9
聖都に近づくにつれて、道が整備されてゆくのが分かった。全速力で馬を走らせること四日間。遠くに見えた聖都に、私は大きく息を吸った。
「アルカ、本当に」
「今更、引き返すと思いますか」
一度手綱を引き、道半ばで短く言葉を交わす。私の言葉に、隊長は静かに首を振った。
「……お前がここまで殿下に傾倒するとは思わなかった」
「私もですよ」
私は苦笑して頭を掻く。隊長は私を振り返って、痛ましいものを見るように目を細めた。その視線には見覚えがある。今まで色々な人から向けられてきたものである。
「隊長、違いますよ」と私は笑った。妙に晴れやかな感情だった。自分の歩む道がどのようなものか、全く想像が出来ない訳ではない。順当に考えれば、私がこの聖都から再び出ることはないだろう。誰もがそう考えているはずだ。……口にしないだけで。
「私は、自分を軽んじているから、ここに来たんじゃないですよ」
そう言うと、反対側で先輩が「は?」と漏らす。失礼な相槌である。
「私は確かに、殿下の為なら何を犠牲にしても構わないと思ってますし、……命も惜しくないと思っていますけど」
「ほら」と先輩が呆れたように指を指してくる。私は唇を尖らせて「ます、けど」と逆説を強調した。
「私には、他にも大切なものがたくさんあります。ジャクトを失うまで、私、そんな簡単なことにさえ気づけなかったんです」
ジャクトの名前をてらいもなく出したことに、二人は僅かに驚いたような表情を見せた。抗いようもなく浮かぶ思い出を苦く飲み下しながら、私は何とか頬を持ち上げる。
「同じように、誰かにとって、私は大切なもので、……だから私は私のことが、大切です。それは何度も何度も、殿下や隊長、あと先輩とかも含む、みんなが教えてくれたことです」
――私は数多の命の上に立っている。今となってはどのような事情だったのか知るよしもないが、私は燃やされゆくジゼ=イールから逃がされた。ルラを看取った。メガネを見捨てた。孤児院で沢山の子供たちが死んでいく中で、私とノッポだけが生き残った。
ノッポは言った。――なあノロマ、俺たちを救ってくれる奴なんて、どこにもいやしないんだぜ。
私は晴れやかな表情で呟く。
「たくさんの人が、私を救ってくれました。殿下が、私を救ってくれた」
私は軽く馬の腹を蹴って、ゆったりと道を歩かせ始める。
「別荘で、たくさん考えました。私にとっての殿下が何なのか。殿下にとっての私が何なのか。そんなことは今までにも何度も考えてきたのに、大切なものを考えずに生きてきました」
馬の脚を速める。整えられた道に、蹄鉄の音が響く。
「……私は、何なのか」
追随するように二頭の馬が並ぶ。被っていたフードが風で落ちたが、もうそれを戻すのも億劫だった。初春の風はまだ少し冷たかったけれど、それでも良かった。
「殿下は何度も私に伝えてくれました。私が何者でも、殿下は私を受け入れてくれると。でも私、その言葉の意味がずっと分からなかった。最近になってようやく、僅かに掴みかけた気がします。あれはただの口説き文句じゃない、ただの優しい言葉じゃない。……あれはきっと、祝福であり、祈りだった」
聖都が近づく。ほとんど独り言のように、私は呟く。
「私は、何の象徴にもなりたくない。私はジゼ=イールの――異端の象徴じゃないし、神殿に対抗する人間の象徴でもない。私は、私です。殿下の護衛官であり、託宣人であり、婚約者でもあり、ソルニア・コルントであり、ノロマでもあるけれど、でもそのどれも違う。私はアルカ・ティリなんです」
開け放たれたままの門、その向こうを透かし見る。汚れを排したどこまでも純粋な都である。
「判断を殿下に委ねるのはやめました。殿下がいないと何も出来ない私は、私じゃない。私が何をしたいかは、私が知っています」
その上で、私は、殿下のもとへゆきたいのだ。もう一秒だって待っていられない。
「私は、死ぬつもりなんて毛頭ない」
生きろよ、ノロマ。強い声が脳裏をよぎる。一緒に生きよう、と殿下が微笑んだ。
馬の首筋に身を伏せ、私は息を詰める。勢いを増したまま門を抜け、目抜き通りを駆けて、街を見下ろすようにそびえ立つ大聖堂を睨み上げた。低い声で隊長が囁く。
