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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
7章 殿下の神託で不具合が起きていた話
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 水審。被告を水に入れ、浮かぶか沈むかで神意を問う神判らしい。どうも気配を察するに、浮いたら無罪らしい。でも正直、私が浮く気はしない。

 かつて使われ、そして今は廃れた文化である。それを、今になって掘り返す。実際にはどのような目的であるのか見えるというものである。

(事実上の処刑じゃないか)

 私は議場で交わされる言葉の節々に、その気配を感じ取っていた。決して誰も、それを口にしたりなどしない。けれど――。


 ……他の神判では駄目な、理由がある。例として挙げられていた熱鉄審なんかは、ざっと言えば熱い鉄を持って火傷の治りを見て判断するものらしいけれど、それが採択されることはまずない。――そんなものじゃ私は死なないのである。まあ痛いけど。心底やだけど。でもそっちの方がずっとマシだ。


 殿下からの伝言がなければ、私は多分、水審に対して猛反発していただろう。そんな、全くもって因果関係のない事象で有罪か無罪か決められてはたまったものではない。し、多分死にそうな気がする。手足縛られて水に落とされりゃ、人間沈むってもんである。


 昨日、あれほど雄弁に語っていた司祭は、今日はさして口を挟むことなく大人しくしている。私が視線を向けても、何も反応を示すことはない。怪しまれないようにそっと視線を外すが、内心で小さく頷く。一度気づいてしまえば、見れば見るほど王都にいた司祭である。

『あまり正道とは言いがたい方法で働きかけている』と、綴られていた連絡を思い返した。これが『それ』なのだろうか。詳細を知る術はないけれど、まさか殿下があまりにも非道なことをするとは思いたくはない。……まるでジャクトのように、大切なものを質にされ、その居場所すらも壊されるなんてこと、ないと信じたい。



 これまで何も動かなかった長期間が嘘のように、展開は早かった。神殿はジゼ=イールの話をもう、全て、跡形もなく終わらせてしまいたいのだ。私という火種を、残しておきたくはない。けれど火刑にすればそれこそ、王家と持ちつ持たれつで続いていた関係が完全に崩壊しかねないし、国の根幹を揺るがす事態だろう。

 やば、私めっちゃ重要人物じゃない? と、そろそろ開き直ってきた思考で独りごちる。まあそんなこと、今に始まった話ではないのだ。私の身には、ずっと前から、様々なものがのしかかっていた。

 ――殿下の求婚を受け入れたときから? 否、殿下の神託で、私が選ばれたときからだろうか。

 私は内心で頭を振る。違う、と目を眇めた。

 ――護衛官になったときから? 殿下に拾われたときから? それよりずっと前だ。

 記憶の底で、ぼやけた記憶が揺れた。柔らかな、暖かい、事実かも分からない、思い出にも満たない記憶。幼なごころに私が作り出した幻想かもしれないけれど。

 ――生まれたときから、私は、様々な因果を背負っていたのだ。



 連絡は頻度を減らしていた。事態がどのように運んでいるのかははっきりとは分からないが、神判に関するこの流れに、殿下が一枚噛んでいるのは明らかだろう。神殿がこうもノリノリである様子を見る限り、バレてはいない……はずだ。

 聖都からほど近いところに、森に包まれた小さめの山があるという。よく分かんないけど由緒正しい山だとかで、そこにある湖がイチオシだそうだ。

 審議は進む。私はただその渦中で耳を澄ませるばかりである。様々な思惑が、私の表層を掠めるように過ぎ去る。私はただ口を閉じて沈黙していた。……今、私に出来ることはない。

 殿下への信頼を揺らがさないようにすることだけが、私にすべきことである。


 私が大神殿に来てからふた月ほどが経った頃。

 ――水審が、決定した。



 ***


 深い水底を崖上から見下ろしながら、私はふるりと腹が竦むのを感じた。

「殺す気満々じゃん……」

 聖都から馬車でおよそ一刻。整えられていない道に跳ねる車輪に揺られ、私はここまで来た。


 底の見えない湖である。眺めているだけで何だかぞわぞわする。ここに身を沈めると考えただけで、言いようのない不安に襲われた。私は口元を押さえて顔を引きつらせる。

 そもそも深さが……おかしいじゃん……。いや、浮かべば良いのか。多分私沈みそうだけど……。

「ソルニア」

 つらつらと考えていた矢先、大司教に声をかけられた。私は崖下を覗き込むのをやめ、姿勢を戻した。お互い同じ高さに立って話をするのは、随分と久しぶりのことだった。四年ぶりだろうか。ここのところ、ずっと議場で見下ろされていたから。


