プロローグ
「今日は水島先生練習来ないのかな」
いつもより少し華やかさの足りない道場で、練習に身の入らない赤木は呟いた。こいつは弓道をしているというより、水島先生を見に来ていると言った方が正しいのではないかと、いつもながら思ってしまう。
「安心しろよ。職員会議ってだけだから、もうすぐ来るよ」
俺がその言葉を言い終えるのと同じか、少し早いタイミングで道場の扉が開く。
「お願いしまーす! 遅れてごめんねー!」
水島香織。俺のいる2年D組の担任にして、弓道部の顧問。見た目に少し幼さも残るが、大和撫子を体現したような美人で、赤木をはじめ校内でもファンが多く、先生目当てで入部する奴も多い。
「青野君、練習の進み具合はどう?」
部長である俺は、マネージャーから今日の目標射数と今の射数を確認し先生へ報告する。
「問題なく進んでいます。今が17時半なので、この調子なら19時には終わりますね。」
「そっか、ありがとね」
長く黒く艶やかな、いかにも美人を思わせるその髪を手早く結わえながら、水島先生は自身も射場に立つべく準備を進める。
「やっぱり先生がいると華やかさが違うよなー」
赤木だけでなく、他の部男子員も視線を泳がせる振りをしながら、やはり水島先生を見ている。人を見るのはいいが、女子部員達が自分達に向けている刺すような視線には気づいているのだろうか。
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「水島先生って彼氏とかいるのかな」
「もう何回目の会話だよ」
7月にもなると19時を回ってもまだ明るい。練習終わりの帰り道、赤木は大抵この話題だ。
「だって気になるだろー。まだ大学出て2年目って事は今年24歳、彼氏の一人や二人いてもおかしくないよなー」
「じゃあ一人か二人いるんじゃない?」
「ばっか! それじゃあ夢がないだろう!」
一体こいつには何て応えるのが正解なんだろう。きっと真面目に考えても、答えは見つからないだろう。そうこう考えている内に、赤木との分かれ道に差し掛かった。
「じゃあまた明日」
赤木と別れたその先に、いつも寄るコンビニがある。今日もそこで500mlパックのミルクティーを買い、外で飲みながらようやく暗くなり始めた空を呆然と眺める。
ーーもうすぐ来るだろうか
この時間が、幸福感と優越感と、一抹の寂しさを感じさせる。複雑な心境の整理が着かないまま、今日もまた見慣れた車は現れる。
「お待たせ」
何も返事はしない。ただいつものように、俺は水島香織の運転する車の助手席に乗り込んだ。