初めての顔合わせは、失敗だらけです
という夢を見たんだ。
昼休み。それは儚くて尊いもの。そして、団欒の場である。
友達同士で集まって昼飯を食べ、たわいもない話をしながら楽しい時間を過ごす。それはフルに稼働させられていた脳が与えられるご褒美。
あちらこちらから聞こえる楽しそうな声が、それを雄弁に物語っている。
どこのクラスも賑わっているだろう。現に、購買は多くの学生で盛況であった。
後輩、同級生、先輩。すれ違った彼等彼女等がどれに当てはまるのかは分からない。ただそのほとんどが団欒の場へ踵を返して行く。そんな中、俺はトイレに立ち寄った後、購買へ行き――屋上に来ていた。
名前が変わっても、元は通っていた母校。やっぱりここは常時開放されていた。ドアノブが素直に言う事を聞いてくれてとりあえず一安心。
久しぶりに来たけど、相変わらず寂しくて空虚な場所。
もしかしたら去年最後の使用者は俺であり、今年最初の使用者も俺かもしれない。その位、ここは誰も来ない。今もそれが続いていることに一安心。
それもそのはず。儚くて尊い昼休みに、わざわざ足を運んでまで来る場所ではない。そんな時間と労力はもったいない。
踏み出した足は空虚を破る。購買で買ってきたおにぎりとお茶が入ったビニール袋が嘲笑うように音を鳴らしている。
そのまま奥まで歩を進め、寂しいこの場を囲んでいる鉄柵に背中を預けた。
見上げれば、澄み渡る空が果てしなく続いている。
失敗した……
冷静になった今だから分かる。完全に失敗した。
そりゃそうだ。制服を羽織ってない見ず知らずの人間が勢いよく教室に入ってきたらどう思う? 俺ならドン引く。自分で言ってて落ち込む。
ただ聞いてくれ。これは不可抗力だ。そう、仕方なかったんだ。
俺の教室に、女子が、半数も居たんだぞ。半数も、だ。
いい匂いがした。あれが共学の匂いか……いや、女の子の匂いか……俺の知らない世界か……良いものだ――って言っている場じゃないっ!
ファーストコンタクトで失敗したんだぞ、俺! それが何を意味するか分かってんのか!? いや、止めよう。分かってるからこそ、こうして落ち込んでいるんだ。
目を丸くしてポカンとした表情。
そのどれもから感じられたのは誰こいつ? みたいな顔。
思い出すだけでも冷や汗が――
ああっ、もうっ! 止めだ、止め!
終わったことを後悔し続けても意味がない! 大事なのはこれからだ!
人は第一印象で決まるという。確かにそう思う。だが、それだけが全てじゃないじゃないっ!!
こいつの見た目厳ついな、関わんないようにしよ、からの喋ると意外といい奴じゃん。ってことがあったり。ガンちゃんのことである。
お、女だ。女の子だ。きっと良い子なんだろうなー、からのうんこ座り眼付け上等なヤンキー女だったり。マイヤである。
所詮、第一印象なんてこんなもんだ。普段を見ないと分からないことの方が多いんだ。
俺は第一印象で失敗した。これは紛れもない事実だ。
だからといって、それが全てか? 答えは否だ。それを全てと言うんであれば、矯正施設なんていらないんだよぉ!!
好感度なんて、対人関係なんて、幾らでもやり直せる。例えマイナスからのスタートであっても、これから同じクラスである限り好感度が上がる可能性は幾らでもある。
よし、切り替えた。飯を食おう。
俺は自分の気持ちを整理して、ビニール袋からお昼ご飯を取り出し、頬張った。
――そういえば。
おにぎりを食べながら思い出す。
不運にも不幸な顔合わせ――いや、これはもういい。が、終わった後の事。
授業をしていた先生もポカンとしていたが、それはすぐに終わった。
いち早く状況を呑み込んだであろう先生は俺を連れ出した。連れられた場所は校長室。
中へ入ると、そこには見知らぬ男性の姿があった。
俺の記憶ではここに座っていたのは五十代位の不潔でハゲ散らかしたおっさんだったはず。
だが目の前に座ってるのはそれじゃなかった。
歳は多分変わらない――と思う。が、見た目はまるっきり正反対だった。
フサフサな髪の毛と白髪を考慮した洒落ている髪型。そして、これまた手入れの行き届いたおしゃれで少し怖モテな口髭。
ガタイのいい体躯、皺のないスーツ。
それは正に清潔感の塊に見えた。
そして何より――発しているオーラ、というべきか。それが違った。
前の校長からは、はっきり言ってそんなものを感じられなかった。しかし、目の前の新しい校長は違う。
幾多の戦場を体験してきたような、数多の死線を潜り抜けてきたような、歴戦の猛者に感じられた。
そんな校長が俺を見据えた。正直、めちゃくちゃ怖かった。
俺を逃がすまいとする鋭い眼光。チビりそう……
俺もそんな眼光を見据える。逸らした瞬間、死ぬ。本能がそう告げていた。ここは既に――戦場だ。
一秒、そして一秒。時計が刻む時間は非常にうっとおしく聞こえた。血を送る心臓の音すらもうっとおしい。そして、もう一秒、時計が時間を刻んだ時――あっ。
新しい校長はニヤッと口角を上げた。
押し殺した笑い。それは徐々に大きくなっていき、さっきまであった静寂がなくなった。
俺は状況が呑み込めず、呆気にとられていた。とりあえず、助かった、のか?
