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殿下の神託で不具合が起きた話  作者: 冬至 春化
7章 殿下の神託で不具合が起きていた話
52/59

8


 玄関先に現れた隊長に、私は目を丸くする。伝令役として隊長が来たことに、僅かな違和感を覚えた。

「お久しぶりです、隊長」

「元気そうだな、アルカ」

 早足で近寄って、じっとその表情を見上げる。「隊長が来るなんて、初めてのことですね」と探りを入れるが、隊長はさらりと「そういえばそうだな」と応じた。


「何で隊長なんですか?」

 もはや探りを入れるというよりは、ただの追究である。目に見えて訝しげな様子を見せる私に、隊長は一瞬だけ視線を逸らした。

「たまたまだ」

「殿下のお側にいなくて良いんですか? 近衛の指揮は誰が執っているんですか」

 隊長にまとわりついて不信感を露わにする私を、先輩が「おい」となだめる。


「隊長だって半日馬を走らせてきたところなんだぞ。お前には上官を労ろうという心がないのか」

「……どうぞごゆっくり」

 とってつけたようなお辞儀をしてから、私は一歩横に退いた。隊長が玄関に足を踏み入れ、まじまじと辺りを見回す。「良い屋敷だな」と頷くので、私は「そうでしょう」と微笑んだ。

「怪我の調子はどうだ」

「良い感じです。まだ激しく動かすとちょっと引きつる感じがしますけど、普通に生活する上で支障はありません」

 剣を握れるようになるかどうかは、正直、分からない。試していないし、何となく、試すのも怖い気がした。話題を逸らすように、私は隊長を振り返る。

「殿下はお元気ですか?」

「ああ」

 外套を脱ぎながら、隊長がさらりと応じる。私は頑なにこちらを見ようとしない隊長をじっと見つめた。


 昼食はまだだと言った隊長のために、軽食が用意された。私は既に昼食を終えた後だったが、手持ち無沙汰に軽食を摘まむ。

「ここに来る道中、ずっと花が咲いていた」

「森の中も華やいでいたでしょう」

 隊長は窓の外を眺めながら頷いた。そんなことを話したいのではないのだろうな、と、私はその表情を眺めながら思う。

 隊長はいやに硬い顔をしていた。平然と言葉を交わしているつもりなんだろうが、とても隠し切れていないのだ。それに対する先輩の対応も露骨。私は隊長から目を逸らさないまま、本題を迫るように身を乗り出す。


 程なくして、隊長は「勘弁してくれ」と額を押さえた。私は何とか抑えた声で、「何か、あったんですね」と呟く。隊長は否定しなかった。

「……いずれ、分かる」

 隊長は呻くように答えた。私は眉をひそめる。それは、今ここで話せないような事情なのか。どうして言えないのか、と詰め寄りたいのを懸命に抑えて、私はぎゅっと膝の上で拳を握った。

「じゃあ、せめて教えて下さい」

 私は腰を浮かせて、机に両の手をついて、ぐるりと部屋の中を見渡す。この件は、私にのみ伝えられていない。肌でそう感じていた通り、誰もが重い表情で私を見返した。


「――それは、殿下に関わることですか?」

 隊長は私から目を逸らさぬまま、苦々しい表情で応じる。

「殿下は、一切の情報をお前に流すことを禁じた。それが答えだ」

 私は声にならない声を漏らし、息を止めた。


 どくどくと血が流れる音が、やけに鮮明に迫る。指先が震えた。私は左の手首、金色をした腕輪の嵌まるところを、強く握りしめた。

「それ以上は、もう、何も……?」

「殿下の命令だ」

 先輩はにべもなく答え、これ以上の返答を拒むように口をつぐんだ。その表情から、内心ではこの箝口令に納得していないことが伝わる。私は唇を噛み、立ったまま、机を睨みつけた。