「必ず帰って来い、アルカ・ティリ」
「はい。どれだけ時間がかかったって、絶対に」
三頭の馬が大神殿の前に止まる。雇いの衛士らしき数人が歩み寄ってくるのを視界の端で捉えながら、私は馬を下りた。手綱を隊長に託し、私は模様を描く石畳を強く踏みしめながら歩いた。
歩きながら、右手で左の袖を軽く持ち上げる。この腕輪が私の手首に嵌まってから、もう四年ほどが経つ。思えば、あれが全ての始まりだった。
私が掲げた左腕で、素性はすぐに知れたらしい。衛士が私に手を伸ばすのを、私は鋭い睥睨で制した。
日は最も高い位置まで昇り、辺りをあますことなく照らしていた。陽の光を思うがままに浴びて、白い肌をした大神殿は輝いていた。その入り口まで、真っ直ぐに歩く。
「……アルカっ」
堪えきれず、というように、先輩が叫んだ。その声ははっきり聞こえていたが、しかし私は振り返らなかった。きりりと唇を引き結んで、私は大神殿の入り口に足を踏み入れる。隊長と先輩は一緒に来れない。断りもなく武器を持った王家の人間が大神殿に足を踏み入れるのは、ほとんど反逆と一緒である。入れるのは私だけ。この腕輪を持つ、私ひとりだけ。
数年前、この廊下を殿下と一緒に歩いた。白い列柱が両脇に並ぶ、幅の広い通路である。徐々に人が集まってくる気配を感じて、私は頬を吊り上げた。
「お前は、」
意表を突かれた様子の神官が出てきて、私を心底軽蔑するような眼を向けた。私はその視線を受け止めて、静かに睨み返す。
「私は託宣人です。間違っても『お前』だなんて呼ばれる筋合いはありませんね」
左の手首を掲げて、私は高圧的に告げた。そこに輝いているのは、紛れもなく神託の腕輪である。神官がぐっと押し黙る。私は超然と告げた。
「神が、私を選んだんですよ」
触るな、と衛士を振り払い、私は周囲を見回した。私をどう扱ったら良いものか、完全に決めあぐねているらしい。当然だ。私はずっと王都の城にいることになっていたし、何の前触れも出していない。これは完全な奇襲である。
「殿下のところへ、案内しなさい。――今すぐに」
金色が目を刺す。私は顎を持ち上げ、右往左往している神官たちを見据えた。あからさまに戸惑っている。ここでは当然のように私は異端者として認識されているだろうし、でも当の本人が神の威光を振りかざして案内しろと迫っているのである。私は視線を強めて、近くにいた神官を呼び止める。
「殿下は、どこに?」
「ゆ、ユリシス殿下なら、現在神託の審議中で……」
「そう」
あまり喋ると馬鹿が露呈する、とは先輩の言である。最高に失礼だが事実なのが悲しい。「それはどこで?」と言葉少なに私は問うた。
「奥の、議場です」
哀れにも標的にされた――というか私がしてるんだけど――神官は、狼狽えながら答える。私は無言で頷いて、汚れの一切ない廊下を闊歩し始めた。
懐かしい。殿下の神託ののち、私たちは託宣人の認定のためにここを訪れたのだ。そうして、大司教やその他の司教のもと、私は殿下の託宣人であると認められた。
「……まさか再訪がこんな形になるなんて思わなかったな」
今、神殿は、あの神託を誤りであったと判決を下そうとしている。前回とはまるで逆だった。
殿下の神託を無効とする。それは神殿が描いた結論だ。
私はあのとき神託において、儀式の一部を担当した。それはむしろ、先の神託における不正を受けて神殿側から言い出したことではあったのだが、その点は何も触れられないらしい。私が神託に関わったことに、何か問題があったのだろう、と、神殿ではそんな道筋が描かれている。
――すなわち、異端者が神託を執り行ったことにより、神託に誤りが生まれたのだと、そういう話である。
きっと審議はその道筋に沿った流れで進む。結論はそれ以外に有り得ない。私が異端者で、殿下はそんな異端者に神託を歪められた被害者。殿下は王位継承権を得ることは永遠にないけれど、その名誉は守られる。それが、神殿が暗に提示した落としどころだった。
……そして、それを陛下は飲んだ。