 吹き抜けた風に髪をそよがせながら、私は真っ直ぐにその視線を受け止めた。

「私はアルカ・ティリと申します、大司教様」

 ざわりと木の葉が擦れる音がした。周りを森に囲まれた湖の上である。湿っぽく、鼻の奥を冷やすような空気が流れていた。高い場所から見下ろしてみると、この湖の他にも、点々と泉がいくつか並んでいるのが見える。

「殿下に頂いた名だと、言っていましたね」

「そんなこと言いましたっけ?」

 首を傾げると、大司教がゆったりと頷く。私たちの周りには誰もおらず、離れたところで神官たちが何やら作業をしていた。

「託宣人の認定の際です。そのときは殿下がすぐに制止しておられましたが」

「あ、ああ……。なるほど」

 思えばあのときから、殿下は私の身の上に関してある程度の危惧を抱いていたのだろう。……当時はせいぜい、孤児が託宣人になることにとやかく言われるのは厄介だ、という程度だったのかな。


「ソルニア。私は心の底から、あなたを想っているのですよ」

 私が訂正しても呼び方は変えないらしい。もう、それでいい。私の言葉はこの人には届かないのだ。この人の慈愛が私に響かないのと同じように。

「他の者が、どのような思惑を抱いているのか、分からぬほど愚鈍ではありません。それはけして私の本意ではない、と告げたところで、あなたにとっては何も変わらないでしょうが」

 憂いを滲ませて、大司教は囁く。もう十分に老いた男である。その表情に、私には窺い知れない深慮が皺として刻まれていた。でもそんなの私に関係ない。

「可哀想な子供です。その生まれゆえに神託に異常をきたし、こうして巻き込まれている。……可哀想に」

「私が可哀想に見えますか」

 ええ、と大司教は迷いのない動きで頷いた。……寒気がする。私はあからさますぎない程度に鼻で笑い、眼下の湖を一望する。嘲笑いながらここに突き落としても、哀れみながら突き落としても、同じことである。


「大司教さま。以前、私に、神とは何かと問いましたね」

 私の言葉に、大司教は頷く。「答えが見つかりましたか」との問いに頭を振り、私は背の高い大司教を見上げた。

「大司教さまにとって、神とは、何なのですか」

 ずっと分からなかったものが、大神殿に来たからといっていきなり見えてくる訳もない。そんなこと、問われるまでもなくいつだって考えている。私の視線を臆することなく受け止めて、大司教は目を細める。


「……我々を慈しみ、見守って下さるもの。常に共にあるもの。いつか私たちのゆきつくところ」

 歌うような口調だった。陶酔の混じった表情が、これが心よりの言葉であると物語っている。

「――私たちを、救ってくださる、ものです」

 神殿が祀る神に、明確な姿はない。偶像崇拝の禁じられた神には、物語のみが残されている。絵姿も、像も、遺物もない。ウルティカから、ヴィゼリーで祀られている聖人の話を聞いたときは心底驚いたものである。


 私たちは、限りなく概念に近い神を共有している。


「私たちを救うものが、神様なら、」

 何を口走ろうとしたのか、自分でも判然としていなかった。大司教は私の言葉を待つように目を細めたが、私が再び語り出すよりも早く、声がかけられた。

「大司教さま、」

 大司教は振り返る。ついにこのときが来た、と私は息を吐いた。


 風のざわめく湖のほとりで、私はその言葉を黙って受け止めた。

「――船の準備が出来ました」



 ***


「うわー、処刑感マックスじゃないですか」

「こら、シアトス」

 木立の影から湖とその畔を窺い、気楽な態度で目の上にひさしを作っている。呑気な近衛の態度に、ユリシスは重いため息をついた。……それが本心から寛いでいる訳ではないということは、分かっている。

「……ようやくここまで持ってきた」

 息混じりの呟きに、隊長が大きく頷く。ユリシスは目を閉じて木の幹にもたれかかり、腕を組んだ。


 様々な根回しをし、四方八方に手を伸ばし、何とかこの状況を作り出した。いくつか強引な手を取らざるを得なかったのが懸念材料だが、少なくともアルカを大神殿から引きずり出せた時点で上々だ。

