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夏の企画に書き上がらなかったものを今更投稿します。
世の中、何だかんだと愛されるのは正義の味方だ。
しかし、地球が逆回転してもそんなものにはなれそうにない人間もいる。俺がそうだ。取るに足らない一般人なので犯罪者にはなりたくないが、イイ子ちゃんにもなりたくない。似たような仲間とつるみつつ、目をつけられない程度に楽しい不良ライフを送っていた。過去形。
なんで過去形かというと、隣の家に引っ越してきた赤の他人が同い年で、超のつくおせっかい野郎だったせいである。赤の他人といいつつ、同じ地域の隣人づきあいからは逃げられなかった。この隣人が、年齢が上がるにつれ俺の素行不良ライフに目をつけだし、監視員よろしくつきまとう。小さな親切巨大なお世話っていうアレだ。
隣人、名前はヒイロというが、泥の中の宝石さながら一般市民に混ぜようがない美形である。なんでこんなド田舎にきちゃったのお前。燦然と輝く美形オーラで目が痛いし、いろんな意味で周りが遠巻きにするし、どこにいても目立つ。正直お近づきになりたくない。ところが、正義感か幼馴染み故の刷り込みか、向こうからガンガン近づいてくる。
おかげでつるんでた連中は生温い目で離れていき、ささやかな悪さも許されず、「イルくんはすっかり丸くなったわね」とご近所の奥様方から評判です。くそヒイロめ。
そのヒイロが何をトチ狂ったのか、怪談なんぞもって押しかけやがった。
いわく、
駅に不思議な店があるらしい。
その店には、どんなものでも売ってるらしい。
ある客は一年前になくしたスマートフォンを買った。写真もアドレスも当時の何もかもが戻ってきたそうだ。
ある客は浮気した恋人の心を買った。他の人間には目もくれなくなった恋人と仲睦まじく添い遂げたそうだ。
ある客は失明した子どもの眼球を買った。子どもはなんでもよく見えるようになったそうだ。
「ほーほー。そりゃーメデタシメデタシ、世はすべてこともなし。クソみたいに面白くねー話だな」
ヒイロの奴はどう思ってるのかしらないが、俺は断然他人さまの不幸は蜜の味派である。
「うん。だからイル、一緒に駅にいこう」
「ゆーあーきでぃんぐ? 寝言は寝てからどーぞ」
「? 昼寝には遅い、夜には早い。イルは休み、私も休み。夏に怪談、駅は歩いて行ける」
何か問題がある?
首をかしげる仕草が聖女のように美しくて反吐が出る。
長い黒髪に彩られ、首筋が輝くように白い。禁欲的な襟元と、かみついたらさぞ柔らかそうな二の腕丸出しのノースリーブ。華奢な骨格に反して重量感のある胸元から、やけにひらひらした涼しげなスカートへ向かって無駄のない曲線美が続く。いやホント腹立つ女だな。
デリケートな男の部屋にのこのこ薄着でやってくる無神経さもイラっとするんだが、一番腹立たしいのは、これは据え膳と開き直ってコトにおよべない現状だ。見ての通り、天然という名のデリカシーゼロ女にイライラして何度か悪だくみをしたことはあるのだが、実行に移せたためしがない。良心がとがめたか? いーや、それはない。むしろ、原因ならはっきりしてる。ヒイロは化け物みたいに運と勘がいい、それにつきる。
運と勘だけ?と思うだろ。味わってみないとわからない類なので説明はなしだ。
繊細な美貌の小娘一人に誰も逆らえない、ただそれだけの喜劇と思っていただきたい。
「で、オンボロ駅のどこに素敵な店があるって?」
女神の下僕のように駅にやってきたまではよかった。いや何もよくはないが保留しておく。日本の国技・問題先送りの術である。
ともあれ、田舎の駅に「店」といったら哀愁漂う待合室とセットの寂れた売店である。動体視力?なにそれ美味しいの?って感じのばーちゃんの前に山積みされた商品を見ていると右手がうずくったらない。
などと思った瞬間、視線を感じた。ヒイロさまが見てる。
悪だくみなんかしてませんよ、と手をひらひらしてやった。安蛍光灯の下ですら星を映したように輝くヒイロの目が、右へ左へ追いかける。
「お前は猫か」
「イルは虎みたいだね。省エネしてると大きな野良猫みたいだけど、虎視眈々と機会をうかがってる感じがする」
「そうそう。お前も油断してると俺にぱくっと食われちまうぞ」