私は大股で廊下を歩いた。素朴ながら華やかな中庭を一瞥し、一定の間隔で廊下に落ちる列柱の影を踏みながら、私は奥歯を噛みしめる。先触れを出しに行くのか、中庭の反対側を数人の神官が全力疾走するのを認めて、私は声を漏らしてくつくつと笑った。大神殿の廊下をダッシュするなんて、きっと最初で最後の機会だろう。
「殿下、怒るだろうな」
私は歌うように呟いた。私が自らのこのこと聖都までやって来たのを知ったら、殿下はさぞかし怒るだろうし、驚くだろうし、悲しむだろう。でも別にそれで良い。
突き当たりの扉を睨みつけ、私は一歩一歩を硬くして、歩を進める。――殿下はもうすぐそこだ。
「殿下。あまりにも強情が過ぎますぞ」
数秒前に開け放たれた扉から、呆れ果て苦り切ったような声が漏れ聞こえた。それに対して、殿下の声が何かを応じる。不安になったときの癖で、私は思わず左手を右の腰に当ててから、苦笑して手を下ろした。……剣は、王都の城に置いてきたのだ。
「そんなことでは、神に救われますまい。良いですか、殿下。あなたの放つべき正しい答えをよくお考えなさい」
扉の向こうから聞こえてくる言葉に、私は息を止めた。
「何を、言って……」
ろくすっぽ神を信じていない私にも、それは筆舌に尽くしがたい侮辱であるように思えた。
私は一度目を閉じ、僅かに首を反らして息を吸った。心臓が早鐘を打っているのが分かった。取り返しのつかないことをしようとしているのではないか、と思ったけれど、そんなのここに足を踏み入れた時点で自明のことだった。
自然と閉じてゆく扉の隙間から、前触れなしの訪問を知らせる声が響く。両開きになっている、重たげな厚い木の扉が、ざわめきを遮断するようにゆっくりと閉じてゆく。私は左手を伸ばした。
扉の向こうに、慣れ親しんだ、けれど懐かしい後ろ姿を見つける。その背を視界に入れた瞬間、息が詰まった。私は目を細めながら、一歩を大きくする。
――殿下。……殿下、あなたの為なら、私は火の中だって怖くないのです。
彼が振り返る動きが、やけに緩慢に見えた。大きく目を見開いたその表情が、私を見つけた瞬間、はっきりと歪む。
――でもそうしたら、あなたが酷く悲しむから、……私もそれは嫌だから。
完全に閉じる寸前、私は扉に手をかけ、ゆっくりと息をした。この先の部屋で、全員が固唾を飲んでいる気配がした。たっぷり三秒は焦らしてから、私は力を込めて扉を引いた。肩は僅かに違和感を訴えたが、痛みと呼ぶには鈍いものだった。
扉を開け放つと、私は真っ直ぐに姿勢を伸ばしたまま、広い議場に足を踏み入れた。入り口を底とするすり鉢状で、半円状に机と椅子が並んでいる部屋だった。議場は法衣を着た聖職者で満たされ、威圧するようにこちらを見下ろしている。入ってすぐ、議場の中心に、殿下がいた。
「アルカ、」
愕然としたように呟く声を黙殺して、私は足を肩幅に開いて立ち止まる。大きく息を吸った。正面にいる大司教は、酷く優しげな表情で私を見下ろした。
「――神が、殿下を救ってくれないのなら、」
声を震わすまいと腹に力を入れたのに、言葉尻は隠しようもないほどに揺れていた。
「それは、私の神様じゃ、ありません」
自分が何を言っているかは理解していた。けれどどういう訳か、口にせずにはいられなかったのだ。真っ向から神を否定するような言葉に、議場は悲鳴のようなどよめきに包まれた。それを感じながら、私は黙って拳を強く握る。
少しして、大司教が両手を掲げ、鋭く手を打った。一呼吸ほどの時間をかけて、喧噪が下火になる。静かになった室内で、私は再度唾を飲んだ。口の中がカラカラだ。表情と言葉こそ何とか取り繕っているものの、正直、内臓が全部ひっくり返りそうだった。
殿下は椅子から腰を浮かせ、絶句したまま私を見つめている。けれどその視線に応えてやることはできない。
「再三の召喚にもかかわらず、参上が遅れて申し訳ありません。怪我がなかなか治らなくて」
私はしれっとした態度を装って、部屋をぐるりと見回す。しんと静まりかえった部屋の中、私と殿下だけが立っていた。
ざわつく議場の中、大司教だけがゆったりと、目を細めて私を見下ろしている。
「こんにちは、ソルニア・コルント」
「私はアルカ・ティリにございます、大司教さま」