新しい校長はそんな俺をもう一度見据えていた。それにはさっきの鋭い眼光は感じられなかった。
「そうか君が、か。そうか、そうか」
一人で納得してるけど、ごめんなさい。全くわかりません。だって、そうかと君しか言ってないんだもん。
そんな俺に気付いているのかいないのか、話は続けられた。
「リコル・ガルト君、まずはよく戻ってきてくれた」
「は、はあ」
「どうやら君が最後の一人のようだ」
え? 俺が最後? あー、不登校だったのがってことか。
え、何? そんな居たの? それはそれでヤバくない?
そっから持ち直したの? すげーなこの人。
「改めまして、私が新しくなったこの学校の学長兼理事長だ」
「は、はあ――はあ!?」
「何、君の事を叱るつもりはないよ」
「は、はい」
「そう畏まらなくともいい。個人的に私は彼等の中で君に一番期待しているのだ」
「はあ、え?」
俺に期待? 一番期待? どういうこと? 尚更分からない。
この前まで矯正施設に入っていたんだぞ? そんな奴より、真面目に勉学に勤しんできた他の奴らの方に期待した方が。それに不登校だったし。
でも、本当に期待してくれてるなら――
「リコル君、昼休みが終わってから授業に出てもらうが、大丈夫かな?」
「え、はい。大丈夫です」
「そうか、そうか。では、期待しているぞ」
こうして面談が終わり、俺は踵を返した。
「アーガルム矯正院に居た彼等の中で、監守達さえも唸らせた君の実力を、ね」
部屋を後にする時、何か言っていた気がする。でも、面と向かって言ってこないとなると、然程大事なことでもないのだろう。そんなことより――トイレに行かせてくれ。少し漏れた。
――結局、何で俺に期待しているんだろう?
昼飯を食べ終わった頭で考える。でも、分からない。眠気が混ざってきてるからだろうか。
いや、待てよ。
何故校長兼理事長――校長でいいや。校長は遅刻をしてきた俺を、制服も着ていない俺を叱らなかった? それどころか何故、あんなにも優しくされた?
君が最後の一人――これは不登校だった数。そして最後の一人の俺。
繋がった。
これはあれだ。俺を再び不登校にさせまいとする校長の方便。あっぶねー、危うく勘違いするところだったぜ。
そうだ、そうだよな。昨日まで不登校、その前は矯正施設。そんな俺が期待される方がおかしいもんな。ちょっと舞い上がってしまった俺が悔しい。
でも、まあ、勘違いしないで済んだのが救いか。
俺が導き出した答えに同調するように予鈴がなる。
俺はもう二度と前みたいな勘違いをしないと誓って、踵を返した。
◆◆◆
ということで。
校長と約束したように俺は午後からの授業に参加する。
今日はこれが最後の授業。そしてそれは魔法学の授業。
俺の席は真ん中の列の前から三番目。ほぼど真ん中だった。なんとも落ち着かない。
でも、別に良い。何故なら――両隣の席が女の子だからだ。
うおぉぉおお! これが女の子がいる教室か。良い! 実に良い!
以前までここがむさ苦しくて、汗にまみれた男臭いが漂う教室だったとは思えない!