「どれがアルカだ?」

 隊長が目を細めた。その視線を追って、ユリシスは顎を持ち上げる。

 曇天の下、湖を見下ろすことの出来る崖の上に、右往左往する人影がいくつか見えた。崖縁に、二つの影が佇んでいる。距離は遠く、はっきりと見える訳ではない。その顔さえも見えないのに、ユリシスは不思議とそれが目的の人物であると確信していた。


「あれだな」

 命に別状はなく、無事であるという報告は受けていたものの、すらりと伸びたその立ち姿に安堵が溢れる。まさか大神殿が託宣人に対して身体的な拷問を加えるはずもないと思っていたが、まさかということもある。どうやら余計な危惧だったようだ。

 思いのほか元気そうである。もちろん、近くで見てみないことには何とも言えないが。


 崖の裏にある斜面を下ったところに、木で作られた一艘の小舟が浮かんでいる。そこに乗り込む複数の人間を認めて、ユリシスは目を瞬いた。



 様々な手段で協力を迫った内通者の中に、ルセという名の司祭がいる。普段は王都にある神殿に仕えている司祭であり、ユリシスの神託を執り行ったまさにその人だ。今回の件で巻き添えを受けて召喚されたこの司祭は、比較的快く協力を引き受けてくれた。少なくとも本人はあの神託において問題が起きたとは考えていないようである。こちらの指示通りに神判を持ちかけ、それを盾にアルカをここまで連れてきた立役者でもある。

 そしてこの場では、ルセ司祭も舟に同乗する手筈だった。水審の際、被疑者は手足を縛られなければならない。そのような雑務を行う担当として舟に乗り、そして縄に『ちょっとした細工』を施す。ただそれだけである。危険ではあるが、怪しまれさえしなければ大丈夫なはずだった。


「まずい、」

 目を眇め、ユリシスは低い声で呟いた。異変に気づいたように、シアトスが身を乗り出す。それを隊長が引き戻し、「どうされましたか」とユリシスを振り返る。

「……ルセ司祭が、いない」

 シアトスが呆然と漏らした言葉に、隊長は大きく目を見開いた。



 ***


 揺れる小舟は、どうにも心許ない。私は僅かによろめきながら舟底に足を置くと、縁に手をかけて慎重に乗り込んだ。

 よっこらせ、とかがみ込むと、続けざまに数人が乗り込む。その顔ぶれを見て、私は「ん?」と首を傾げた。

(ルセ司祭、いなくない?)

 ルセ司祭が何か上手いことやってくれるから、私は水に落とされてから自力で泳いで脱出、のはずである。あまり詳しいことは知らされていないし、臨機応変な連絡が出来ないのは仕方ないんだけど、これは……。

(計画変更、なのかな?)


 嫌な予感がする。私は口をつぐんで青ざめた。まさかこんなところで『あれー? ルセ司祭はいないんですか?』なんて聞く訳にもいかない。

 私がひっそりと挙動不審になってあたふたしている内に、舟は岸辺を離れる。マジでルセ司祭がいない。大司教は陸地に残り、神判を見守るそうだ。その表情からは、何も読み取れなかった。いつも通りの柔和な顔である。

 胸騒ぎを抱えたまま、私は小さな舟に揺られながら、湖の中央へとこぎ出した。――この湖は、他の泉と中で繋がっているのだ。



 あつらえたみたいに重苦しい空模様だ。私は首を反らして天を仰いだ。思えば遠いところまで来たものだ、と内心で呟く。国の隅の街の隅、貧民街の孤児院で死にかけていたあの頃が懐かしい。……戻りたくはないけれど。

 まずいな、何だか変に感傷的だ、と私は頬をつねった。舟が割って進む水面を見下ろすが、どうにも暗くて不安しか湧かないのである。透明度の高い綺麗な湖と聞いていたが、光が射さないせいか、ただの暗い水の溜まり場にしか見えない。

「ソルニア・コルント」

 ぼんやりと舟の縁から下を覗き込んでいた私に、横柄な態度で声がかけられる。私は胡乱な視線で振り返った。腕を組んだ司教が、私をじろりと眺め回していた。

「懺悔することはないか」

「……特には」

 私がしれっと答えると、予想していたように司教は肩を竦めた。



 ぐいと腕を取られ、手首に縄が巻かれる。その様子を、私はじっと眺めていた。このままでは普通に水に突き落とされる。まずい、と焦りが腹の底を焦がすのに、変に平静を保っている自分がいた。鼓動だけは僅かに早鐘を打ち始めている。