「? イルはレクター博士の友達?」
「会ったことも聞いたこともねえな。ノーベル賞でもとったのかそいつ」
「……ふふ、内緒」
何が面白かったのか、ヒイロはにこにこしている。
博士とか俺の人生に関係のない単語なのでどうでもいい。
問題は、どのへんでヒイロが怪談捜索に満足するかだ。
「ここからどうすんだ? 売店のばーちゃんに聞き込みか?」
「うん。話聞いてくるからイルは近くで待ってて――こんにちは、カツラギさん」
「あら、ヒイロちゃんじゃないの。こんにちは」
女同士の長話が始まりそうな匂いがする。
俺を巻き込まなかったのは賢明だ。189センチあって目つきが悪いというだけで女子どもに怖がられる。俺がそばに立ってるんじゃ出てくるネタも出てこない。外でタバコでも吸ってくるか。
手動のガラス扉を開けた瞬間、温い風がふきつける。ぼろい駅でもクーラーに守られてたんだな。駅舎の傍は庇がついて日陰だが、一歩向こうは灼熱地獄のロータリーだ。葬列みたいに黒いタクシーが誰かを待ち構えている。こんな田舎に客がくるとは思えないが。
日陰づたいに出入り口を離れ、人目のつかないベンチで火を着けた。細い紙巻から吸い込んだ毒物が体をめぐって血管が収縮するのを想像する。ろくでもない死に方するぞと、診療所の医者に脅されているのだがやめられない。まあ、生まれた時から母親のネグレクトというろくでもない人生なので、ろくでもないエピローグが待っているだろう。嬉しくて涙が出そうだ。
「おい、イルじゃないか」
足音が寄ってきたなと振り向けば、知った顔だった。どこかに行くと必ず誰かと会う、まるで小説か漫画のようだが、田舎ではよくある現象だ。
「よお、ササ。意外な場所で会うな」
ササは以前つるんでいた連中の一人だ。身長ばかりの俺とは違い、喧嘩上等の筋肉ゴリラである。高校卒業してすぐ家業をつぎ、今でも日に焼けた腕が凶器じみた太さをしている。ツキノワグマでも親戚にいるんだろうか。
「今、親戚を都会に送り返したところだ」
ほほう、ツキノワグマを都会に。
「んん。そういや、アリサはどうした?」
共通の知り合いであるササの嫁は、車でおとなしく待っているタイプじゃない。別行動か?
「うちでチビ達の世話」
「あのアリサが…」
ササの彼女だった時はパリピギャルもどきだったのに、今では二児の母だもんな。俺には遠い世界だ。
「イルこそ、駅に用事なんかないだろ」
「俺にはねェな」
「ああ。相変わらず嬢ちゃんも一緒か。仲がいいんだな」
「ヒイロとは仲よくないし、仲がよかったこともない」
しかし、相変わらず一緒にいる点だけは否定できねーのであった。無念。
ササが理解したようにうなずく。いわなくても通じるのはありがたい。
「で、嬢ちゃんはお前を放置して何してんだ?」
「怪談の聞き込み」
「連絡通路の階段か? 何を聞きこむんだ?」
「ちげーよ。ヒイロに与太話吹き込んだやつがいるんだよ。この駅でなんでも売ってるホラーな店があるって。バカバカしい、いつの時代の闇市だっての」
本当にどこのどいつだ。余計なことを。
相手を選んでほしい。あの内容じゃヒイロは気にするに決まってる。
ササもさぞあきれて――いなかった。初対面の人間にもわかるほど顔が青くなっていた。普段から引き締まった口もとがガチガチに強張っている。
「おいおい冗談だろ。つまらん噂話じゃねえのかよ。マジで何かあるのか?」
「――ある」
なんてこった。
無類の喧嘩好きで共にしょうもない悪さを散々やらかしたが、俺とは違って根が善良な男だ。つまり、こいつがあるというなら間違いなく「ある」のだ。
「ササこの後暇か? いや、忙しくてもいい、ツラかせや」
「物騒だな。逮捕状でもでるのか」
「ヒイロのアホは直接話を聞きたがる。今、お前を逃したら二度手間だ」
「嫌そうな顔だな?」
「嫌なんだ」
俺は情報収集から離脱してタバコを吸いに来たんだぞ?
それなのに、いつもと同じくヒイロの望み通りに事が運んでいく。
砂を齧ったような顔でタバコを携帯灰皿に押し込む。立ち上がるとササの意外そうな顔と目があった。
「なんだよ?」
「吸殻をその場に捨てるのはやめたのか、成長したな」
「けっ、ヒイロ大明神に執念深く追及されるんだよ。あーヤダヤダ」
躾けられた犬みてえでぞっとする。
まあいい。しばらくはお利口ワンコの真似事だ。