にこりと微笑んで、私は慌ただしく運ばれて来た椅子を受け取り、殿下の椅子の隣に並べた。殿下は動揺冷めやらぬ様子で、それでも表情だけは何とか引き締めて腰を下ろした。
「いいえ、ソルニア」
大司教は柔和な表情で首を振る。「血の繋がりを断つことなど出来ませんよ」
殿下がちらと横目で私を見たようだった。私がここで言い返すと思ったのだろう。制止するような視線に、内心で苦笑する。
「何はともあれ――ここに自ら来たことは素晴らしいことです」
大司教はゆったりと手を叩いた。それを皮切りに、ぱらぱらと拍手が広がり、やがて部屋中の人間が手を叩いて私を褒め称える。表情をぴくりともさせずに座ったままでいると、徐々に拍手は収まり、再び静寂が部屋を満たした。
殿下は何か言いたげに私を見ていたが、この場で口を開くことも出来ないようで、心底もどかしそうに私に目線をよこす。私は敢えてその視線を受け止めず、気づかないふりで正面の大司教を見上げた。
「以後の取り調べは、私が」
そう告げると、大司教は分かりやすく目を細めた。続きを促すような表情にため息をついて、私は再度口を開く。
「議題は、私に関してでしょう。それならば殿下がここで拘束される理由はありません」
「アル、」
強く言い切ると、大司教は「なるほど」と満足げに頷き、左右の司教に意見を伺うように視線をやった。私の名を呼びかけて、殿下は何とか口をつぐんだようだった。目の前で会話が交わされる。その内容までは聞こえてこないが、議場はそれを待つように静まりかえっていた。
「……アルカ」
殿下が、視線を向けないまま、低い声で囁いた。なるほど、怒り心頭である。私は内心で独りごちながら、「はい」と頬を僅かに持ち上げる。滅多に聞かないような、地を這うような声だった。
「どうしてここに来た」
「私が、来たかったからです」
唇だけを僅かに動かし、私はほとんど息のような声で答えた。殿下は音のないため息をついた。
「殿下をここから救い出しに来たんです。何を賭しても構わないと思って」
私の言葉に、殿下が鋭く息を飲んだ。そんなことは望んでいない、とでも言いたげな息遣いだった。私はほんの少し視線を横に動かした。殿下と目があった。その表情の隅々にまで、憔悴しきったような形跡が見られた。私は思わず眦を下げる。
「だから、絶対に、」
顔をふいと正面に戻し、私は息を噛み砕くようにして囁いた。
「――絶対に、迎えに来て下さい」
殿下は目を見張ったようだった。数度瞬きを繰り返し、それから、俯く素振りで、深く頷く。表情が変わったのが分かった。それまで戸惑いと焦りに支配されていた口元が、不意に引き締まる。
「分かった」と、それだけ答えた。それだけで十分だった。
「よろしいでしょう、ソルニア」
大司教は鷹揚に頷いた。一度鋭く手を打って、部屋の空気を締め直す。
「殿下には十分お話を伺いました。あまり長くお時間を戴くのも望ましくはありません。……そうですね、ユリシス殿下」
大司教が窺うと、殿下は苦虫を噛みつぶしたような顔で「はい」と頷いた。大司教は末席を振り返り、片手を挙げた。
「オルジ、王都へ書簡を」
「その必要はありません。大神殿の外で殿下の近衛が控えております」
私は大司教の言葉を遮って告げる。殿下が深いため息をついた。どのメンバーかおおよそ見当がついたらしい。まあ、多分予想は当たっているだろう。
様々な手続きらしきものが進行したのち、「殿下、こちらへ」と一人の神官が殿下を促す。殿下は一呼吸置いてから立ち上がり、じっと私を見下ろした。私が顎をもたげて顔を向けると、数秒の間、無言で視線が絡まる。その唇が私の名前を描いてから、殿下は歩き出した。簡素な暇乞いの挨拶をする殿下の声が、耳にこびりついていた。
ばたん、と扉が閉じた。残されたのは私ひとりだった。
「献身的なことですね」と大司教が穏やかな声で呟く。私はその声を無視して、一度瞬きをした。
「さて、話を戻しましょう」
それは酷く優しげな声だったが、私の耳にはほとんど宣告のように聞こえていた。私は凪いだ心持ちで、今頃神殿の廊下を歩いているであろう殿下のことを思った。