「託宣人は、王族と同等の権限を持つ。違いますか」

 私は隊長を睨みつける。隊長は私が言わんとしていることを察したように目を見開いた。

「そんな制度上のことを持ち出しても、俺は口を割らんぞ」

「じゃあ隊長のことクビにします」

「俺たちは殿下の近衛だ。進退の決定権は殿下にある」

「はい。殿下が私の決定を覆すから、何の問題もないでしょう。……殿下が、今、ご無事なんだったらの話ですが」

 私は天板に手のひらを踏ん張って、隊長と対峙する。隊長は心底苦り切った顔で舌打ちをした。

「……どこの馬鹿がこいつに権力を与えたんだ」

「残念ながら神様なんですよねぇ」

 口角を上げて左手を掲げると、隊長はもっと聞こえやすく舌打ちをする。


「クビになりたくなかったら、全部、さっさと吐いて下さい」

「あんなに素直で可愛いちびっ子だったのに、いつの間にこんな……」

「素敵な思い出を捏造しないで下さい。私はいつだってこすくてどうしようもない悪ガキでしたよ」

 頭痛がするというように頭を抱えた隊長に、私は腕を組む。「私はこの場で拇印つきの解雇状をしたためたって良いんですよ」

 わざとらしく高圧的な追い打ちに、先輩が大きなため息をつき、隊長は頭を掻いた。



 ***


 大神殿の奥に、聖堂とはまた異なる、大きな部屋がある。普段あまり使われることのない議場である。

 神殿裁判や、何か決めごとがある際の話し合いなど、広い用途で使用される部屋。その中心に置かれた木の椅子に腰掛け、ユリシスは静かに上段の聖職者たちを見上げた。

「お久しぶりです、大司教さま」

 正面にゆったりと座している、神殿の長に呼びかける。大司教は目を細めて微笑む。

「まさかこのような形で再び相まみえることになるとは、……あのときは思いもしませんでしたよ、殿下」

「僕も同感です」

 あくまでも柔和な表情で、互いに視線をぶつけ合う。一度息を吸うと、ユリシスは単刀直入に口火を切った。


「本題に入りましょう。出来るだけ早く王都へ戻りたい用事がありまして」

 残してきた面々が、あまり長いこと情報を隠しきれるとは思っていない。何だかんだ言って勘の良いアルカのことである。感づいてシアトスあたりに詰め寄っていてもおかしくない。この件の収束は、早ければ早いほど良い。

「はい」と大司教が頷く。ちらと脇に目をやると、隣の司教が手にしていた紙を取り上げて、議会の開始を宣言した。ぶるりと体が震えるのを何とか抑えて、ユリシスは膝の上で強く拳を握りしめた。


「議題は、殿下の神託で不具合が起きていた可能性についてです」


 やり口が上手い、とユリシスは内心で嘲笑する。結局のところ、これまで国内を揺るがしていた問題と、論点は何ら変わらなかった。けれど視点を神託の有効性に置かれてしまえば、自分は聖都に赴かざるを得ないのだ。

「しかしこれでは、議会が恙なく進行できるとは思えませんな」

 司教の一人が声高に述べる。


「――最も重要な関係者が、ここにいないのですから」


 自分は体の良い人質だ。奥歯を噛みしめ、目の前に並ぶ神殿関係者たちを睨みつけるのを堪える。

 神託が果たして本当に正しく為されたかの真偽を問うとして、自分を召喚する。しかし論議をするのに、当の託宣人がいなければ何も進まない。その間、自分は拘束され続ける。そうなれば、王家も、アルカを出さざるを得なくなると踏んでいるのだろう。

 ……正直、こう出られるとは予想外だった。計画が狂う予感に、ユリシスは歯ぎしりする。

(あと少しだったのに、)

 順調に事は運んでいたはずだった。しかし、計画の要である自分がこうして神殿の手に落ちてしまえば、どうしようもない。


「どうです、殿下。ソルニア・コルントをこの場に呼び寄せては頂けませんか」

「生憎そのような名前の人間は知りませんが、もし僕の託宣人のことを言っているのであらば――」

 ユリシスは臆する心を微笑みの裏に押し込めて、頬を吊り上げた。

「彼女をここに呼ぶことはできません」

 自分が呼べば、一も二もなくアルカは飛んでくるだろう。そうして神殿の手の内に一度アルカが落ちてしまえば、そこで行われるのは異端の断罪だ。その確信があるだけに、神殿の要求を飲むことは出来なかった。