「――良いことを教えてやろう」

 作業を眺めながら、司教が低い声で囁く。私はちらと目線だけをやった。その態度はあまりお気に召さなかったらしい。顔を歪めた司教が、私の手首の縄を鷲掴みにして、強く引いた。

 舟底にどうと倒れ込む。肩を打ち、思わず呻いた。もう動かすのに支障はないとは言え、貫かれた肩を打ち付けるのは流石に嬉しくはない。陸地からの目もある。司教は私が体を起こすのを手伝うふりをして身を屈め、そして、耳元で吐き捨てた。


「ルセ司祭は、逃亡した」


 ――息を飲んだことが答えになってしまった。司教は満足げに笑う。

 私は目を見開いたまま、今しがた囁かれた情報を反芻した。

(気づかれていた、のか)

 ルセ司祭を使って、この状況を作り出し、そして思うままに事態を運ぼうとした企みが、既にバレていた? そうでなければ、ここでその名が出るはずがない。切り札めいた出し方で告げるはずがなかった。



 足に縄が巻かれる。その先にくくりつけられたものを見て、思わず私は声を上げて笑いそうになった。くつくつと肩を揺らす私に、鋭い視線が向けられる。

「何が『神に真偽を問う』ですか」

 縄の先、しっかりと取り付けられた重石を指して、私は眉を上げた。挑戦的に向けた表情に、司教は嘲笑を返してくれる。私は呆れ果てるのを隠そうともせずに笑った。

「――――腐りきってる」

 こんな組織に、この国は牛耳られているのか。別に私はそんなことを憂う立場じゃないけど、薄ら不安である。


 私はさりげなく視線を落とし、手をもぞもぞと動かした。その様子を眺めて、司教は悦に入ったように笑っている。

(馬鹿だな、この人)

 外には出すことなく、内心、負けず劣らずの嘲笑を差し向ける。私はこれ以上手を動かすのをやめた。

 視線を上げ、私は今しがた確認した事実を思い返す。――手を縛る縄は、緩んでいた。この馬鹿が縄の結び目を引いて私を引き倒したせいである。恐らく力を入れて捻れば、それほど時間もかからずに両手は抜ける。射し込んできた光明に、私は僅かに不安をかき消した。



 手足を縛られ、私は船縁に腰掛ける。ふと空を見上げると、雲間から光が射し込んでいるところだった。


 同乗している司教は、不意に私に視線を向けた。

「――エルアルディという名に、聞き覚えはあるか」

 この問いは、私が大神殿に来たばかりの頃にも投げかけられたものだった。そのとき私は何と答えたのだったか、いまいち思い出せない。私は視線をすいと水面に向けた。風が起こすさざ波と、私たちの乗る舟による波紋がぶつかり、打ち消し合う。その様子を少し眺めてから、私はわざとらしく首を傾げた。

「……さあ?」

 確か、あのときも私は、今みたいに頬を吊り上げて笑ったのだと思う。私が何も語るつもりがないことを気取ったらしい、質問をした司教は舌打ちをした。大司教に比べると、随分と人間くさい男だった。確かあのときの司教が、今、同じ舟の上にいるこの男だろう。今回の議題に関係ない為に、この件は審議ではあまり取り扱われなかったが、やはり興味津々でならなかったらしい。


 湖を舐める冷たい風を頬に受けながら、私は唱えるように囁く。

「……エルアルディ・ユーレリケ」

 家名までを一気に言った私に、司教は腰を浮かせ、愕然としたように絶句した。私はせせら笑う。

「そいつを知っているのか!」

「名前だけ。私、そんな名前の人は知りません。でも」

 ゆっくりと体を後ろに倒す。舟がぎしりと傾く。手が伸ばされるが、私はそれをひょいとかわした。きっと神殿は、その名前を持つ人間の行く末を、知りたくて堪らないだろう。どんな情報でも、喉から手が出るほど欲しいはずだ。

 二ヶ月も散々耐えたんだ、ひとつくらいの意趣返しは許されるだろう。私は目を細め、息だけで嗤って囁いた。


「――きっと、とっても悪い奴ですよ」


 私は大きく息を吸い込み、背中から水の中へ滑り込む。

(ん?)

 ……どこかで、水音が、した。



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