昔の俺よ、知っているか? 教室は本来、うんこみたいな臭いはしないんだよ。それと、女の子は甘い匂いがする。
これが、これこそが、共学の力なのか
俺が教室の生まれ変わりを堪能している間、授業は進んでいった。
参加はしている。うん、一応は参加しているけども……ぜっんぜんわかんねぇ。
ムズくない? ねえ? 何皆して当たり前のように頷いてんの? これそんな簡単なことなの?
うんうん、と皆が先生の言葉に頷きながら授業は更に進んで行く。俺も分かってるふりだけはしておいた。
そんなことより。
やたらと視線を感じる。
俺が座ってる席が前の方というのならまだ分かる。黒板へ向いてる目を俺が勘違いしてるだけで済む。
しかし、俺の席は真ん中だ。真ん中の列の真ん中だ。それを自意識過剰な勘違い野郎で済ませるには無理がある。
俺は右隣の女の子をチラッと見ると、目が合った。その瞬間、逸らされてしまう。
えぇ……。そんな露骨にされると、ちょっと……
今度は左隣を見る。あっ……貴女もですか。
最後に周りを見渡して――悟った。
もうっ、この照れ屋さん達め。俺がいい男だからって、それはさすがにお・ち・こ・む・ぞ――ってんな訳あるかぁぁ!
女の子だけならまだ分かる。うん、分かる。だがしかし! おい、むさ苦しい男共、お前らが逸らす意味は何だ?
も、もしや……またこの教室を汗にまみれた男臭さで覆おうとしているのか?
それは傲慢だ。その傲慢は人を家畜(意味深)にして、道具(意味深)にして――それは俺達が俺達にやっちゃいけないことなんだ!!
俺は心の中で叫んだ。その間にも授業は進んで行く。
「では――ルミスさん、前に出て来て下さい」
「はい」
先生が一人の女子生徒を指名する。
その子は昨日俺の家に訪れた、あの可愛い子。
短めで薄茶色の髪がふわふわと揺れる。
少し幼さを感じる顔立ち。それと対照的な凛々しい立ち振舞い。
席から立ち上がり、教壇へ上がった彼女の姿に思わず見惚れてしまった。
目が合った。昨日と同様、微笑んでいる。
俺は目を逸らしてしまった。
めちゃくちゃ可愛い。何あれ!? 反則的な可愛いだろっ!!
俺は歓喜した。こんな可愛い子と同じクラスってことは、やっぱり俺達もう付き合って――はっ!?
同時に思った。俺はとんだ間違いをしていた、と。
そうだ。こんな可愛い子がいるのに、俺は何をしていた? 他の女の子に目移りさせていた。くっ……。
俺は何てことを……。いや、しかしまだ巻き返せる。そう、まだ俺の好感度なんてゼロを下回っているんだ。ここから巻き返すチャンスなんて幾らでも……。
俺は彼女に再び目を向ける。
彼女は先生が教卓の上に用意した水晶に手をかざしていた。
魔力水晶とも呼ばれているそれに、彼女は集中しながら魔力を送っていく。
水晶は彼女の魔力を浴びて、光輝いている。それは大きくて綺麗だった。
教室から、おおっ、とどよめきが起こっていた。
目を瞑った姿も可愛い。そりゃどよめきも起こる。
「す、すごいですね。ルミスさんありがとうございました」
先生の声で彼女が目をゆっくりと開ける。
もう少し見ていたかったが、心配いらない。脳裏に永久保存は完了している。
「先生」
今日だけでも良いものが見れた。これが明日から毎日見れる。共学――実に良い。
「はい、何でしょう?」
「リコルさんにもやってもらってよろしいでしょうか?」
俺がそんなことを思っていると、彼女の口から俺の名前が出た。
皆からの視線が集まる。いや、それはもういらない。肝心なのは――
「リコルさん、お願いしますね」
か、可愛い。はいっ! やります。やらせていただきますっ!!
彼女の声で俺は勢いよく席を立ち上がり、教壇に上がると彼女の前まで行き、こう言った。
「見てて」
自分が出来る全力のキメ顔で、彼女を見つめながら言った後、俺は自分の全力を水晶に注ぐ。
俺の力ではあの光は産み出せない。それは分かってる。
それでもやる。『何事にも全力で行う。それがモテる男だ』って昨日読んだ本に書いてた。なら従うまでよ。
それにほんの一瞬――この程度なら俺でも出来んじゃね? って思った自分が居た。
注いだ魔力を水晶が喰らい、光を起こす。そして――水晶は粉々に破裂した。