「そうですか、それは残念です」と大司教は指を組み、わざとらしく嘆息する。


「仕方ありませんね。それではまず、殿下からお話を伺うことにしましょう」

「はい」

 仮にも王族である。手荒な真似はされまい。ユリシスは息を吸うと、額を上げ、居並ぶ聖職者を見据えた。



 ***


「……殿下が、囚われた?」

「半月ほど前の話だ」

 隊長は苦々しさを隠す様子もなく吐き捨てた。私は咄嗟に言葉を見つけられず、「なんで、」と漏らす。

「表向きは、あくまでも議会への召喚だ」

「そん、なっ」

「アルカ、座れ」

 気づかないうちに、椅子を蹴倒して立ち上がっていたらしい。エルタさんが椅子を戻し、私は先輩に肩を押さえられて再び座った。

「じゃあ、私が神殿に行かなきゃ、ずっとそのままってことですか?」

「違う! ……早まるな」

 隊長は吠えるように否定すると、ゆっくりと首を振る。私は自分の足が震えているのに気づいた。まるで歩けそうにもないのに、心だけは今にも走り出してしまいそうにはやっていた。


「良いか、アルカ。殿下は、お前が自分の安否も考えずに無茶をする可能性があるから、お前に対して情報を流すなと仰ったんだぞ」

「ぜ、全然信用がない……!?」

「当たり前だ、馬鹿。自分の肩を見下ろしてみろ」

 先輩に背を小突かれて、私は思わず項垂れた。確かに、私は今すぐにも馬を駆って聖都へ走り出そうとしている。何なら今日の夜中にでも、見つからないようにここを抜け出すという考えまで浮かんでいるのだ。

 後ろめたい表情に、私がろくでもないことを考えていたと察したらしい。先輩が「ほら」と鼻を鳴らした。

「お前の気持ちはよく分かる。だが、冷静になれ。今、王都では陛下を初めとした多くの方々が、神殿への対策を講じているところだ」

 隊長は自身も動揺している様子を隠しきれずに、私を懸命になだめる。私は肩で息をして、声もなく頷いた。


「……でも、私が行かなきゃ、事態は収束しないんじゃないですか」

 ややあって、私は低い声で呟いた。隊長は目を見開き、言葉を尽くして私を落ち着かせようとするように口を開く。それを手で制し、「私は冷静です」と告げる。

「私が行っても行かなくても、神殿は、殿下の神託自体を無効にする心づもりでしょう。違いますか」

 殿下は私に沢山の本を読ませてくれた。その中には神殿や神託の制度が書かれているものもあった。それらを反芻しながら、私は静かに目をぎらつかせる。

「正しく神託が為されて、そして完遂されることによって、王族は一人前となります。神託は一人につき一度きり。裏を返せば、殿下の神託が無効となれば、殿下は王位継承権を永遠に得ることはない」

 馬鹿が必死に考えても、大した結論は出ない。早くも着地点を見失って、私は僅かに狼狽えた。殿下ならきっと、最善の方法を導けるのだろうに。

「殿下は多分、それでも良いと仰るはずです。兄君が即位されるよりも前に王都を離れるつもりだと言っていました。殿下自身には、端から王座への興味はないでしょう、でも」

 頭がぐるぐるとした。必死に言葉をこね回して最もらしいことを言ったって、私の心は単純なただ一つなのである。私はやっとの思いで落ち着いた様子を取り繕って、隊長を見据えた。


「――それだけで済みますか」

 私の言葉に、エルタさんがぴくりと眉を上げる。私は一度唇を噛み、目を伏せる。

「王族として認められないことが決定して、それで? 殿下がそれだけで解放されるはずがありません」

 隊長が苦虫を噛みつぶしたように顔を歪めた。最悪の可能性として、誰もが浮かべていることだろう。

「……異端審問」

 先輩が、吐き捨てるように囁いた。


「殿下が異端と認定される訳にはいかない。それが、王家やそれに連なる全ての人間の、総意のはずです。第二王子が異端者だなんて、どんな醜聞ですか。――だったら、その託宣人だけが異端とされる方が、何百倍も良い。だから、」