殿下。あなたはあの廊下を歩きながら、私と同じ日のことを思い出していますか。一緒に、この聖都を訪れた、あの日を。
あの日、私はここで、殿下の託宣人になった。
「――殿下の神託で、不具合が起きていた話、ですか」
そしてここで、その事実さえも誤りだったとして、私の役割は葬られようとしている。
私は腕をまくり、左手を前に突き出した。天井近くの採光窓から落ちる光は筋になり、揺らぐことなく私の手首を打ち据える。目に痛いほどに腕輪は輝いた。
「私はそうとは思いません」
刻まれた文様。古代神聖文字で綴られた言葉。私には読めない文章。それでもそこに、人知を越えた何かを感じる気持ちはあった。
一度息を吸って、私は肩の力を意識的に抜き、姿勢を真っ直ぐに柔らかく保つ。瞼の縁をなぞるように、上段に座る大司教を睨み上げた。
「私が殿下と出会ったのは、神託が為されるより五年も前のことです。伝え聞いた話に依れば、そのとき殿下は私に対して強い関心を抱いたのだと。それはまさしく『初対面の人間に対して強く抱く感情ではないようなもの』であり、神託を下された王族が託宣人を見分ける際に大きな手がかりになるものではないかと、私はそう考えています」
「その話は殿下からも伺いました。どうやら事実であるようですね」
やっぱりこの辺りは殿下も説明しているか、と私は内心で独りごちた。
それからいくつか神託に関する質問を受け、それに対して答えることが続く。いちいちヒヤッとする質問を混ぜてくるので、途中から頭が痛くなってきた。
採光窓から射し込む光が橙色になってきた頃、審議は一旦締められた。椅子の上でこっそりと伸びをしながら、私は欠伸を噛み殺す。
――これからしばらく、私は大神殿から出ることはできないだろう。
ふと視線を鋭くして、私は議場を見回した。ざっと数え切ることの出来ない人数の目が私を見下ろしていた。悪趣味な部屋の形である。問われる側は誰よりも低い位置にいて、問う側は上から大勢でこちらを見下ろしていればよい。
やな感じ……と私は唇を尖らせる。殿下もこうして圧をかけられていたのだろう。そう思うと何だか業腹だった。私もこれからは、殿下と同じ、議場の底で苛まれるのだ。
つかれた、と私はこっそり項垂れる。ここに来るまでは、殿下の為なら何だって耐えられ利と思っていたけれど、今は何だか先行きが不安だ。
「ソルニア」
不意に声をかけられ、私は緩慢な動きで顔を上げた。大司教が優しく私を眺めている。
「これは審議とは関係のない質問です」
疲れた頭に、穏やかな声が染み込んできた。私はぎこちなく頷く。大司教は笑みを深める。
「あなたにとっての、神とは、何ですか?」
突如として投げかけられた、曖昧で重たい問いに、私は思わず息を止めた。これは本当に審議には関わらないのか? ここでの私の答え如何で待遇が変わったりはしないのだろうか。
必死になって頭を巡らせる。何が目的か、ここで何と答えるのが最適なのか、そして、問われたことについて。
ややあって、私は「分かりません」と力なく首を振った。大司教はゆっくりと息を飲み、それから哀れむように眉根を寄せた。そんな反応をされる筋合いはない、と言いたかったけれど、大司教は心の底から私を可哀想に思っているようだった。
***
案内されたのは大神殿の片隅の居住区、そのまた更に隅っこの小さな部屋だった。小さな窓が一つ。粗末なベッドと棚くらいしかない部屋だ。ここでの私の扱いも知れるというものである。
「殿下……」
ベッドに腰掛け、私は小さく呟く。……思ったより長期戦を覚悟した方が良いかもしれない。
恐らく私が問答無用で火刑になることはない、と、陛下からの書簡には書いてあった。仮にも託宣人だし。婚約者だし。ただ……
「……いつ出れるかなぁ」
私はごろんと仰向けになって、長い息を吐いた。目を閉じると、議場で一瞬だけ目を合わせたときの殿下の視線が蘇る。まだ殿下は道中だろう。無事に王都まで帰れるだろうか。体調を崩さなければ良いけれど。隊長、怒られてるかなぁ。
のそのそと寝返りを打ち、足をベッドの上に持ち上げると、私は長い息を吐く。
「頑張れ、アルカ」
自分に言い聞かせるように囁いて、私は目を閉じた。




