ヒラヒラ伝票を振っていた。




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