 私がどこに結論を持って行こうとしているか、隊長は素早く察したようだった。「駄目だ」と短く言い、私を押しとどめるように手のひらを向ける。


 私は隊長の制止を無視して、強く言い放った。

「私が、行きます」

「長々喋っても結論が何も変わってないだろ、馬鹿!」

 先輩が私の右肩を掴んだ。私は表情を崩さないまま、「はい」と頷いた。先輩は目を剥いて、声を荒げる。

「お前をみすみす聖都に行かせたら、俺たちは殿下に顔向けできないんだよ! お前の為に命令に背いてまで情報を教えたことを、一生後悔することになる……!」

「まるで私が死にに行くみたいなこと言わないでください」

 一生後悔する、なんて、私が火刑になること前提の言葉じゃないか。私は唇を尖らせて文句を垂れる。先輩は「悪かった」と項垂れた。


「陛下に手紙を出します。……陛下なら、きっと、最善の判断を下してくださるでしょう」

 ――国の長である陛下がどのような答えを出すかなんて、私たちはきっと、みんな知っている。



 ***


 下された決定を心の中で繰り返しながら、私は強く馬の体を脚で挟んだ。手綱を握り、息をつく。

「……アルカ。お前は、馬鹿なんじゃないのか」

「馬鹿は馬鹿なりに考えてるんですよ」

 私は隣にいる先輩に向かって片目を閉じた。馬上の先輩は諦めの滲む表情で肩を竦める。もう今更何を言っても仕方がないと思ったようだった。


 私たちはこれから聖都へ向かう。この決定は、陛下を初めとするお偉方の総意だった。兄君からは『あとでユーリに一発か二発殴られる覚悟はしている』という謎の走り書きがあったが、……まあ、大丈夫だろう。

 早まった鼓動が絶え間なく胸を打つのを感じながら、私は平静を保った息で思考を整える。隊長と先輩が、酷く不本意そうな表情で私を見ていた。心底止めたいに違いない、が、今更否やを唱えるつもりはないようだった。


「行きましょう」

「……ああ」

 隊長が頷く。私が体を捻って振り返ると、エルタさんを初めとした、ここで世話を見てくれた面々がこちらを見ていた。私は小さく頭を下げる。

「短い間でしたが、ありがとうございました。おかげで傷も治りましたし、とても良くして頂いて、来る前よりも心が落ち着いたような気がします」

「……このようにいきなりの別れとなるのは、とても残念です」とエルタさんは眦を下げて微笑んだ。

「ご無事をお祈りします。アルカさんが、また、ここに帰ってこられますように」

「はい。……次は殿下と一緒が良いな」

 私は頬を掻いて、苦笑する。エルタさんは「ええ」と頷くと、片手を私に伸ばした。その手を取って、私は強く握る。

「行ってらっしゃいませ」

「はい、」

 私は口角を上げて応え、手綱を握り直した。


 先輩が片手を挙げて合図した。

「行くぞ。殿下が待ちくたびれてる」

「きっといきなり私が来たら腰抜かしますよ」

「俺は多分怒られるんだろうな……」

 憂い顔の隊長が重たいため息をついた直後、私は馬の腹を蹴った。これはほとんど奇襲である。走り出した馬の上でフードを目深に被り、私は前方を見据えた。

 明るい新緑の森を抜け、花が一面に広がる高原に躍り出る。ここから聖都まではおよそ四日間。殿下が大神殿に連行されてから、既におよそ一月ほどが経っていた。



「大神殿に行って、一体どうするつもりなんだ」

 先輩が風に混じりながら問う。私は「さあ?」と首を傾げた。

「なるようにしかなりませんよ。取りあえずは殿下の身の安全が第一ですね」

 先を行く隊長が、話も聞こえていないはずなのに、大きくため息をついたようだった。



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